恋愛マスター?
(天空都市群グングニル中央島南西地区:表通りから外れたマンションの一室)
世の中には、恵まれた才能を持つが故に、異常に強い確信を持つ類の人間がいる。
「東洋亭」の出前を頬張る二人の女性も、たぶんその仲間だ。
今日の晩飯である海鮮ペスカトーレを頬張るキーロは、たぐいまれな頭脳と知識の持ち主である。
それ故、たまに俺を挑発する言動をとる。
そういう選択ができるほど、彼女には自信があるのだ。
自分の選択肢が、俺を強くするという自負が。
そして、和食所に洋食をリクエストしたもう一人も、才能の種類は違うが、そういう自信の持ち主であると、推定できる。
「……あなた、毎晩それだけですの?」
絶品海鮮パスタを頬張る天空都市の歌姫が、俺の手元にあるプロテインとササミを眺める。
「そうだ。減量中だからな」
「そうですか。頑張ってください」
そっけなく俺に興味をなくし、海鮮パスタに再び対峙するフェリェ。
こういう自分中心の態度も鼻につく女だが、彼女は三つのギフトを所持している。
美貌。歌声。そして、その二つにより培われた、女の勘だ。
最後のを、馬鹿馬鹿しいと笑うこともできるかもしれない。
だが、残念ながら、俺には無視できない事情がある。
あることを、指摘されたからだ。
その言葉は、忘れたいにも関わらず、簡単に俺の脳裏によみがえる。
――好きなんでしょう? 彼女のこと?
うわ。
また、思い出してしまった。不覚。
全く、勘違いもいいところである。
いくら、恋愛百戦錬磨の天空都市の歌姫だろうが、今回ばかりは、お門違いの指摘だ。
ふん。俺が、眼の前でペスカトーレスパゲッティを頬張る天獣師志望の女を、好きだと?
冗談も休み休みって、奴だ。
誰が、ことある事に雷撃の鞭を振るう女など、好きになるのだ。
ありえない。
天地がひっくりかえっても。
天空都市が地上界に帰ることになっても。
クラウンが、現役復帰することになってもだ!
……最後のは、割とあるかもな。
この間、ギラドアを追い払ったときのクラウンの覇気は、尋常じゃなかった。
もしかしなくても、まだインペリアルリーグでやれる水準じゃないのか?
そうであれば、復帰して欲しいな。やっぱり、憧れの皇帝だし。一回くらい、どうにかして、闘ってみたいな……。
……。うおっほん。
話が逸れてしまった。
元に戻そう。
つまり、俺があの苦学生の小娘を好きになることはない!
絶対にだ。
そりゃ、主治医としては、これ以上なく信頼している。
俺の二度目の競技人生で、欠かせないパートナーだと、言ってよい。
だが、それはあくまで、公の関係性なのだ。
私ではない。
だが、もし、俺が自分自身の気持ちに、気づいていないとすれば?
そうなれば、事態が変わってくるのだろうか。
うーむ。
悩ましい。
そういう風に苦悶してる様子を、フェリェが興味深そうに見ていた。
しまったと思う。
俺より二つ年上の歌姫は、弄べる宝石を見つけたように、大きな眼を細める。
まずいぞ。
あれは、何か、企んでいる顔だ。
どうにかして、キーロのいない所で、釘を刺さなければ。
そうだ。キーロをお風呂に誘導しよう。
そうすれば、フェリェと二人きりになる。
キーロに聞かれる心配もなく、傍若無人な歌姫に、念を押せるではないか。
俺は急いでフェリェから視線を切り、パスタを胃に収めたキーロに提案する。
「キーロ。先に、風呂入ってこいよ。さっぱりしたいだろ?」
フォークを銜えたまま、キーロがこっちを向く。
「え? いいの?」
「ああ。いつも献身的な主治医への、心遣いさ。じっくり湯船に浸かってこい」
そうすれば、フェリェを口止めする時間が増えるからな。
俺は、無垢な表の表情とは裏腹に、内心ほくそ笑む。
だがここで、予想外の展開になった。
「そうですか。では、私もご一緒してよろしい? キーロさん?」
フェリェが、そう申し出たのである。
なんてこった。
キーロとフェリェが一緒に入浴すれば、釘をさす状況は、生まれない。
作戦失敗だ。
俺は、臍をかんだ。
「ありがと。じゃあ、お言葉に甘えて、先に入るわね」
そういって、キーロは脱衣場に向かってしまう。
「では、私も」
フェリェも後に続く。
そして、リビングの扉の前で、こちらを振り返る。
言葉は何もない。
だが。そこには、奴の勝ち誇った表情があった。
にんまりとした笑みではない。寧ろ、ふっ。と口元に微笑を浮かべるあれだ。
あー、腹立つ!
――『残念でしたわね。主導権が握れなくて』
言葉をあてがうなら、それくらいが適当だろう。
俺は、一人のリビングで苦虫をかみつぶす。
……まずいな。まずいぞ。
キーロをフェリェから分離させるはずが、逆に俺が分離させられちまった。
風呂場は現状、女の園である。
男の俺は、どうあっても介入できない。
聖域である。手も足も出せない。
おのれ、フェリェ。
この氷息帝に、一杯食わせるとは。
悶悶とする。
が、残念ながら、手立てはない。
俺に残された手立ては、後かたずけの皿洗いくらいだ。
流石は、恋愛マスターの歌姫だな。
こういう攻防で、奴は果てしない競技IQを持っている。
俺などが、敵う相手では、ないのかもしれない。
俺は、自分の無力さを痛感した。
――アウラよ。早く帰ってきてくれ。一刻も早く、あのマセた歌姫を、引き取りに来てくれ。
――頼む。後生だから。俺の安息を、返してくれ。
そう念じるが、紅恋帝のプロミネンス・ワイバーンは、窓ガラスの向こうからやってこなかった。
援軍はないようだ。
依然として、戦況は厳しい。
寧ろ、悪化の一途をたどっている。
もし、フェリェが例の不吉な話題を、キーロに振っていたら……。
そういう心配が募る。
あの歌姫は、俺の現状を承知していて、シャワーを浴びながら勝ち誇っているに違いない。
くそう!! 悔しい!!!
俺は地団太踏みそうになった。だが、堪える。
感情を乱しては、相手の思うつぼだ。
……そうだ。
何を言われなくても、気にしなければいい。
心を凍結するのだ、俺の凍結飛竜よ。
そう考えて、俺は瞑想を始めた。
皿洗いの手を止めて、深呼吸する。
「……よし。行けるぞ。俺は無敵だ。あんな話題ごときで、この氷息帝の心を乱せると思ったか、フェリェめ。ふん! 浅はかなことよ……!」
眼をつぶったまま、俺は自己暗示をかける。
「何が、浅はかなの?」
問いが聞こえた。
たぶん、俺の精神世界でつくられた問いだ。
暗示を強化するために、それに答える。
「信じられるか? フェリェの奴、俺がキーロのことを好きだっていうんだぜ。おかしいよな。ははは!」
から笑いの後、問いの声が動揺する。
「え……?」
うん?
おかしいな。
どうして、純粋な精神世界の声が、隣から聞こえてくるんだ?
俺は瞑想を中断して、両眼を開けた――。
「――あ。……うそ、だよな?」
そして、言葉を失う。
俺の隣には、キーロがいた。
実物だ。
観念的な存在ではなく、実現的な存在が、そこに突っ立っている。
そして、当惑している。
「……それは。……どういう、こと……なの? ザザ?」
揺らぐキーロの瞳と眼が合う。
紫の瞳は、俺の姿をしかと映していた。
「……あ。え、えーーと……」
俺は、自分を叱咤する百通りの語彙を思いついた。
でも、そんなことで時間は巻き戻らない。
――やってしまった。
(続く)




