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霊的現象

 木嶋(きじま)田山(たやま)を送っていく為、車のキーを手にした。

「やめなさい」

 莉々(りり)がそう言って、木嶋の腕を押さえた。

「なに、駅まで送っていくだけだ」

「呪われていることを意識して行動して」

「……車の運転もできなくなるのか?」

 莉々は突然、木嶋の目の前に手を広げた。

 目の間近で近づけた手で、何も見えなくなってしまう。

「これで運転できるのですか?」

「何が見えるって言うんだ」

「何が見えて、何が見えなくなるかは、全くわかりません。けれど同じようなことが起こることと思ってください。私の手のひらが幻覚、隙間から見えるのが現実。どんな人でも現実と幻覚の差が分からなくなります」

 木嶋は車のキーを壁のフックに戻した。

「田山さんは私が送っていくわ」

 妻は簡単に髪をまとめると、上着を羽織った。

 そして支度を終えた田山を手招きした。

「ありがとうございました」

 田山がそういうと、木嶋は軽く手をあげて応えた。

 妻と田山が家を出ていくのを見送ると、木嶋は莉々に訊く。

「もしかして、この状態なら、俺はあの空き地に『コンビニ』が見えるんじゃないのか?」

「霊感がつくわけではないですが、見えるかもしれませんね」

「そして、例の監視カメラ映像に『コンビニ』の制服を着た男が見えたり」

 莉々は首を横にふる。

「さっきも言った通り、霊が憑いているだけで『霊感』が備わったわけではありません」

「まあ、いい。確かめてみるだけだ」

「憑いた霊があなたに何を見せてくるか、それが引き起こすことが、あなたの死につながることだと思います。川に落ちるように誘導するとか、何かを飲まないといられなくなるとか」

 木嶋は頷いた。

「現実と区別できないかもしれないことだったら?」

「区別できないことが見えるのであれば、避けようがありません。正直、死ぬでしょうね」

 簡単に言い切ったその言葉に、霊を憑けられた時よりゾッとした。

「わかった。まだ、そういったことが始まっていないから大丈夫だ。さっさと土地を祓ってくれ。そうすれば終わるのだろう?」

「もちろん、土地を祓うように最善を尽くします」

 木嶋は頷いた。

 莉々は持ってきた道具を丁寧にしまうと、家を出て行った。

「お体をお大事に」

 莉々の姿が見えなくなると、木嶋は居間のソファーに座った。

 この事件の捜査メモを見返した。

 莉々は『霊感』がつくわけではない、と言っていたが、呪われたものはコンビニそのものか、コンビニの制服を着た男を目撃している。

 ならば少々イレギュラーな形で呪われた自分も、そういうものが『見え』るのではないかと考えた。

「確かめる方が早い」

 木嶋は立ち上がり、かけてあったスーツの上着を手に取ると家を出た。

 途中で妻とすれ違い、捜査を続けると言うと妻は、木嶋に向かって深々と頭を下げた。

「気をつけて」

 彼女の態度は、いつもと同じだ、と木嶋は感じた。

 警察という立場上、常に危険な状況にある。

 妻は常にそういう気持ちで送り出しているのだと、今更ながらに思うと、家族にかけている負担の大きさを感じた。

 駅につくと、切符を買い、やってきた電車に乗った。

 車内で吊り革を掴んだ時、それは起こった。

「!」

 肩に何か液体が『垂れて』くる感覚があった。

 同時に体全体が熱くなっていることに気づく。

 木嶋はその『垂れて』くるものを見上げた。

 車両のエアコン吹き出し口付近に、割れが発生しており、そこから真っ赤な液体が天井に染み出していた。

 ちょうど木嶋の体の上で液体が溜まり、下に垂れてくるのだ。

 これが幻覚なのか?

 自問自答した。

 周りの乗客は、普通に座席に座っている。

 天井を見上げて恐れているのは、自分一人だ。

 つまり、これは俺にしか見えていないものだ、と木嶋は結論づけた。

 大きくため息をつくと、びっしょり濡れた感覚がある右肩を、左手で触れてみた。

「うっ」

 木嶋は思わず声を出してしまった。

 目の前に持ってきた左手には、粘着する赤い液体がついている。

 恐る恐る上着を捲ると、ワイシャツも真っ赤に血が広がってついていた。

 すぐにでも服を脱いで、体を洗いたい。

 電車の中でどうしようもないために、衝動を抑え込むのは簡単だった。

 これが家で起きていたら、周りの乗客もいないため、木嶋一人では判断しようがなかっただろう。

 そこまでわかっても、右肩には血が垂れ続けている。

 体中にある不快感に耐えながら、木嶋は電車に乗り続けた。

 木嶋は目的の駅で降りると、例の空き地へと向かった。

 電車を降りたおかげで、肩に落ちてくる血の感覚は止まった。

 だが、改札を抜けたあたりでまた別の幻覚が襲ってきた。

「!」

 木嶋は足元の違和感で立ち止まった。

 靴の中に何かが入ったのだと思い、靴を脱いでそれを出そうと考えた。

 木嶋は近くにあったキオスクの壁に近寄り、手をついて片足を上げた。

「ひっ!」

 何かが入っているどころではない。

 足に蛇が巻き付いていた。

 よくみると、床面にも無数の蛇が蠢いている。

 軸足にしている足に這い寄ってきた蛇が、ズボンの内、外かまわず巻きつき、這い上がったくる。

 絞っているはずのベルトの内側に入り込み、蛇はインナーと肌の間に入った。

 これも、周囲が騒ぎになっていないから、自分だけに見える幻覚だと認識できたが、これが自宅だったらどうなっていたかと思うと、ゾッとする。

 ズボンに手を突っ込んだり、シャツを脱いで蛇を引き剥がしたくなる気持ちを抑え、木嶋は再び歩き出した。

 ガードレール沿いの通りに女性が並んで立っている。

 木嶋はようやくコンビのあった空き地に着いた。

 体中にある妙な感覚のせいで、暑くもないのに汗をびっしりかいてしまった。

「空き地だ……」

 木嶋は当たり前のことを口にしていた。

 これまでもずっとここは空き地に見えていた。

 そして今も、やはり空き地にしか見えなかった。

 菜々子はこの横を通った時に、コンビニの『チキン』が食べたいとまで言った。

 そんなことを言うのだとしたら、彼女には、ただぼんやりとコンビニが見えるのではなく、まるで営業している実際のコンビニに見えたはずだ。

 何度瞬きしても木嶋にはコンビニは見えない。

 顔面の上を這っていく蛇を無視して、木嶋は汗を拭う。

 体が感じている感覚を無視すると言う行為が、どれだけ難しいか思い知った。

 木嶋は汗を拭った後、坂を目指して歩き出した。

 今度は事件現場の監視カメラ見てみようと思ったからだ。

 コンビニは見えないが、殺害現場により近い場所では別のものが見えるのではないかと期待していた。

 木嶋はいくつかのラブホのオーナーに電話し、中に入る許可を得た。

 坂を登ってラブホに向かうと、木嶋をまた別の幻覚が襲ってきた。

 肌の上を這い回る蛇の感覚はなくなり、服自体が縮んでいき、全身が締め付けられると言う感覚だった。

 特に首が閉まる感覚が強烈で、すぐにでも服を切って脱ぎたいほどのものだった。

 足も胴も、あちこち締め付けられると、体がまるで動かないような錯覚に陥った。

 だが、実際は何事もないように手足は動く。

 苦しさだけは実際に引き起こされていて、このままでは死ぬように感じてしまう。

 坂を上る体の負荷と相まって、一歩、一歩踏み出すのに時間がかかっていた。

「……くそう」

 ひどい汗と苦しさで、心拍数は上がっていた。

 木嶋はこの錯覚で殺されると感じた。

 この強烈な感覚から想像すると、その人にとって最悪なものを見せれば、心臓発作を起こすことも可能に思える。

 激しく息をしながら、木嶋はつぶやいた。

「まさか、こうやって殺したのか」

 呪いで殺したとして、ではなぜ殺したのか。

 犯行手段が呪いだとしても動機が存在するはずだった。

 これまでの経緯から店長は生きている可能性がある。

 なぜこんな呪いをかけたのか。

 それを知ることが呪いをとく近道のように思えた。

 木嶋はあるラブホにつくと、従業員に警察であることを告げた。

「オーナーから聞いてます」

 従業員は、まず監視カメラのレコーダーに案内した。

 木嶋はなんとか誤魔化しながらレコーダーの前に辿り着くと、座った。

「これがリモコンです」

 木嶋は説明書と共にリモコンを受け取った。

 何も話さないでいると、従業員が言った。

「お部屋の方は今、使用中でして。もう時間なので、そこで空くと思うんですが」

「ああ……」

 もっとまともな返事をしたかったが、木嶋には、そう答えるので精一杯だった。

 木嶋は簡単な説明書を見ながら、ゆっくりとレコーダーを操作して犯行時刻の映像を見直した。

 だが、やはりその映像には被害者の女性の姿しか映っていなかった。

 唯一、目撃した者はこの不審死事件に巻き込まれて死んでいる。

 だとすれば、巻き込まれつつある自分にも見えて良さそうなものだ。

「ちっ」

 何度繰り返し再生しても変わらない。

 どうして映っていないのか。

「刑事さん、部屋が空きましたよ。案内します」




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