第36話 王都へまいります
書付は、一枚でございました。文は短うございます。裁定所の書付は、用件と日と場所しか書かないのだと、去年教わりました。
<王都縫い手組合より、ブルーメ工房名義の登録三十七件につき、書式不備を理由とする登録し直しの願い出があった。>
<昨春の四十七番の取り消しは当所の裁定によるものであり、同工房の残る登録も当所の見るところとなる。>
<よって、六月十一日、当所にて検分を開く。>
<オストマルク辺境伯夫人ユーリアは、昨春の一件の当事者として出頭されたい。>
◇
願い出をしたのは、ヴァイス様でございます。わたしではございません。わたしは何も出しておりません。手紙の返事も書いておりません。
あの方は、ご自分で裁定所へ持っていかれました。三十七件を組合の名で載せ直すには、裁定所の裁可が要ります。去年、四十七番が当所の裁定で取り消されておりますので。
通らないはずがない、とお考えなのでございましょう。書式は完璧でございます。不備を正すという願い出でございます。断る理由がございません。
わたしが呼ばれますのは、去年の当事者だからでございます。意見を申せと書いてはございません。出頭されたい、とだけ書いてございます。
◇
支度に、十九日ございました。道のりが十四日でございます。残り五日で、持っていくものを決めます。
◇
まず、十四枚の控え。
これは、紙のまま持ってまいります。巻いて、母の包み紙で包んで、紐を二か所。箱には入れません。木の箱は、湿気を吸って中へ移します。旅のあいだの湿気は、雨より汗のほうが多うございます。
油紙で包んで、その上を麻布で包んで、荷のいちばん上に置きます。下へ入れますと、押されます。
次に、写しを十四枚。
これは別の荷に入れます。同じ荷に入れますと、荷ごと失くしたときに両方なくなります。旦那様がお持ちくださることになりました。
それから、母の褥布。イルゼ様の支度箱から出した、あの一枚でございます。
持ってまいりますかどうか、迷いました。卓に並べれば、ヴァイス様の一枚と同じものが二枚並びます。並べても、どちらが先かは出てまいりません。
それでも、持ってまいります。
二十三年前に、あの人が十四枚を縫い込んだ布でございます。縫い込んだ人が、二十三年後に誰かがそれを解くと思って縫っております。解いた者が持ってこなければ、あの人の仕事は途中で終わります。
◇
人でございます。
ローゼ様。麓の宿場でございますので、下りに寄ってまいります。
グレータ様。七十六。シュタイン男爵家から、イルゼ様が馬車でお連れになります。王都で落ち合います。
残る十一人につきましては、名前しかございません。名前のうち、四つは姓がございません。工房におりました頃に姓を書かなかった方でございます。姓のない名前で人を探すのは、できないことでございます。
七つには姓がございます。そのうち三つは、リンデ様が「帳に名前がある」とおっしゃった三人でございました。ご自分の届け出で、ご自分の意匠を登録しておられる方々でございます。
その三人へは、宿場から手紙を出しました。返事はまだございません。
残りの四つは、王都へ着いてから探すことになります。二十三年前の名前でございますので、当てはございません。
◇
出立の三日前に、グレーテが工房へ来られました。
「奥様。留守は預かります」
「はい」
「今年の依頼は、十七人のうち十一人が済んでおります。残り六人は、丈詰めが四つと、褥布が二つ。褥布はわたしが縫います」
「芯は、四隅から三寸でございますよ」
「存じております。宿場のやり方でございましょう」
グレーテは、卓の上の寝かせ糸をご覧になりました。
「白い十六枷は、置いていかれますか」
「はい」
「六月に戻られるのでしたら、あと二枷は寝かせが足ります。下ろしておきます」
「お願いします」
「日付の札は、書き足しておきます。奥様の字と混ざりますと、あとで分かりませんので、こちらは裏へ書きます」
留守のあいだの布のことを、二人で紙に書き出しました。蔵の櫃は、六月に一度開けて風を通します。開けるのは晴れて三日目でございます。降ってすぐは、外のほうが湿っております。
二階の東の部屋は、昼に半刻。工房の窓は朝のうちだけ。日が回ってからは閉めます。日に当てますと、白いものが黄いろに寄ります。
寝かせ糸の棚は、壁から拳ひとつ。北の端の三枷は染めに回す。
書き出しますと、十九ございました。グレーテは、それを一度読んで、紙を返してこられました。
「覚えました」
「置いていかれませんか」
「置きますと、見ながらやることになります。見ながらやりますと、書いてないことをやらなくなります」
◇
その晩、旦那様が工房へお見えになりました。卓の上の荷を、ひとつずつご覧になります。油紙。麻布。紐の掛け方。
控えの包みを取り上げて、裏を返されました。
「紐が結んでいない」
「はい。母が、そのようにしておりましたので」
「解く者が解きやすいように、か」
「はい」
旦那様は、包みを卓へ戻されました。
「ユーリア」
「はい」
「王都は、一年半ぶりか」
「はい」
「実家の家は、どのあたりだ」
わたしは、そこで手を止めました。旦那様は、荷のほうをご覧になっております。こちらは見ておられません。
「西の門から入りまして、大通りを東へ。坂をふたつ上がったところでございます」
「裁定所は」
「……同じ大通りでございます」
「通るのか」
「通ります」
旦那様は、しばらく何もおっしゃいませんでした。それから、荷の紐をひとつ結び直されます。緩んでおりましたのを、締め直されたのでございました。
「馬車は、速度を落とさない」
「はい」
「窓も開けない」
「……はい」
「おれが同じ側に座る」
◇
わたしは、旦那様のお顔を見ました。いつもと同じお顔でございます。
この方は、去年の秋、婚礼の前に一度だけ、実家のことをお聞きになりました。あのとき、わたしは「戻りません」と申しました。それきり、お聞きになっておりません。
今日も、なぜ通るのかとはお聞きになりません。
道が一本しかないことを、ご存じでございますので。
◇
出立は、五月の末でございました。馬車が二台。荷馬車が一台。ヨハンが先頭でございます。
バルトが門のところで数えられました。
「ご出立まで、あと四つ数えます。三、二、一」
「バルト」
「ご無事に」
◇
坂を下りますと、宿場でローゼ様が待っておられました。荷は、風呂敷がひとつ。それから、縫い道具の箱でございます。
馬車へお乗りになる前に、その箱を一度、両手で持ち直されました。
「五十年ぶりに、王都へまいります」
◇
街道は、十四日でございます。六日目から、道の脇の草の丈が変わりました。辺境の草は低うございます。低いのは、風が強いからでございます。
九日目に、麦が見えました。辺境では麦を作りません。十二日目の夕方に、丘の向こうに屋根がいくつか見えました。
◇
十三日目の昼に、西の門が見えました。門は、覚えているより小そうございました。
一年半前、わたしがここから出ましたときは、荷車の後ろに座っておりました。座って、門が遠くなるのを見ておりました。晩秋でございます。
膝に載せておりましたのは、母の道具箱でございました。支度箱は十、後ろの荷車に積んでございます。妹の名前で縫った十年ぶんでございます。
あのとき、この門をもう一度くぐるとは思っておりませんでした。いま、その道具箱は荷馬車の上にございます。
中に、十四枚が入っております。
布は、裏に本当のことが書いてあります。
大事な紙を旅へ持ち出すときは、木の箱に入れません。木は湿気を吸って、中へ移します。油紙で包んで、その上を麻布で包んで、荷のいちばん上に置きます。下へ入れれば押されます。それから、写しは別の荷へ入れます。同じ荷に入れておくと、荷ごと失くしたときに両方なくなりますので。
次話、大通りを東へまいります。坂をふたつ上がったところに、あの家がございます。
ブックマークと評価をいただけますと、この工房が続きます。




