天海世界
「ソれでは、これにて本日ノ審問を終了としまマす。今回の全会一致ヲ持って、ハンナ・アンエーリエに対する処罰は、一年間の五等天者降格と永久的ナ使徒位階へノ任命禁止に決定しまシた。被告人、異論はアりますか?」
「……いいえ」
「結構。ソれでは今回の審問を終了すると共ニ、3時間後に再度対策会議を行いまス。それぞレの担当者は各自会議場への集合を――――――」
「……はぁ」
数分後、ある程度の人が去った場の中心で、小さくため息が漏れる。
経過した時間はたった30分から1時間程度、それでも一挙手一投足が疑念へと変わるその場は、まるで数十、数百倍に時間が濃縮したような気もした。
位階降格と使徒への復職禁止、一度の失敗にしては重すぎる、とは思わない。
今回の背滅機関の事件で各地の歪が拡大し、400万人が被害を受けた。
死者も推定2万人……たった一度の敗北だけで万の命が散った。
「お疲れさまでした」
「……!マルガレウム王。面目の次第もございません、私のミスでこのような事態になってしまい――――――」
隣から近づいてくる複数の足音と、巨大で温かな気配に、その場で膝をついて頭を下げる。
咎める気はないと分かる穏やかな口調、寧ろこちらを気遣ってくれているのは、隣に立つ2人の気配からも分かった。
「任務にいったシグルドから聞いたぜ、永久的な使徒への復職禁止なんて……はっ、ざまあねえな!」
「レグルス、悪い噂を拭ってくれていたそうね。第七使徒の座はあなたにあげるわ、ありがとう」
「……ちっ、第八使徒だ」
隣から聞こえる舌打ちに、少しだけ微笑む。
炎のような熱気に、荒れた長髪特有の風の流れ。
近くにいると不思議と安心する元第九使徒レグルス・ヴァイスリーの気配は、今日はどこか荒れている。
「ハンナ、私の力が足りず申し訳ない。それでも、信じていましたよ」
「トロイ様……申し訳ございません。以後、犠牲になった方々の分以上の人々を守れるよう、今まで以上に職務に尽くす所存です」
「ふふ、そう背負う必要はありません。あなたがこの世界を護る守護者であることは、私達が誰よりも知っています」
再び跪いた肩に、少し大きな掌がのせられる。
もう人から突然触れられる事には慣れた。
不意の反応に対して誤魔化すすべも。
仲間でさえ、欺いている罪悪感にも。
「神威武装は、この場でお渡しすればよいでしょうか?」
「……ええ、私が受け取りましょう。責任を持って、新たに決まる光の使徒へ継承を」
「……ちっ」
武装から神威武装足りえる拡張装飾を外し、それを重ねられた両手へと渡す。
こんな時でも、聞こえてくる陰口や悪意が微塵も感じられないのは、ハンナ・アンネーリエという人間がどれだけ恵まれた環境にいるのか、少しだけ考えてしまう。
それなのに、これでもまだ……何かが足りないと思ってしまうのは。
「3時間後の対策会議では、後席から参加してください。或いは先のとおりに何か動きがあれば――――――」
聞こえた声に、再び深く頭を下げる。
だがその時、少しだけ感じた違和感は、近くで微かにざわめき始めた去っていったはずの高官達の気配。
同時にそんな違和感を目の前の二人も感じ取ったのか、俄かに気配を少しだけ変えると、直後に一つの画面が開く音がした。
『ジャミング解放を確認!座標は特定中ですが、担当者は第一研究室、ハイドラの元へ――――――』
転移デバイスを使用した際の光に包まれる感覚は、ずっと苦手だった。
だからいつも目を閉じる。
そうすれば、世界は灰被りのまま自分が汚いことを忘れずにいられる。
誰よりも優柔不断で、自分を思う人間にも気づけなかった愚かな人間。
それでもきっと、閉じた瞳がいつもより少しだけ光を覆ったように感じたのなら。
「転移完了、カミア」
『いるとも、やはりまだこの感覚には慣れないな』
「……そう言えば乗り物が苦手だったな。気持ち悪かったらその辺で吐け。一息だけ着いたら直ぐに移動する。期限は到着まで2日程度しかない。間に合わなければ――――――」
死ぬだけ、そのまま目の前に投影した画面からキーラの名前を探し、短く『到着した』と送信する。
見渡すと、立っている場所を除いて一面の青空と、眼下に広がる鏡写しの大海原は、ここが本当の意味での浮島であると嫌でも脳裏に刻み込んでくる。
『……監獄か。そう言えば、前に一人使徒候補生が捕まって無かったか?』
きっと、こんな澄み渡る空とは無縁な作戦が無ければ、一生縁の無かった場所だ。
『そうね、言われてみれば確かに……あったわ。元使徒候補生第三位アルス・バトラール、私やリゼルが入るより前。罪状は反逆罪、誰かさんと一緒ね。殺害人数は追っ手を含めて一等天者2人と使徒39人。現在はリヴルハイム牢獄にて永久幽閉』
『一等天者が2人か、もし生きてれば戦力にはなりそうだな』
20年前か、本当に生きていれば、だが。
『リヴルハイム?牢獄の名前か?』
『ええ、天海世界で最も深い海溝に作られた世界最大の牢獄都市、それがリヴルハイムよ。行くには専用のエレベーターで降りる必要があるけれど、そもそもそこに閉じ込められる人は永久幽閉みたいな人ばっかりだから、非常時には切り離して牢獄自体を圧壊できるように設計されてたはず』
『……おまけに、管理する施設長は使徒だったはずだ。当然常駐はしていないだろうが、警備も常に使徒候補生級が最低一人、万が一親玉を呼ばれたら詰みだな』
リヴルハイム牢獄は世界でもっとも危険な牢獄であるのと同時に、もっとも消しても困らない場所。
法律という縛りに守られた世界の恥部とでも呼ぶべきその場所は、下手に戦い方を間違えればボタン一つ深海で圧死させられる可能性もある。
『ははははっ、良いじゃないか!進むか滅びるか、正に私達らしい。それに――――――』
『……行くしかないな。他に手段はない。最低でも囚人を解放して最後の手札を切らせない程度に足止めをする。その間に可能なら――――――』
『転移完了確認。リヴルハイムの座標は電子座標にマークしたわ。音声じゃないからリアルタイムのサポートは出来ないけれど、帰りは少しだけ楽しみにしておいて。ただし期限は飛んだ座標が特定されるまでのタイムリミットだから、忘れずに――――――』
画面を閉じる。
彼方に広がる水平線には島の一つも見えない。
それでもキーラが予めつけてくれた座標に寄れば、ここから直線数キロ進んだ場所の付近に、海底都市へ移動できるエレベーターがあるはず。
「ほう、素晴らしい景色だ!海しか見えないのはつまらんが――――――」
「さっさと行くぞ。一応もう一度だけ言っておくが、天者は皆殺しで良いが、一般人は殺すな。滅亡させる以外で手にかけたら……俺達の旅は終わりだ」
機関は、消し去ることはしても無意味な殺人はしない。
下らないとは自分でも思うが、それでもこれを破った時点で、リゼル達は少数の『守護者』ではなく、ただの報復を行う『殺人者』になる。
『ふふ、ふはははは、良い良い。やはり主はそうでなくてはな!そう心配せずとも、私は主の忠実なる部下だとも。心配するとすればあの狂人女だろう』
「……分かってる。だからさっさと進むぞ。あいつがまともな手段を選んでいる内に」
地面を蹴ると、再び背中に感じる重みと耳元に感じる装着感を他所に、浮遊デバイスを起動する。
浮島の高度が少し高かったせいか、落ちても踏む地面がないせいか、少しだけ不思議な感覚を感じる。
おまけに、どこまでも続く青い地平は、どれだけ進んでさえ、どこにいるのかも分からなくなってしまいそうだ。
『主よ、君はいまだあの女に未練があるのか?』
「……なんだ、唐突に。当然無い……わけがないな。いや、寧ろ前より――――――」
ふと、語り掛けられた言葉に、数日前の出来事を思い出す。
二人だけで交した誓い。
一方的に破って消えたのはリゼル、それでも待ち続けてくれていたのがハンナ。
もし、あの時に戻りたいかと問われたのなら……きっと。
「ハンナは殺さない。何があっても」
『はははっ、堂々の浮気宣言か。彼女の手でこちらが滅びることになってもか?』
「……いや」
カミアの言葉に、少しだけ脳裏を嫌な感情がよぎる。
どっちつかずの最低な言葉。
ただ、その問いに対する答えはきっと、『時が来なければ決められない』。
『ふは、本当に情けない奴だ。とはいえ、これは妻として主の心を奪いきれない私の責任でもあるか。全く、年月というものは実に面倒だ』
「ちっ……心配しなくても、俺達の目的は変わらない」
『ははっ、当然だろう。変わった時は、私達が共に死ぬ時だ。そして――――――』
――――――そこで止まれ。
耳元で声が聞こえるよりも早く、浮遊装置を切った。
理由は当然、眼下の海面に背を向け、重力を思い出した身体が上下を反転させたまま急下降を始め、さっきまでの嫌な思考が消えていく。
『見張りが二人、両方帯剣している』
「なら、片方は殺す。もう片方は――――――」
刹那、青一面の世界に半透明の床とその奇妙な物体を覆う石造りの地面が見える。
家、というよりも小屋のようなものが端に一つ、人間っぽい奴は。
「……うん?」
風切音に気付いたのか、片方の視線がこちらを向く。
とはいえ、それは既に何かを思考するには遅い。
ましてや剣を抜くのにさえ。
「……なっ――――――!」
『口を開くな』
一人目の身体が切断される。
いや、正確には落下と共に舞い散った土埃に紛れて、離脱したカミアが斬った。
「……ひっ!」
「静かにしろ。今から幾つか質問をする。聞かれたことにだけ答えて、消えたらそのまま職務に戻れ。仲間が死んだことは知らないふりをしろ。守れば殺さない。ただし、もし俺達が消えた後にでも通報音が聞こえた時は――――――」
――――――皆殺しだ。




