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妹の代わりに嫁ぎましたので、嫁入り支度はもう縫いません  作者: 綾瀬つむぎ


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第42話 写せていないのは、順番のほうでございます

 帳が届きましたのは、昼を回ってからでございます。組合から運ばせるのに二刻かかっております。二人がかりでございました。


 三十七件は、一冊には収まりません。四冊でございます。


 書記が卓の上へ並べました。緑の羅紗の上に四冊。その隣へ、リンデ様が手控えを置かれます。


    ◇


 二冊が並びました。片方は組合の帳。表紙が革でございます。角が金具で留めてございます。


 片方は麻紙を綴じた帳面。表紙はございません。いちばん上の紙が、そのまま表紙になっております。


 母の修業帳と同じ作りでございました。


    ◇


「リンデ殿」


 ホルスト様が、口を開かれました。


「その帳面は、何でござる」


「帳付けの手控えでございます」


「組合のものか」


「わたくしのものでございます」


「三十年、帳へ書きましたその日に、こちらへも書いております。書いた日と、順と、その日の墨を」


「墨を」


「はい。摺り置きを使ったか、新しく摺ったか。摺り置きは、二日目から色が沈みますので」


 ホルスト様が手控えを取り上げられました。開いて、しばらくご覧になっております。それから書記のほうへ回されました。


「読み上げよ。十一年前の秋のところを」


    ◇


 書記が読み上げました。


 <十月三の日。晴れ。新しく摺る。>


 <四十番より五十一番まで、十一。まとめて入れる。>


 <届け出の年は、二十四年前および二十三年前。控えの束より写す。>


 <親方の指図でございます。>


    ◇


 広間が、静かでございました。窓がひとつだけ開いております。通りの音が入ってまいります。荷馬車が一台、通り過ぎてまいりました。


 十月三の日でございます。辺境で板を打つ日でございました。去年も、今年も、その前も。風の音が低くなって間が長くなった翌朝でございます。


 十一年前のその日に、王都では十一の行が埋められておりました。


 同じ日に、わたしは十一で、母の葬りが済んだばかりでございました。


「ヴァイス殿」


「はい」


「帳の四十番から五十一番まで、開けられよ」


    ◇


 ヴァイス様が二冊目を開かれました。書記が卓を回されます。こちらからも見えるように置かれました。


 わたしは、そこへ目をやりました。行が並んでおります。番号と、形と、寸法と、年と、名前。


 行の間隔は上から下まで同じでございました。この方の手でございます。三十年、同じ息で書いてこられました。


    ◇


 けれど、十一行だけ、黒が違いました。


 上の三十九番までは少し薄うございます。褪せているのではございません。もとの黒が違います。


 四十番から五十一番までの十一行は、その下の五十二番より黒が沈んでおりました。沈んだ黒は、摺り置きの黒ではございません。新しく摺った黒でございます。


 墨の黒は、二日目から沈みます。摺ってすぐは、粒が細こうございます。細かい粒は光を返します。返すぶん、明るう見えます。


 置きますと、粒が寄ります。寄った粒は光を返しません。返しませんので、黒が深くなります。同じ墨でも、摺った日と使った日が離れますと、乾いたあとの色が変わります。


 字の形は、いくらでも似せられます。行の間隔も、同じ息で書けば揃います。


 墨は、似せられません。その日に摺ったか、置いたものを使ったか。それは、書いた日そのものでございます。


「ホルスト様」


 リンデ様が、そう呼ばれました。


「十一年前の十月三の日に、わたくしは墨を新しく摺っております。前の日まで、三日ぶん摺り置きを使っておりました」


「なぜ、新しく摺った」


「十一行、続けて書きますので。摺り置きでは足りません」


「その十一行は、いつの届け出でござる」


「帳には、二十四年前と二十三年前と書いてございます」


「書いたのは」


「十一年前の、十月三の日でございます」


    ◇


 ヴァイス様が帳の上へ手を置かれました。置いて、動かれません。


 わたしは、その手を見ておりました。昨日、宿の広間で十を数えるあいだに四十七番を縫われた手でございます。


 この方は形を写せます。裏も写せます。糸の太さも、返しの数も、結び目の向きも。


 写せなかったものがひとつだけございました。


    ◇


 順番でございます。


    ◇


「ヴァイス殿」


 ホルスト様が、静かに申されました。


「不備を正すと申されたな」


「……はい」


「この十一件は、書式の不備ではない」


「届け出のあった日から十三年後に、届け出のなかった名で書き入れておる」


「はい」


「これは、不備と申さぬ」


 ヴァイス様はしばらく黙っておられました。それから帳の上の手を退けられます。


「存じませんでした」


「うむ」


「帳を最初から見ましたときに、日付は見ております。墨は見ておりません」


「ブルーメ殿」


 ホルスト様が、右手の端をご覧になりました。ブルーメ様が立たれます。立つのに時間がかかっておられました。


「十一年前の十月三の日、そなたが指図をしたか」


「……いたしました」


「なぜ、その日に」


 ブルーメ様は卓のほうをご覧になっておられます。わたしのほうは、ご覧になりません。


「その年の秋に、アニェスが亡くなりました」


 広間の音が、また変わりました。


「あれが生きておるあいだは、帳へ入れませんでした」


「なぜでござる」


「……分かりません」


 ブルーメ様は、そこで一度口を閉じられました。それから、こうおっしゃいます。


「入れれば、あれが見に来ると思っておりました」


 わたしは、そのとき、母のことを考えておりました。母は、見に来なかったと思います。


 母は伯爵家の奥におりました。工房の帳を見に行く道がございません。行けば家の者に知れます。


 けれど、この方はそうお思いになりませんでした。二十三年前に工房を出た縫い手の一人を、十三年のあいだ、この方は気にしておられたのでございます。


「詫びるつもりはございません」


 ブルーメ様は、そうおっしゃいました。


「あれが出ていったあと、工房を回してまいりました。回すのに、あの形が要りました」


 わたしは、何も申しませんでした。申し上げることがございません。


 この方は、去年の卓で自壊しておられます。今日は、もう一度おっしゃっただけでございます。


    ◇


 ホルスト様が四冊を閉じられました。閉じて、手控えの上へ置かれます。


「本日の検分、これまでといたす」


    ◇


「組合の願い出た三十七件の登録し直しは、認めぬ」


「うち十一件は、届け出のあった年に書かれておらぬ。書かれた日と届け出の日が十三年ずれておる。これは書式の不備ではなく、帳の誤りでござる」


「誤った帳は、正す。組合の名へ揃えるのではない。届け出のあった者の名へ、書き直す」


 わたしは椅子の上で背を伸ばしておりました。伸ばしたつもりはございません。伸びておりました。


「残る二十六件については、届け出のあった日に書かれておる。これは帳のとおりでよい。ただし、届け出た者の名と帳の名が合わぬものは、合わせる」


「ホルスト様」


 ヴァイス様が、そう申されました。


「合わせますには、届け出た者が作ったという証しが要ります」


「要らぬ」


「帳付けが、届け出のあった日に、届け出た者の名で書いておる。それが証しでござる」


「……」


「その者が作ったかどうかを問うたのは、そなたでござる。帳のほうは、二十六件とも初めからその者の名で受けておる。名を工房へ書き替えたのは、あとの手でござろう」


 ヴァイス様は一礼されました。深うございます。


「承知いたしました」


「書き直しに、どれほどかかる」


 ホルスト様が、そうお聞きになりました。ヴァイス様は四冊の厚みをご覧になります。


「三十七件でございます。名を書き替えるだけでございますと、七日」


「それでは足りぬ」


「はい」


「亡くなった者の名を、どこから取る」


「……」


「九人でござる。届け出の日も、形も、控えにある。控えは、本日をもって帳の裏付けとなる」


「取れるものは取り、取れぬものは調べよ。三月やる」


「三月でございますか」


「秋までに終えよと、そなたが書いてよこした。当所は、そなたの書いた日で計る」

布は、裏に本当のことが書いてあります。


形は写せます。裏も、写そうと思えば写せます。糸の太さも、返しの数も、結び目の向きも、読める人には読めます。写せないものがひとつだけございます。順番でございます。先に書いたものを、あとから書いたことにはできません。墨のほうが、その日を覚えておりますので。


次話、部の終わりでございます。帳に、名前が書き入れられます。


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