第7話 支度が間に合わないそうです
冬前の最後の行商が入ったのは、十日ほどしてからでした。
橇が三台、中庭に並びました。塩と、鍋と、鉄の道具と、油。この土地は雪が閉じると春まで人が通りません。ですからこの日に買えなかったものは、四か月ございません。
わたしは前の晩に、バルトへ紙を一枚渡しておりました。
書いてあったのは、麻糸の太さが三種と、目の細かい晒し布を反で二つ、それに酢でございます。酢は洗いに使うものでございます。黴の出はじめた布を、薄めた酢で拭いてから乾かすと、進みが止まる。止まるだけで、消えはしません。それでも、進まないというのは大きいことです。
紙を渡したとき、バルトはしばらく黙って読んでおりました。
「奥様。この屋敷は、これまで酢を年に一樽しか取っておりませんでした」
「足りますか」
「足りません。三樽にいたします」
砦じゅうの人が出てきて、荷を検めておりました。グレーテが樽の数を数えて、バルトが帳面を持って横に立っております。
わたしは工房で褥布を裁っておりました。
納戸から出した五組のうち、戻せると見た五組ぶんです。黒い点の出た部分を切り落として、残った布を継ぎ直すのです。継ぐと寸法が足りなくなりますので、足りないぶんは端をつめて、小ぶりの褥布として仕立て直します。大きいものが五組減って、小さいものが五組増える。それだけのことでございます。
継ぎは、まず切る場所を決めるところから始まります。
黒い点は、見えているところだけではありません。周りの繊維がもう弱くなっております。ですから点から指一本ぶん外側で切ります。惜しんで際で切ると、半年でそこからまた出ます。
切ったら断ち目をすぐ始末します。麻の断ち目は放っておくと糸がほどけます。折って、押さえて、細かく留める。ここを飛ばすと、洗うたびに幅が減ります。
継ぎ目は縦に取ります。横に継ぐと、寝たときに背中へ線が当たります。縦なら体の脇に来ますので、当たりません。同じ一本の縫い目でも、どこへ置くかで着心地が変わります。
鋏を入れながら、開けた扉から中庭の声が聞こえておりました。
◇
「王都はいま、塩が上がってましてね」
行商人の声は大きく、よく通ります。四か月ぶんの話をこの一日で使い切ろうとしているような話し方でした。
バルトが帳面を見ながら相槌を打っております。
「今年は北の道が早く閉まりそうでしてね。ええ、あと十日ってところでしょう」
「その前に来ていただけて助かりました」
「いやいや。──ああ、それでね、王都で面白い話がありましてね」
わたしは布の耳を折って、しるしを付けておりました。
「ヴァルトハイムの伯爵家。ご存じで?」
鋏の刃が、布の途中で止まりました。
「下のお嬢さんが、五度目の縁談だったんですがね」
わたしは止めた手を、そのまま動かしました。ここで止めると、折った耳がずれます。ずれたところで裁つと、仕立てたときに歪みます。
「それが、流れましてね」
「ほう」
「支度が間に合わないんだと。信じられますか。伯爵家ですよ」
◇
バルトが何か聞き返して、行商人が答えておりました。声はよく聞こえます。
櫃が出せなかったのだそうです。
先方の家は日を決めて、支度の検分を待っておりました。ところが当日になって、ヴァルトハイム家から使いが来て、もう十日待ってほしいと言った。先方は待った。十日後にまた使いが来て、もう半月と言った。
二度目で、先方が断ったそうです。
支度が出せないというのは、この国では、家に金がないという意味です。あるいは、家の中がまとまっていないという意味です。どちらにしても、縁を結ぶ相手として不安がある。
「もっとも、あの家は前の四度も妙な話でね。まとまっては壊れ、まとまっては壊れ」
「壊れる家でございますか」
「いやそれがね、支度だけは毎度いいって評判だったんですよ。ヴァルトハイムの櫃はいい、と。それが急に出せなくなった」
行商人は笑っておりました。
「不思議なもんですね。人は変わってないのに」
◇
支度を一式こしらえるのに、どれだけかかるか。
布を買い集めるのに、まず十日はかかります。同じ染めの麻をまとまった量そろえるのは、王都でも簡単ではありません。染めの釜が違えば色が違い、色の違う布を一つの櫃に入れると、それだけで格が下がります。
裁つ前に、水を通します。仕立ててから縮まないように、先に縮ませておくのです。これに三日。乾かして、皺を伸ばして、また三日。
裁ちが二日。あとは縫うだけですが、二十八点ございます。縫い手ひとりで、朝から晩まで、七十日。
人を雇えば早くなる、というものではありません。縫い目は人ごとに癖が出るのです。二人で縫った櫃は、二人で縫ったと分かる。分かる櫃は、格が下がります。
ですから、十日待ってほしい、というのは何の意味もない申し出でございます。半月でも同じです。ヴァルトハイム家は、七十日を用意しなければならなかった。
用意できなかったのは、七十日ぶんの手が、この家にはもうないからです。
◇
わたしは布を裁ち終えました。
五枚。しるしどおりに切れております。手が止まらなかったのは、たぶん、止め方を知らなかったからだと思います。十年、こういう話を聞きながら手を動かしてまいりました。
布を畳んで、縁を揃えて、明日の縫いのぶんを分けました。
それから、少しのあいだ座っておりました。
嬉しいのだろうか、と自分に聞いてみました。よく分かりませんでした。留飲が下がるという言葉がありますが、下がっているような感じはありません。ただ、思っていたより静かでした。
――わたしは、何もしておりません。
本当に、何もしていないのです。手紙に返事を書かなかっただけで、それは何かをしたことにはなりません。
あの家の縁談を通していたのは、わたしの縫った櫃でした。それを、この十年、誰も言葉にしませんでした。言葉にしないでいるうちは、そういうことになっていないのと同じです。
いま、はじめて数字になりました。十日と、半月と、断り。
◇
夕方までに、五枚を縫いました。
縫っているあいだ、行商人の声が中庭から工房へ届いておりました。塩の値。鉄の値。南の街道で橋が落ちた話。どの話も同じ調子でした。ヴァルトハイムの話も、その並びの一つでございます。あの人にとっては、四か月ぶんの話のうちの一つ。
王都では、たぶんもう少し長く話されているのでしょう。支度の出せない伯爵家というのは、噂として使いでがあります。
継母は今ごろ、二通目を書いておられるかもしれません。
あるいは、まだ書いておられないかもしれません。二通目を書くというのは、一通目が届かなかったと認めることでございます。あの方は、そういう認め方をなさらない。
わたしは五枚目の糸を止めて、鋏で切りました。
◇
夕方、旦那様が工房へ来られました。
今度は用がおありのようでした。入口で止まらずに、裁ち台のところまで来られました。
「行商の話を聞いたか」
「はい」
「あれは、あなたの実家か」
「ヴァルトハイムでございます」
旦那様はしばらく黙っておられました。慰めの言葉を探しておられるのではないと思いました。この方は、そういう探し方をなさいません。
「支度は、あなたが縫っていたのか」
「はい」
「全部か」
「四度ぶん、全部でございます」
もう一度、間がありました。窓の高いところが暗くなって、外で風が鳴っておりました。
「見せたいものがある」
「はい」
「今日でなくてよい。明日、蔵を開ける」
「蔵、でございますか」
旦那様は答えずに、扉のほうへ歩いていかれました。それから立ち止まって、こちらを見ずに言われました。
「三つある」
布は、裏に本当のことが書いてあります。
黒い点の出た褥布は、点のところを切り落として継ぎ直せば戻ります。ただし寸法は減りますので、大きいものが五組減って、小さいものが五組増えます。減った寸法は帰ってきません。
次話、蔵には支度箱が三つ置いてあります。三人ぶんです。ユーリアはその蓋を、一つずつ開けます。
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