四界連合
『リゼル……大好きよ。今までも、これからも。私の世界にはずっとあなたしかいない。例え二人の間に何があっても、世界中があなたを嫌っても――――――』
『……分かってる。俺も、一生をかけてお前を守る。例え世界中を敵に回しても――――――』
『ハンナ、俺はもう……『覚悟を決めた』』
『ハンナ・アンネーリエ、これは我が主が望んだ事だ!リゼル・レインライトが必要としていたのは長年健気に陰から支えてくれる妻じゃない……ほんの少しだけ心を犯してくれる一滴の毒薬だった』
「……嘘つき」
口の中が苦い。
不意にさしているはずの傘の隙間から零れて肩に落ちてきた雫は、少しだけいつもより小さめな傘を持ってきてしまったのか。
黒い腕飾りだけを着けて祈りを捧げる。
顔も覚えていない助けられなかった仲間へ、狭まる世界の渦に飲み込まれた他人へ……自分の心の弱さで守れなかった誰かへ。
「……やっぱりここにいたのか、従属権限を持っていながら発動しなかった裏切者」
あの時、全てを捨てても彼の元へ飛び込めなかった『死んだ私』へ。
「……随分と嬉しそうね。末席……いえ、今は十二席だったかしら。シグルド・アイルフェイン君」
発した言葉に、背後の影が少しだけ揺れる。
長い髪と時季外れのコートの裾が揺れる音。
次いで聞こえてくる細かな笑い声は、虚偽の報告への嘲りか、それとも反対に純粋な安堵か。
「審問まではまだ時間があるはずよ」
「いいや、今すぐだってさ。答弁の準備をさせるなと……ははっ、機関の英雄が一転、犯罪者みたいだ」
「……分かったわ」
背後から聞こえてくる言葉に、振り返って傘を閉じるのと共に両手を差し出す。
一拍遅れて手首に感じる若干の圧迫感と身体を濡らし始める雨の雫。
「……今回は四界連合の関係者も含めて相当な数が集まってる。下手な発言はしない方が良い」
「……しないわ。私は潔白だもの」
ハンナ・アンネーリエはリゼル・レインライトを斬る道を選んだ。
世界の守護者たる道を、少数の犠牲に目をつぶる未来を。
「……ふふ、そうか」
身体を濡らしていた雨が音を残して消えていく。
光を失ってからもうどれくらいが経つだろう。
一人で歩けるようになった。
一人で飛べるようにもなった。
一人で不自由なく生活することも、一人で世界を滅ぼすことも。
「言っておくけど、僕やトロイさん、ハルス様も君を疑っていない。シリウスなんて、変な噂を片っ端から権力使って黙らせてるよ」
「そう……面倒をかけるわね」
「ははは、何を今更……僕たちは戦友だろう。安っぽい言葉だけど、君が誰よりもこの世界を愛しているのはよく知ってる。君が五等天者に負けたっていうのを聞いたときは、少しだけ驚いたけど……それに、背滅機関だなんて――――――」
狂ってる、隣から聞こえてくる言葉は至極当然の言葉だった。
たまたまその場で出会った数十、数百にも満たないような人々のために、今を全力で生きている数十億の人々を犠牲にする。
合理的じゃない、ましてや正義などあるはずもない。
それでも頭から離れない嫌な気持ちは……きっとハンナ・アンネーリエの『守護者』が守ろうとしていたから。
「……まあいい、何にせよ発言にだけは十分気を付けて。ここだ。僕は扉を開いたら席に着く。そこから先は――――――」
何も出来ない、隣から聞こえてくる声には、本当にこちらを心配してくれているのが分かる。
手に触れればはっきりと感じる、目の前にそびえ立つ巨大な門のような両開きの扉。
その奥には、これから立たなければならない台のようなものを取り囲んで、息が詰まりそうなくらいに並んだ人の気配。
従属権限を発動せず、元二等天者に油断して寝首を掻かれた愚かな使徒。
それでも、唯一無傷のまま生きて帰った三等天者よりはマシか。
「来たわね、入りなさい!」
「……開くよ」
「ええ……シグルド、傘をさしてくれてありがとう」
開かれる扉に、後ろで優雅に一礼している影を見流し、わざとらしく手かせを鳴らしながら足を一歩踏み出す。
一歩、また一歩。
最初に感じた視線は少しの畏怖に嫌悪、怒り、哀れみ。
それでも席の一角から感じる温かい雰囲気と視線が、少しだけ乱れた心を整えた。
「ソれではこれより、元第七使徒、ハンナ・アンエーリエへの審問を開始しまス――――――」
「まずはどこから説明するべきかしら。やっぱり統合世界?」
そしてその頃、目の前で鬱陶しく首を傾げるキーラ。
いちいち蠱惑的な動作が気に障ってしまうのは、寧ろそれだけ彼女のことを考えてしまっているのか。
「ラスボスを最初に紹介してしまってはつまらんだろう。第二からだ」
「ふふ、分かったわ。そうしたらまずは第二世界ね。名前は零絶世界ルムドヒュルド。ここの特徴は、一年中降り注ぐ毒の雨のせいで、人間が全て地下に移住していること」
「……!ほう、愉快だな。世界に人間が適合したのか」
実際、こういう世界はそれほど珍しくはない。
人間のような生き物が生存競争に負けた世界も、人間が環境を克服できなかった世界も。
「この世界の役割は天者達の訓練や強化、毒のせいかお陰か、身体機能が高い人間が多いからよ。国家は3つの国で構成された連邦制、盟主はそのうちの最大派閥の代表ね。名前はレヴィン・トレサ。かなり強硬派で知られてるわ。とは言っても――――――」
「ハンナ・アンネーリエ。先ズはあなたの口カら事の顛末の確認をお願いします」
「……リゼル・レインライトは、機関を裏切りました。兆候はありました。彼は五等天者ですが、元々は二等天者。4年前、一等天者ヴェイン・サドミックを殺害した反逆罪で両脚に従属権限を着けられています」
発した言葉に、場が騒めいていくのを感じる。
事前に経緯書は提出したはずだが、この反応は、いまだ事態を軽く見ているのか。
あるいは、こちらへ事態の重要性を知らしめるためだけの演技か。
「なぜ矯正処分だけで済ませたのでスか?矯正処分ハ思想まで染まっているものニは効果が見込めないハずでは?」
「……私が判断しました。彼がとった行動は衝動的なもので、反抗する様子も見られなかったため、矯正処分で十分に御しきれると判断しました」
頭を下げる。
冷静ながらも、的確な所を突いた指摘。
防毒マスクをつけた独特な呼吸音は、盟主レヴィン・トレサを始めとした零絶世界特有の奇妙な気配。
中でも強大な気配を見えずとも感じるのは。
「零絶世界の頂点は第二使徒、名前はメサルティム・アールマーズ。男性っぽい名前だけれど、紫髪の女性よ。第二使徒の名前に相応しく、彼女だけは毒を防ぐためじゃない……幼少期に汚染された身体から発する毒を抑え込むためにマスクを着けているわ」
キーラの言葉に、カミアがはっ、と笑う。
彼女の言いたいことは、聞かずとも分かる。
メサルティム・アールマーズは別名【死季】。
一度だけ遠目で見たことがある。
歩くだけであらゆる生物はおろか、茂った木々や花々さえ死に絶え、後には何も残らない『死の季節』の訪れ。
「彼女とはまず大前提として、戦いの土俵にすら立つことが出来ないわ。出会ったら逃げるしかない災害のようなものだと考えて」
「ははははっ、いきなり随分と難題だな!剣を振るう前に毒で殺されるとは。他の2人は?」
「当然強いわ。けれどそっちはいったん説明は省くわね。いっぺんに紹介しても混乱しちゃうでしょうし、ハンナちゃんと同じくらいって考えておいて」
「……会いたくはないな」
思わずぼやいてしまう言葉は、一つの世界で既にこれだけ戦力差が開いていることだ。
今のリゼル達なら、相性が良ければ1人は何とか追いすがれる。
2人目が来た時点で終わりだ。
「さて、もっと詳しく話したいところだけれど、時間もそれほどないから次々行くわよ。次は第三世界ね。群生世界アリアリリシュ、ここも人類が他の生物と共存を選んだ世界よ。ここの役割は武器や防具、武装の製造。盟主は幼いながらにほとんどの村、国々を征服した大王、天導勇葉――――――」
「なるほど、それで今回の惨事を見逃シたと?」
「おや、それは判断が早計であろう、トレサ盟主。ハンナ・アンネーリエは非常事態用に部隊長に緊急の呼び出し手段を渡していて……カミアと言ったか?協力者の存在も知りえていなかった。十分に理由としては通っていよう」
機械越しの呼吸の中に、一つの堂々とした息遣いが混ざる。
小刻みな声音の起伏とは反対に、この場にいる誰よりも尊大な気配と態度。
第三世界盟主、天導勇葉。
この場にいる盟主達の中では最年少、天者であれば入隊における最低年齢ギリギリの女性だがその実は、隣に立つ第三使徒の兄と共に数多の集落や国々を平伏させた、この場にいる誰よりも苛烈な白髪の幼き大王。
「して、ハンナ・アンネーリエ。敵の目的は、やはり機関の崩壊か?」
「……はい。彼らは滅亡世界で生き残っている人々のため、天滅機関と、必要であれば四界連合を滅ぼすと」
どこかで唾をのむ音が聞こえた。
それはきっと、今まで聞いたことが無い言葉だったからだ。
とはいえ、おかしな話でもある。
自分たちは一方的に数多の世界を数字で測って、滅ぼして、刃が自分に向くことなど考えてもいない。
「むはははっ、凄いな!たった2人で何十億という人々が住む世界を滅ぼそうとは、良いな、実に良い!敵とはいえ、その意志だけは認めねばな!」
「……不謹慎でス。天導盟主」
「ははははっ、そうだな。とはいえ、実際よく考えてみるといい。私達は自分の生存のために、好きに世界を滅ぼしている。ならば、これは必然的に起こった反乱だろう」
幼い大王の言葉に、空気が少しだけ変わる。
当然大半は拒否反応、それ以外は統合世界を中心に怒りを見せる者、数人だけ興味深そうに息を吐く者。
「ならばあナたは、400万人の被害は我々にも非があると――――――?」
「いやいや、そうは言っておらぬとも。これはいわば生存競争。強い方が正義であり、弱者を踏みにじれるのは当然。ただし――――――」
「群生世界は頂点捕食者として、人間と並んで巨大な生物たちがいるわ。虫や動物に竜。当然会話は出来ないけれど、そんな多種多様な生態系のおかげで、機関の武装に使う特殊な素材はほとんどがこの群生世界で取れるわ。さっき言った神威武装の原料もそうね。天者の頂点に立つのは第三使徒 天導棺、長身で珍しい甲冑みたいなものを着ているから直ぐに分かるはずよ。能力は振動、一振りで数キロ先の城を叩き切れるわ」
「ついでに、振動だから防げない。何か同等のエネルギーでもぶつけない限り」
最上位の席に座る奴は、どいつもこいつも戦いの土俵にさえ上がれないような奴ばかり。
二席に比べれば防ぐ方法はあるだけ幾分マシだが、代わりに武装の威力は機関でも一席に次ぐとも言われている。
もっとも、それさえ凌ぐ一席は何だっていう話でもあるが。
「こっちにそんな手段は無い以上、こいつも会ったら逃げるだけだ」
「ふはは、私達はまともに戦える相手もいないのか?」
「そうね、それだけ喧嘩を売った相手が強大という事よ。次が第四世界ね、通称天海世界。役割は犯罪人の管理。名前の通り、ここは浮遊している大地に住む『天の民』と海底に済む『海の民』がいて、その二つが事あるごとに未だに争っているわ。最近は収まっているって聞くけど、盟主も定期的に入れ替わることで有名ね。ただここは――――――」
「なるほど、ならば好き勝手している以上、反乱の芽を事前に摘んでおくのも我々の役目だと」
その時、天導大王の言葉を遮って、野太い声が辺りに響く。
深く沈むような声は、ともすれば野性的、ともすれば少しだけ威圧的だが、彼らの住む環境を考えれば、一番聞き取りやすいのかもしれない。
「そういうことじゃ。察しが良いのう、魚の――――――」
「魚ではない、海の王アルフィルド・キングシャークだ!」
「魚ではないか……」
小さなため息に、再び「違う!」と大きな声が辺りに響き渡る。
同時に、後方で少しだけ乱れた幾つかの気配は、きっと盟主になれなかった天の民だろう。
盟主にしては珍しい、圧倒的な武の気配。
第四使徒にして盟主、権限と力の全てを持ちえた世界の絶対王。
「アルフィルド、みっともないぞ」
そして隣に立つ、近しくも遠いもう一つの気配は、最近は関係が改善されたと聞いていた『天の王』か。
「む?ああ、すまない。ついいつもの癖が出てしまった。して、ハンナ・アンネーリエ、後聞いていないことは……そうだな、敵の規模か?」
「はい、そう多くはありません。先に申し上げた二人と……恐らくもう一人――――――」
この世界を裏切った科学者がいる。
そこまで言いかけたところで、刹那一人の甲高い笑い声が響く。
お世辞にも品位があるとは言えない笑い方。
とはいえ盟主に次ぐ二列目、使徒と同等の席に着座しているという事は即ち。
「む、どうした。何か愉快な事でもあったか?」
「きひひひひっ、ああ、いえいえ。すみませんね。良ければ、その方の説明だけ引き継ぎますよ。きっと彼女を語るのであれば――――――」




