プロローグ④
この物語は全てフィクションであり、実在する人物、事件とは一切関係ありません。
馬車が揺れる。
狭い車内。
そして。
アリシアはレオンの膝の上だった。
(なぜですの!?)
頭の中で叫ぶ。
もちろん降りたい。
だが先程、
「ずっと夢でしたので」
などと言われてしまった。
無理だった。
断れなかった。
結果。
こうなっている。
羞恥で死にそうだった。
「アリシア嬢」
「っ、はい」
耳元から声が降ってくる。
近い。
近すぎる。
「髪、綺麗ですね」
心臓が跳ねた。
「え……」
「昔から好きでした」
さらりと言われる。
アリシアは視線を彷徨わせた。
「そ、そういうことを仰らないでくださいませ……」
「事実です」
即答。
「朝日を受けると特に綺麗なんです」
「~~~~っ」
顔を隠す。
すると。
「その仕草も好きです」
追撃。
アリシアは両手で顔を覆った。
もうやめてほしい。
本当に。
やめてほしい。
いや。
少し違う。
恥ずかしすぎて耐えられないだけで。
嫌ではないのだ。
それが余計に困る。
「レオン様……」
「はい」
「どうしてそんなに……」
言いかけて止まる。
好きなのですか。
そう聞こうとして。
勇気が出なかった。
レオンは少しだけ首を傾げた。
「全部です」
アリシアは固まる。
「真面目なところも」
「……」
「優しいところも」
「……」
「頑張り屋なところも」
「……」
「泣き虫なところも」
「なっ」
思わず顔を上げる。
レオンは少しだけ笑った。
「知っていますよ」
駄目だ。
もう駄目だった。
顔が熱い。
耳も熱い。
頭も熱い。
心臓も熱い。
その時。
馬車がゆっくり止まった。
「お帰りなさいませ!」
外から声が響く。
アリシアは弾かれるように窓を見る。
実家だった。
ローゼン公爵家。
正門の前には使用人たちが集まっている。
どうやら断罪の話は既に伝わっているらしい。
「アリシアお嬢様!」
「ご無事ですか!?」
「お怪我は!?」
扉が開く。
アリシアはようやく解放される。
そう思った。
思ったのだが。
「きゃっ」
身体が浮いた。
レオンがお姫様抱っこしたまま立ち上がったのである。
「れ、レオン様!?」
「足元が危険ですので」
真顔。
完全に真顔。
使用人たちは一瞬固まった。
そして。
全員の視線がアリシアへ集中する。
真っ赤な顔。
真っ赤な耳。
真っ赤な首筋。
「お、お嬢様……」
「お怪我は……?」
家令が恐る恐る尋ねる。
アリシアは声にならない声を漏らした。
怪我。
怪我ではない。
違う。
だが説明もできない。
結果。
「だ、大丈夫ですわ……」
蚊の鳴くような声になる。
すると家令はほっと胸を撫で下ろした。
「それは安心いたしました」
安心していいのだろうか。
アリシア自身にも分からなかった。
◇
応接間の扉が開く。
そこにいたのは。
ローゼン公爵。
そして公爵夫人だった。
アリシアの身体が強張る。
「お父様……」
公爵は娘を見た。
一瞬だけ。
本当に一瞬だけ。
だが。
次の瞬間には表情を消していた。
「何をしに来た」
低い声。
アリシアの顔が青くなる。
「お父様、私は……」
「黙れ」
アリシアが震える。
「貴様は国外追放を受けた身だ」
「……」
「誰の許しでこの屋敷にいる」
空気が凍った。
公爵夫人も辛そうに目を伏せる。
アリシアは何も言えない。
言葉が出ない。
あの瞬間を思い出す。
断罪の瞬間。
誰も信じてくれなかった瞬間。
「申し訳ございません」
その時だった。
レオンが一歩前へ出る。
公爵の視線が向く。
「アークライト卿か」
「はい」
「貴様も殿下より国外追放を命じられたな」
「ご存知の通りです」
「ならば質問を変えよう」
一拍。
「何の権利があって娘の隣にいる」
アリシアの呼吸が止まりそうになる。
レオンは一切動じなかった。
「お嬢様をいただきに参りました」
沈黙。
公爵停止。
アリシア停止。
「……は?」
間抜けな声だった。
レオンは続ける。
「私はアリシア様をお慕いしております」
真っ直ぐだった。
迷いがない。
「天上の女神より美しく」
アリシア硬直。
「神殿よりも清らかな心を持ち」
アリシア硬直。
「誰よりも誠実なお方です」
応接間沈黙。
「……」
「……」
「……」
アリシアだけが真っ赤だった。
(やめてくださいませーーーー!!)
心の中で絶叫する。
しかしレオンは止まらない。
「例え御父上であっても」
一拍。
「アリシア様を侮辱することは、このレオン・アークライトが許しません」
沈黙。
数秒。
そして。
「ぶはっ!」
公爵が吹き出した。
突然だった。
豪快な笑い声が響く。
「はははははっ!」
夫人呆然。
アリシア呆然。
レオンだけ真顔。
「面白い男だな」
公爵は笑いながら言った。
「お父様?」
「黙れ」
まだ笑っている。
「こんな男は初めて見た」
そして。
ふっと笑みを消した。
「……明日には出て行ってもらう」
アリシアの顔が強張る。
だが。
公爵は振り返らなかった。
そのまま部屋を出て行く。
去り際。
ほんの少しだけ立ち止まる。
「アークライト卿」
「はい」
「アリシアを頼む」
小さな声だった。
レオンは深く頭を下げる。
「お任せください」
公爵はそれ以上何も言わず。
そのまま去っていった。
残されたアリシアは。
真っ赤な顔で。
今しがたの告白めいた台詞を思い出し。
(穴があったら入りたいですわ……)
本気でそう思っていた。
◇
その夜。
レオンが帰った後。
自室にいた。
見慣れた天井。
見慣れた家具。
見慣れたベッド。
なのに。
どこか落ち着かない。
今日一日で。
人生が全部変わってしまった気がした。
婚約破棄。
国外追放。
求婚。
膝の上。
お姫様抱っこ。
父との面会。
「意味が分かりませんわ……」
布団へ顔を埋める。
もう、この見慣れた部屋を見るのも。
最後になるのだろうか。
その時。
コンコン。
「アリシア?」
母の声だった。
「お母様?」
「起きているかしら」
「どうぞ」
扉が開く。
公爵夫人が入ってくる。
「眠れそう?」
「全然」
即答だった。
母が苦笑する。
「でしょうね」
そして。
「今夜は一緒に寝ましょうか」
アリシアは戸惑う。
「え?」
「昔みたいに」
母が微笑む。
「怖い夢を見た日はよくそうしていたでしょう?」
言われて思い出す。
幼い頃。
雷が怖かった時。
熱を出した時。
嫌な夢を見た時。
母が隣にいてくれた。
「もう子供ではありませんわ」
「知ってるわ」
母は笑う。
「でも今日は娘でいていいの」
その言葉で。
少しだけ涙が出そうになった。
結局。
二人で同じベッドに入った。
久しぶりだった。
「狭いですわ」
「昔はもっと小さかったもの」
母が髪を撫でる。
その感触が懐かしい。
しばらくして。
母がぽつりと聞いた。
「怖かった?」
アリシアは黙る。
そして。
「……はい」
小さく答えた。
「怖かったです」
婚約破棄が。
追放が。
誰も信じてくれなかったことが。
全部。
母は何も言わない。
ただ頭を撫でてくれる。
「お母様」
「なあに?」
「私は」
言葉が詰まる。
「悪かったのでしょうか」
ずっと聞きたかった。
誰にも聞けなかった。
母はすぐ答えなかった。
しばらくして。
静かに言う。
「違うわ」
その一言だった。
「でもお父様は」
「ええ」
母は苦笑する。
「あなたのお父様は大馬鹿者だから」
思わず吹き出しそうになる。
「お母様」
「本当です」
母は真面目な顔で頷く。
「信じたい気持ちはあったの」
「……」
「でも公爵だったから」
一拍。
「父親でいることを後回しにしてしまった」
アリシアは黙った。
今日の父を思い出す。
冷たい顔。
怒った顔。
そして。
『アリシアを頼む』
最後の言葉。
「怒っていましたわ」
「そうね」
「レオン様に」
「違うわ」
母は笑った。
「自分に怒っていたのよ」
アリシアは目を見開く。
「あなたを守れなかったから」
母の言葉が静かに響く。
「だからあんな顔をしていたの」
知らなかった。
いや。
見ようとしていなかったのかもしれない。
しばらく沈黙が続く。
やがて。
「レオン様は」
母が楽しそうに尋ねる。
「良い人ね」
アリシア硬直。
「お母様」
「なあに?」
「今その話をしますの?」
「もちろん」
即答だった。
母の目が輝いている。
「十年待ったそうじゃない」
「~~~~っ!」
枕へ顔を埋める。
「それ以上は駄目ですわ!」
「可愛い」
「やめてくださいませ!」
久しぶりに。
本当に久しぶりに。
アリシアの部屋へ笑い声が響いた。
そしてその夜だけは。
アリシアは悪夢を見ることなく眠ることができた。
お読み頂き、ありがとうございます。




