第5話 裏を見ます
娘はヘルガと申しました。
北の谷で羊を飼っている家の子で、来月に麓の村へ嫁ぐのだそうです。抱えてきた麻は母親の形見で、羊毛は自分の家で紡いだもの。二枚を合わせて婚礼の上衣にしたい、と言うのです。
わたしは両方を裁ち台に広げました。
麻は薄く、目が詰まっております。よく晒してあって、生成りというより白に近い。羊毛のほうは厚くて、撚りが太く、脂が残っています。手に取ると重い。同じ大きさに切っても、目方は三倍あるでしょう。
「これ、合わせちゃいけないんですか」
「合わせてはいけません、ということはございません。ただ、そのまま縫うと一度目の洗いで歪みます」
「歪む」
「羊毛は縮みます。麻は伸びます。逆の方へ動くのです」
ヘルガの顔が曇りました。
◇
布は洗うと動きます。動かない布はありません。
麻は水を吸うと繊維が膨らんで、乾くときに縮みます。ですが縫って仕立ててあると、縫い目に引かれて縮みきれず、結果として少し伸びた形で落ち着きます。羊毛は違います。水と熱と揉みが揃うと、繊維の表面の鱗が絡み合って、二度と戻りません。一度で二分縮むこともございます。
二分というのは、袖の丈でいえば指一本ぶんです。
片方が伸びて片方が縮むと、縫い目のところに力が集まります。集まった力は、いちばん弱いところへ逃げます。たいていは糸が切れるか、布が裂けるか、どちらかです。
わたしは両方の端を、指幅四つぶんの正方形に切りました。
切る前に、糸を数えます。縦糸と横糸を、指幅一つのあいだに何本通っているか。麻は縦が二十六、横が二十四。羊毛は縦が十二、横が十一。これを控えておいて、乾いたあとにもう一度数えます。本数が変わっていなくても、幅が縮んでいれば、糸そのものが太ったということです。
それから湯につけました。
「これを乾かすと、どれだけ縮むか分かります。羊毛のほうも同じことをします。数を出してから決めましょう」
「そんなことするんですか」
「いたします。当てずっぽうで裁つと、布が減るだけですので」
布は減ります。裁ち間違えた布は、もう元の大きさには戻りません。だから縫い手の仕事の半分は、布を切る前に終わっております。切ったあとにできることは、ほとんどありません。
ヘルガは裁ち台の前にしゃがんで、切れ端が乾くのを見ておりました。乾くのに二日かかると言っても、動きませんでした。しゃがんだまま、ぽつりと言いました。
「母のなんです。麻のほう」
「はい」
「うち、羊しかないから。母は南から来た人で、これだけ持ってきたんです」
わたしは針山の針を数えました。数える必要はありませんでしたが、手を動かしていたかったのです。
麻をもう一度、明かりから外して見ました。
晒しがよく効いております。この白さは一度や二度の晒しでは出ません。何度も水に晒して、そのたびに乾かして、を繰り返した布です。手間の量がそのまま白さになっている。それだけの手間をかけて仕立てた布を、娘に持たせて北へ寄越したということでございます。
端のほうに、細かい継ぎが一か所ありました。目立たない色の糸で、縦に二寸ほど。破れを繕った跡です。繕い方が丁寧でした。表からはほとんど分かりません。
この布を織った人か、繕った人か、どちらかは、裏を見る人だったのだと思います。
◇
二日おいて、数が出ました。
麻は乾いて一分五厘。羊毛は二分二厘。差は七厘でございます。
この差を、表で吸わせようとしてはいけません。表で吸わせるというのは、あらかじめ縫い目をずらしておいて、洗ったあとに合うようにする、という考え方です。理屈は通りますが、一度しか合いません。二度目の洗いでまた動きます。
わたしはヘルガを呼んで、二枚を裏返して並べました。
「裏を見ます」
「裏」
「羊毛の裏に、麻を細く裁って渡します。三寸おきに、横に一本ずつ。縫いつけるのではなく、渡すだけです。指一本ぶんの緩みを持たせて」
「緩ませるんですか」
「はい。羊毛が縮もうとすると、その麻が突っ張って止めます。麻が伸びようとすると、羊毛が引き戻します。互いに引き合わせるのです。表からは何も見えません」
ヘルガは裏地を裏返したまま、しばらく黙っておりました。
「表は、どうなるんですか」
「表は、麻と羊毛が並んでいるだけの上衣です。誰も何もいたしません」
「じゃあ、誰も分かんないじゃないですか」
「分かりません」
わたしは細く裁った麻を、羊毛の裏へ一本ずつ渡しました。三寸おき。緩みは指一本。留めるのは端の二か所だけで、真ん中は浮かせておきます。浮いているところが、動く余地でございます。
布に必要なのは、動かないことではありません。動いてよい場所を、こちらで決めておくことです。
渡し終えてから、上衣の形に裁ちました。
羊毛は肩と背中に、麻は前身頃と袖の内側に置きます。重いものを上に、軽いものを前に。逆にすると、着たときに前へ引かれて、一日でうなじが痛くなります。婚礼の衣装は一日しか着ませんが、一日じゅう着るのです。
縫い合わせは本縫いにしません。麻と羊毛の境目は、片方の縫い代を折り伏せて、上から千鳥に留めます。千鳥は糸が斜めに渡りますので、真っ直ぐの縫いより伸び縮みに強い。強いと言っても、糸が伸びるわけではありません。斜めに渡っているぶん、引かれたときに角度が変わる余地があるというだけです。
余地。結局、そればかりでございます。
◇
仕上がりは夕方でした。
ヘルガは上衣を羽織って、袖を上げたり下ろしたりしました。重さが片寄っていないか確かめているのでしょう。この子は羊を扱う子ですから、着るものの重さには敏感なのだと思います。
「軽い」
「羊毛は肩へ、麻は前へ落としましたので」
「あの、お代は」
「今度、毛糸を少し分けてください。この土地の、洗いを軽くしたものを」
ヘルガは頷いて、それから思い出したように言いました。
「あの、聞いていいですか。うち、母の形見だから大事にしてるんですけど、こういうの、ほかの人も直してもらえますか」
「持ってきていただければ」
娘が帰ったあと、わたしは裁ち屑を集めました。
麻の細い切れ端が十七本ぶん。捨てずに、糸巻きの箱へ入れておきました。裏へ渡す布は、いくらあっても足りません。
それから帳面に、今日の数を書きました。麻一分五厘、羊毛二分二厘、差七厘。この土地の羊毛の縮み方を、はじめて自分の手で測った数でございます。
王都で覚えた数は、王都の布のものでした。同じ羊毛でも、洗いが違えば脂の残り方が違い、脂が残っていれば縮み方も変わります。ヘルガの家の羊毛は、村の店で見たものよりさらに脂が多うございました。
――ここの数を、一から取り直さないといけない。
寝具十七組、幕四枚、卓布十四枚。あの帳面に書いた順番は、王都の数で立てたものです。冬までに半分、と見積もりましたが、その見積もりの根拠が、いま崩れました。
わたしは新しい頁を開いて、いちばん上に「この土地の数」と書きました。
下に一行だけ、麻と羊毛の数字を書き入れて、あとは空けておきました。埋まるまでに、何枚の布を測ることになるのか見当もつきません。
◇
その晩、バルトが手紙を持ってきました。
「王都からでございます」
受け取って、裏を見ました。
封蝋がありません。糊で留めただけです。急いだのではなく、蝋を使うほどの相手ではないという意味でございます。差出人の名は書いてありませんでしたが、字は知っておりました。
わたしは灯りのそばで、それを開きました。
布は、裏に本当のことが書いてあります。
麻は乾いて縮み、羊毛はもっと縮みます。差が出るところに力が集まって、いちばん弱い場所が切れます。ですから止めるのではなく、動いてよい場所をこちらで決めておく。裏へ渡した麻は、そのための余地でございます。
次話、手紙には五度目の縁談のことと、支度を送れということが書いてあります。ユーリアは返事を書きません。
ブックマークしていただけますと、次話が届きます。




