第39話 九人は、もう亡くなっております
昼を過ぎて、裁定所から使いがまいりました。明日の前に、控えを一度お預かりしたいとのことでございます。
当日に初めて出されたものは、その場で見るだけになります。前の日に預けておけば、立会が目を通しておけますので。
わたしは十四枚を包んで、宿を出ました。
◇
裁定所は、大通りの北側でございます。石の建物で、窓が高うございます。中は暗く、灯りが昼から点いておりました。
通されたのは、卓が一つと椅子が四つの部屋でございます。壁の高いところに棚がございました。書付を綴じた束が、背を外へ向けて並んでおります。背に年が書いてございます。
いちばん手前の束が、去年でございます。あの中のどこかに、辺境の広間で開かれた検分の書付がございます。
卓は、天板の真ん中がわずかに窪んでおりました。物を置いて、押して、引く。それを長いこと繰り返した窪み方でございます。
ホルスト様が入ってこられました。去年、辺境の広間へお見えになった方でございます。一年で、髪が白くなっておられました。
「オストマルクの奥様」
「ホルスト様」
「去年ぶりでございます。あのときは、こちらが伺いました」
「はい」
「今度は、お越しいただくことになりました」
わたしは包みを卓へ置いて、紐を外しました。十四枚を、日付の順に並べます。
ホルスト様は、一枚ずつ手に取られました。取って、目の高さまで上げて、透かしておられます。紙を透かすのは、漉きの目を見るためでございます。同じ工房で漉いた紙は、簀の目が同じでございますので。
「九枚は同じ紙でございますな」
「はい」
「三枚は薄い。二枚は、洗って使っております」
ホルスト様は、二枚を並べて置かれました。
「奥様。この二枚は、裏に前の字の跡がございます」
「はい」
「洗った紙は、跡が完全には消えません。跡の字が何であったかによっては、いつ書かれたものかが分かることがございます」
わたしは、そこで顔を上げました。
「分かりますか」
「分かりません」
「……」
「読んでみましたが、二枚とも、値と数でございました。買い物の控えでございましょう。年は書いてございません」
ホルスト様は、十四枚を元の順に戻されました。戻し方が丁寧でございます。この方は、去年もそうでいらっしゃいました。
「奥様。ひとつ、お伝えしておくことがございます」
「はい」
「昨日、組合へ照会をいたしました。この十四の名について、いま王都におられるかどうかを」
「……ヴァイス様に」
「はい」
「あの方は、その日のうちに書付をよこされました」
ホルスト様は、卓の脇の紙の束から一枚を抜かれました。こちらへ回されます。
「隠されるかと思っておりました。隠されませんでした」
名前が十四、書いてございます。名前の下に、それぞれ一行。
◇
アニェス ―― 十一年前 没
◇
わたしは、そこから下を、順に読みました。
二十二年前 没。十九年前 没。十七年前 没。十四年前 没。
九年前 没。九年前 没。六年前 没。四年前 没。
九つでございました。いちばん古い没年が二十二年前でございます。控えを書かれてから、一年ののちでございました。
届け出が通らなくて、その一年後に亡くなっておられます。
二十二年前に亡くなった方の形が、いまも王都のどこかで縫われております。組合の帳に載っておりますので、載っている形として、誰かが縫っております。縫っている方は、この名前をご存じございません。
残る五つのうち、二つはローゼ様とグレータ様でございます。あとの三つには、住まいが書いてございました。王都の中でございます。ご自分の届け出で、ご自分の意匠を登録しておられる三人でございます。
わたしは、その三人へ宿場から手紙を出しております。返事は、王都へ着いてから宿へ届いておりました。三通とも来ております。
二通は、お断りでございました。
書いてあることは、二通ともほとんど同じでございます。ご事情は分かる。けれど、自分は組合に登録を持っている。明日の卓に立って組合と向かい合うことは、できない。
わたしは、それを読んで、腹を立てておりません。この方々は、二十九年前に届け出が通らなかった側でございます。通らなかったあと、もう一度出して、二度目に通っております。
二度目を通すのに、何年かかったのか。通ってから、何を守ってこられたのか。守っているものがある方に、明日それを危なくしてくださいとは、申せません。
三通目には、書付が一枚、同封してございました。
<二十四年前の春、わたくしは届け出を出しました。通りませんでした。控えを書いたのはわたくしでございます。>
<卓へは出られません。この紙だけ、置いてまいります。>
名前と、日付が書いてございました。
「奥様」
「はい」
「明日、卓の前に立たれるのは」
「三人でございます」
わたしと、ローゼ様と、グレータ様。それから、書付が一通。
十四人のうちの、二人でございます。
ホルスト様は、しばらく何もおっしゃいませんでした。それから、卓の上の九つの「没」をご覧になります。
「十四のうち、九つが亡くなっております」
「はい」
「明日、この九人の分は、どなたも申し上げる方がおられません」
九人の分を申し上げられる方は、この世に一人だけおられます。四十七番を含む十一の行を、ご自分の手で書かれた方でございます。
その方が王都のどこにおられるかを、わたしは存じません。手紙も出しておりません。
来られるかどうかを、考えないことにしておりました。考えれば、待つことになります。待ってしまえば、来られなかったときに、わたしはあの方を恨みます。
◇
わたしは、そのとき、紙を一枚いただけないかと申しました。
ホルスト様は、抽斗から一枚出してくださいます。
わたしは、そこへ九つの名前を書き写しました。
書き写すというのは、写す先を作るということでございます。母は、十四枚を持って工房を出ました。持って出て、自分の褥布の芯地へ縫い込みました。
縫い込んだのは、その十四人が自分で書いた紙でございます。母がお書きになったものではございません。
母は、写しませんでした。持って出て、そのまま守りました。
◇
わたしは、写します。
母のやり方ではございません。けれど、母は二十三年、誰にも渡しませんでした。渡さないままで、亡くなりました。
渡さなければ、なくなりません。
なくなりませんが、増えもいたしません。
母がなぜ写さなかったのかは、分かります。写せば、二つになります。二つになれば、片方をどこかへ置くことになります。置いた先で読まれれば、その先で何が起きるか、母には決められません。
二十三年前の母は、二十四でございました。工房を出て、伯爵家へ入る娘でございます。守れるものは、自分の手の届くところにあるものだけでございました。
褥布の芯地は、手の届くところでございます。毎晩その上で寝ておりましたので。
◇
九つの名を書いて、日付を書きました。いちばん古いのが二十九年前の届け出。いちばん新しいのが二十三年前。
没年も書きました。書きますと、その方が何歳で亡くなったのかが、だいたい分かります。
いちばん早く亡くなった方は、届け出から七年でございました。
◇
紙を折って、懐へ入れました。ホルスト様は、それを見ておられます。
「奥様。明日、その紙をお出しになりますか」
「出しません」
「なぜでございます」
「証拠になりませんので」
「ならば、なぜお書きになりました」
わたしは、少し考えました。考えてから、こう申しました。
「明日、卓に立ちますのが三人でございますと、三人ぶんの話になります」
「はい」
「十四人ぶんでございますので」
◇
宿へ戻りましたのは、日の落ちたあとでございます。一階の部屋に灯りが点いておりました。ローゼ様とグレータ様が、まだ起きておられます。
二階へ上がって、卓の上へ包みを置きました。控えは、裁定所へ預けてまいりました。卓の上にございますのは、写しのほうでございます。
◇
窓の外を見ました。通りに、人が二人。宿の前で立ち話をしております。
その向こうに、もう一人。
◇
立っておられます。
宿の戸口の、灯りの届かないところでございます。
背は低く、外套は焦茶。両手で、何か抱えておられました。
紙の束ではございません。厚みがございます。
◇
帳面でございました。
布は、裏に本当のことが書いてあります。
洗って使った紙は、前に書いた字の跡が完全には消えません。斜めから光を当てますと、墨の載っていたところだけ、繊維の締まり方が違って見えます。読めることもございますし、読めないこともございます。二十三年前に紙を洗って使った方が、その紙で何を控えたのかは、いまも紙の上に薄く残っております。
次話、リンデ様が、帳面を持ってまいりました。呼んでおりません。
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