第37話 通り過ぎました
西の門を入りますと、道の幅が変わります。街道は荷馬車が二台すれ違える幅でございます。門の内側は、四台でございました。
石が敷いてございます。敷石の目地に、細かい土が詰まっております。詰まったところから草が出ておりました。
この草は、わたしがおりました頃にはございませんでした。
◇
大通りを東へまいります。馬車の窓は閉めてございます。旦那様が、わたしの右手にお座りになりました。
右が、家のある側でございます。
通りには、店が並んでおります。三軒目が、糸を扱う店でございました。軒の下に枷が下げてございます。色は八色。数は十二枷。
わたしがおりました頃は、十六枷でございました。色は六色。枷が減って、色が増えております。染めたものが売れるようになったということでございます。
染め糸は、白より高うございます。高いほうが売れるのは、縫う人が減って、買う人が増えたときでございます。ご自分で縫う方は、白を買って必要なだけ染めます。買う方は、染まったものを少しだけ求められます。十二枷で足りるということは、この店の客は、一度に一枷も買われないのでございましょう。
五軒目は、古着でございました。軒先に、番号札を下げた品が並んでおります。札は糸で留めてございます。角のところに、四つ穴を開けて。
西の門のところの店は、ここではございません。もっと門寄りでございます。イルゼ様がおっしゃった店は、この通りに入る前に通り過ぎております。
わたしは、そちらは見ませんでした。
七軒目に、縫い手の店がございました。窓に一枚、掛けてございます。婚礼衣装でございました。
人が二人、外から見ておられます。一人は年配の女の方。一人は、若い方でございます。
馬車は速度を落としませんでした。落としませんでしたので、見えましたのは、通り過ぎるあいだだけでございます。
若いほうの方は、亜麻色の髪を後ろでひとつに束ねておられました。着ておられるのは、萌黄の一枚でございます。
裾を、下ろしてございました。
裾を下ろしますのは、丈が足りなくなったときでございます。折り返してあったところを解いて、伸ばします。伸ばしますと、そこに古い折り目の線が残ります。線は、洗っても消えません。
消すには、線のところへ別の布を細く縫い付けます。飾りに見えるように付けますと、分かりません。その方の裾には、線がそのまま出ておりました。
それから、袖でございます。肩で詰めておられません。裾で詰めた跡がございます。裾で詰めますと、次に伸ばせません。
この一枚は、もう伸ばせません。
わたしは、その方のお顔を見ませんでした。見る前に、通り過ぎておりました。
◇
――クラーラでございます。
髪の色でございます。母親譲りの亜麻色は、あの家にはあの子しかおりません。
二十歳でございます。
馬車は、坂をひとつ上がりました。窓の外は、塀でございます。石の塀が、坂の長さのぶん続きます。
塀の上のほうに、蔦が這っております。這わせておくと壁が傷みますので、年に一度は落とすものでございます。
落としてございませんでした。
ふたつめの坂の途中に、門がございます。鉄でございます。両開き。
閉まっておりました。
◇
門の内側に、中庭がございます。石が敷いてあって、真ん中に木が一本。
十一年前、その石の上に荷車が二台停まりました。積んであったのは、布でございます。母の支度、二十八点。わたしは二階の窓から見ておりました。
継母が、荷車の脇で指図しておられました。指図しておられるあいだ、一度もこちらをご覧になりませんでした。ご覧になる理由がございませんので。
◇
馬車は、速度を落としませんでした。
窓も開けませんでした。
わたしは、正面を向いておりました。
◇
通り過ぎました。
◇
旦那様は、何もおっしゃいませんでした。わたしの右手にお座りになったまま、前をご覧になっておられます。
しばらくして、こうおっしゃいました。
「蔦が」
「はい」
「落としていない」
「はい」
「三年か」
三年でございましょう。あの太さになりますのに、それくらいかかります。
旦那様は、それきり何もおっしゃいませんでした。
◇
宿は、裁定所の近くに取ってございました。着きましたのは、日の傾く前でございます。
馬車を降りて、荷を下ろします。控えの包みは、いちばん上にございました。押されておりません。麻布の角がひとつ、擦れております。
部屋へ運んで、卓の上へ置きました。包みを開けて、十四枚を数えます。旅のあいだ、四度数えておりました。これで五度目でございます。
紙は、湿っておりません。角も折れておりません。
一枚ずつ、卓の上へ広げて、風を通しました。荷の中に十四日おりましたので、紙のあいだの空気を入れ替えます。広げたまま半刻ほど置いて、それからまた巻きます。
巻きますときは、書いてある面を内側にいたします。外側にいたしますと、巻いたときに墨のところが伸びます。
◇
イルゼ様は、前の日に着いておられました。宿の一階の部屋でございます。
戸を叩きますと、中から「どうぞ」と、低い声がいたしました。イルゼ様の声ではございません。
椅子に、小柄な方が座っておられました。七十六でございます。
背は曲がっておられます。手は膝の上。ローゼ様と同じで、指の関節が太うございました。
目が、白うございます。
「グレータでございます」
「ユーリア・フォン・オストマルクでございます」
「奥様。近くへお寄りくださいますか。目がこれでございますので」
わたしは、椅子の前まで行きました。グレータ様は、手を上げられます。
わたしの手を取って、両手で挟まれました。それから、指の腹を、わたしの人差し指の第一関節の外側へ当てられます。
たこのあるところでございます。
「……ああ」
グレータ様は、そうおっしゃいました。
「縫っておられますね」
「はい」
「毎日」
「毎日でございます」
グレータ様は、わたしの手を離されました。離してから、ご自分の膝の上で両手を組まれます。
「アニェスの娘御が、毎日縫っておられる」
「はい」
「それを聞きに、四十年かかりました」
◇
その晩、ローゼ様とグレータ様は、同じ部屋で休まれました。二十九年前、王都の工房に同じ年に入られたお二人でございます。
わたしは、二階へ戻りました。階段の途中で、下の部屋から声が聞こえます。話しておられました。
何を話しておられるのかは、聞き取れません。聞き取れませんでしたが、笑い声が二度ございました。
二十九年前に同じ工房へ入って、片方は宿場で五十年、片方は男爵家で四十年。二人とも、届け出は通っておりません。二人とも、縫うのはやめておられません。
◇
卓の上に、控えの包みがございます。紐は二か所。結んでございません。
明後日でございます。
窓を開けますと、通りの向こうに灯りが並んでおります。王都の夜は、辺境より明るうございます。灯りの数が違います。
この灯りのどこかの下に、あの家がございます。坂をふたつ上がったところに。
わたしは、窓を閉めました。閉めて、明後日の支度をいたします。
控えを卓に並べる順。誰が何を申すか。ローゼ様とグレータ様の椅子の位置。書き出しますと、九ございました。
◇
九つ目のところで、手が止まりました。
――わたしは、何を申し上げるのでしょう。
去年は、一言でございました。裏を、ご覧ください。明後日、同じことを申しますと、同じものが二枚並びます。
布は、裏に本当のことが書いてあります。
裾を下ろしますと、折り返してあったところに古い折り目の線が残ります。線は洗っても消えません。消すには、その線のところへ細い布を縫い付けます。飾りに見えるように付ければ分かりません。付けずに着ておられるのは、直せる人が近くにいないということでございます。
次話、ヴァイス様と、初めてお会いいたします。
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