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妹の代わりに嫁ぎましたので、嫁入り支度はもう縫いません  作者: 綾瀬つむぎ


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8/23

第8話 亡くなったのは、支度のほうでした

 蔵は北の壁際にありました。


 半分が地面に埋まっていて、扉は鉄。鍵はバルトが持っておりました。開けるとき、蝶番が鳴りました。三年ぶりだそうです。


 中は暗く、空気が動きません。動かない空気は、匂いを溜めます。入った瞬間に分かりました。あの匂いです。納戸で嗅いだものより、ずっと濃うございました。


 旦那様が灯りを掲げました。


 櫃が三つ、並べて置いてありました。


    ◇


 どれも樫です。うちのものより新しく、金具も凝っておりました。左のものは蓋に彫りが入っております。真ん中のは角に真鍮を打ってある。右のは飾りが少ない代わりに、板が厚うございました。


「マルグリット。イルゼ。アンナ」


 旦那様が、左から順に名を言われました。


「三人とも、生きている」


 わたしは灯りのほうを見ました。


「――生きて、いらっしゃるのですか」


「実家に戻っている。マルグリットは去年、子が生まれたと聞いた」


 風の音が、扉の隙間から入っておりました。


    ◇


「開けてくれ」


 言われて、わたしは左の櫃の前にしゃがみました。


 金具は錆びておりました。錆びた金具は、無理に引くと板ごと持っていきます。目打ちの背で錆を落として、少しずつ動かしました。


 蓋が上がりました。


 ――ああ。


 声は出しませんでした。


 いちばん上に婚礼衣装が畳んでありました。絹です。上等な絹でした。それが、灰色に変わっておりました。全体が均一に灰色なのではありません。折り目に沿って黒い線が走り、線の周りが白く粉を吹いて、そのあいだの地の色だけが元のままなのです。


 指をかけて持ち上げようとしました。


 持ち上がりませんでした。折り目のところで、繊維が切れております。持ち上げると、そこから分かれる。布ではなく、布の形をした灰のようなものでした。


 わたしは、その下も見ました。


 肌着が五枚。うち二枚は、まだ形を保っております。絹ではなく麻だったからです。麻は絹より丈夫で、腐るのに時間がかかります。ただ、二枚とも脇の下が抜けておりました。脇は縫い代が三枚重なる場所で、重なったところは乾きにくいのです。


 卓布は無事でした。いちばん上でも下でもない、真ん中に入っていたからでしょう。


 つまり、全部が駄目になったのではありません。置いた場所と、布の種類と、重なりの厚みで、駄目になる順番が決まっております。順番があるということは、防ぎようがあったということでございます。


 二つ目も、三つ目も、同じでした。


 真ん中の櫃は、いちばんひどうございました。褥布が下のほうに詰めてあって、その重みで空気が抜けなくなったのでしょう。底に近いほうは、布と布がくっついて一つの塊になっておりました。


 右の櫃だけ、少しましでした。板が厚かったからです。厚い板は外の湿りを通しにくい。それでも中身の半分は駄目になっておりました。板を厚くするというのは、遅らせるだけの手でございます。


    ◇


「これが、呪いだ」


 旦那様がそう言われました。


 わたしは膝をついたまま、聞いておりました。


「この土地は、冬に湿る。石が水を出す。外は乾いていても、蔵の中は違う。──三人とも、王都から櫃を持ってきた」


 絹と、麻。どちらも南の布でございます。


 この国では、嫁いだ娘の支度は三代もつものとされております。娘の代、子の代、孫の代。だから婚礼のあと、櫃はしまわれます。しまって、節目に出して使う。三代もつという前提で、しまい方の作法ができております。


 その作法は、乾いた土地のものでした。


「一年めの春に、マルグリットの家から人が来た。櫃を検めて、帰って、それきりだ」


「……検めて」


「支度が駄目になれば、嫁いだ先の扱いが悪いことになる。あるいは、娘が手入れを怠ったことに」


 旦那様は灯りを持ち替えられました。


「どちらにしても、家の恥だ。マルグリットは呼び戻された。イルゼも、アンナも」


「――お引き止めには」


「した」


 それだけ言って、黙られました。


    ◇


 わたしは三つの櫃を、順にもう一度見ました。


 中身の詰め方が、三つとも同じでした。重いものが下、軽いものが上。油紙なし、灰袋なし。悪い詰め方ではありません。王都の作法どおりです。王都なら、これで三代もちます。


 誰も間違えておりません。


 誰も間違えていないのに、三度とも同じことが起きて、三人とも戻された。そして「呪い」という名前がつきました。名前がつくと、人は原因を探すのをやめます。


 ――それで、十年。


「なぜ、どなたにも仰らなかったのですか」


 旦那様は答えられませんでした。


 しばらくして、こう言われました。


「言えば、布のせいだと言うことになる。布を持たせたのは、あちらの家だ」


 実家を責める形になる。それを言えば、戻された娘の立場がなくなります。


 この方は十年、呪われた男でいらしたのです。そのほうが片付くからでございます。


    ◇


 わたしは灯りを借りて、蔵の壁を見ました。


 石積みで、目地は漆喰。床から二尺ほどの高さに、白い線が横に走っております。水がそこまで上がって、そこで止まって、乾いた跡です。毎年、同じ高さまで上がるのでしょう。


 櫃は三つとも、床へ直に置いてありました。


 床に直に置くと、底板が地面の冷たさをもらいます。冷たいものの表面には、空気の中の水がつきます。冬の窓と同じでございます。櫃の底の内側は、外から見えないまま、ずっと濡れていたはずです。


 台に載せて、床から一尺離すだけで、まるきり違ったと思います。


 それだけのことで、と言いたくなりますが、それだけのことを知らなければ、知りようがありません。この土地に縫い手がいれば、誰かが言ったでしょう。縫い手はおりませんでした。


    ◇


 帰り際、わたしは真ん中の櫃の底に手を入れました。


 塊になった褥布を、少しだけ動かしてみたのです。動かないと思っておりました。動かなければ、それはもう布ではなく、捨てるほかありません。


 いちばん下の一枚が、剥がれました。


 黒くなっておりましたが、まだ布の形をしております。持ち上げて、灯りへ寄せました。脇の縫い代が残っております。


 わたしは指の腹を、そこへ当てました。


 糸の盛り上がりが、ありました。


 三度返して、小さな結び目をひとつ。


 ――母の形。


 わたしの手が止まったのを、旦那様が見ておられました。


「どうした」


 わたしは、すぐには答えられませんでした。


 この櫃はイルゼ様のものです。イルゼ様は王都のどこかの家の娘で、わたしとは縁もゆかりもありません。その方の支度の、いちばん底の一枚に、母から教わったのと同じ形が入っております。


 母はヴァルトハイムの縫い手でした。よその家の支度を縫うことはありません。


 では、これを縫ったのは、誰でしょう。


「……いえ」


 わたしはその一枚を畳んで、腕に抱えました。持って出るとは言いませんでしたが、旦那様は何も仰いませんでした。


 外へ出ると、空気が違いました。蔵の中より、外のほうが乾いております。冬の外気は水を持てないのです。持てないから、中へ入って暖まった瞬間に、持てるようになる。屋敷の中がいつも湿っているのは、そういう理屈でございます。


 バルトが鍵をかけながら、こちらを見ました。


「奥様。お顔の色が」


「蔵は冷えますので」


 嘘ではありませんでしたが、本当でもありませんでした。


 腕の中の一枚は、黒くて、重くて、かすかに匂います。イルゼ様という方が、王都から持ってこられたものです。その方の家の縫い手が縫って、この蔵で十年近く放って置かれた。


 誰が縫ったのか、この布に聞くことはできません。


 できることは、裏を見ることだけでございます。


 蔵の扉が閉まって、鉄の音が壁に響きました。

布は、裏に本当のことが書いてあります。


嫁いだ娘の支度は三代もつ、というのは乾いた土地の話でした。しまい方の作法も、乾いた土地のものでした。誰も間違えていないのに三度とも同じことが起きると、人はそれに名前をつけて、原因を探すのをやめます。


次話、王都から二通目の手紙が届きます。差出人は継母ではありません。


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