第23話 わたくしの名前で、縫いました
五十四日で、二十八点が揃いました。
わたしが縫ったのは、十九点でございます。
残りの九点は、ほかの方の手が入りました。手巾の十二枚は、ミナと村の娘が三人で。卓布はグレーテ。産着の三枚は、ヘルガの母上が縫ってくださいました。あの方は南から来られた方で、麻を扱えます。
縫い目は、人ごとに違います。
同じ櫃に別の手が入ると格が下がる、というのが王都の決まりでございました。四度ぶん、わたしはその決まりを守って、一人で縫ってまいりました。
五度目は、守りませんでした。
手巾を並べると、四つの手が分かります。
ミナの縫いは、目が大きうございます。三日で十二枚のうち五枚を上げてきましたので、速さを取ったのでしょう。速い縫いは、悪い縫いではありません。手巾は毎日使って毎日洗うものですから、直しやすいほうがよいのです。
村の娘の三人は、それぞれ目の詰め方が違いました。一人はきつく、一人は緩く、一人はその中間。
グレーテの卓布は、織り手の縫いでございました。布の目に沿って針を落とされる。縫い手は布の目を見ずに縫いますが、織り手は見ます。
ヘルガの母上の産着は、南の縫いでした。母のに似ております。似ているというより、同じ土地の縫いなのだと思います。
六十人が見ても、たぶん誰も気づきません。気づくのは、裏を見る人だけでございます。
◇
九月の末は、この土地ではもう寒うございます。
婚礼は屋敷の広間でいたしました。人が入れるだけ入って、扉を開けて、外にも立ってもらいました。村から上がってこられた方が、六十人ほど。
バルトが数えておりました。この方は何でも数えられます。
旦那様は、いつもの上着でいらっしゃいました。婚礼のために誂えたものはございません。誂える暇がなかったのではなく、要らないと仰ったのです。
ただ、襟の裏だけ、わたしが直しました。
返りが甘くなっておりましたので、芯を入れ直して、縁を始末しました。半日の仕事です。着ている方には分かりません。
式のあいだに、一度だけ名を呼びました。
「レオンハルト様」
言い慣れておりませんので、途中で音が下がりました。
この方は、そのとき初めてこちらを見られました。式のあいだじゅう、前を向いておられたのです。
「なんだ」
「いえ。呼んでみただけでございます」
バルトが後ろで、また何か数えている音がいたしました。
◇
わたしの婚礼衣装は、生成りでございました。
白くはございません。この土地の羊毛は、晒しても白くなりきりません。脂を落としすぎると水をはじかなくなりますので、そこで止めます。止めたところの色が、これでございます。
目は粗うございます。撚りは甘く、重い。王都の目で見れば、婚礼衣装には使わない布です。
妹の婚礼衣装は、櫃に入れたままにいたしました。
直せば着られました。丈を詰めて、腰を上げれば。ただ、直すと、それは直した衣装になります。四年前に三度目の縁談のために縫って、四度目に寸法を直して使い回した衣装を、五度目に自分のためにもう一度直す。
三度直した布は、そこだけ厚くなって、いちばん先に裂けます。
◇
式のあいだ、わたしはずっと裾のことを考えておりました。
昨日の晩に縫い上げたばかりで、まだ落ち着いておりません。新しい布は、着てしばらく歩かないと形が出ないのです。
人前で自分の縫ったものを着るのは、初めてでございました。
三十九人の布に手を入れて、その全部を人が着ているところは見ておりません。渡して、持って帰られて、それきりでございます。ミナの婚礼にも呼ばれておりませんでした。
自分で着てみて、分かったことがございます。
着ているあいだじゅう、縫ったところが気になります。脇が引かないか。裾が突っ張らないか。肩の重さが片寄っていないか。
――みなさま、こういう気持ちで着ておられたのだわ。
直した衣装を着るというのは、直した人のことを一日じゅう思い出すということでございました。
◇
式が終わって、人が引けてから、櫃に蓋をいたしました。
二十八点。全部、この土地の布でございます。
仕舞う場所は、二階の東の部屋にいたしました。床から一尺の台。壁が二重で、扉が二つ。昼のいちばん暖かい刻に、半刻だけ開けます。
油紙は敷きません。灰袋も入れません。
中の水を出すのに、外を塞いではいけないというのが、この一年で分かったことでございます。
蓋も、閉め切りません。指一本ぶん、隙間を開けておきます。
◇
最後に、婚礼衣装の裾の折り返しを裏返しました。
脇の下から三寸。糸は本体より一段細く。三度返して、結び目はひとつ、左へ。
昨日の晩に入れたものでございます。
十年、六十八点、そのほかにも数え切れないほど入れてまいりました。全部、他人の布でございました。
自分の布に入れたのは、これが初めてでございます。
入れながら、手が少し震えました。
震えたのは、緊張したからではないと思います。この形を入れるとき、いつも同じ場所に指を置きます。左手の親指で縫い代を押さえて、人差し指で厚みを測る。その手つきが、昨日は決まりませんでした。
自分の脇の下から三寸のところというのは、人の布で測るのと勝手が違います。
二度やり直して、三度目に入りました。
七つのときと同じでございます。あのとき、わたしは返しの向きを三度間違えました。母の帳面に、そう書いてありました。
◇
――この家のためには、もう縫いません。
一年前の晩、そう思いました。
あれから、実家のためには一枚も縫っておりません。三通の手紙に、一度も返事を書いておりません。これから先も書かないと思います。
その代わりに、三十九人の布と、屋敷の寝具十七組と、自分の支度二十八点を縫いました。
やめたのは、縫うことではございませんでした。
名前の入らない仕事を、やめたのでございます。
◇
夜、工房で灯りを消す前に、母の道具箱を開けました。
留め金の爪は、直しておきました。真鍮を焼いて、少しずつ起こして、元の形に戻しました。バルトに教わりました。この方は何でもご存じです。
中身を順に戻します。針を刺した布。目打ちが二本。へらが三枚。糸切り鋏。型紙の束。糸見本。
修業帳を、いちばん上に置きました。
置いてから、底板を起こしました。
細長い空きが、そこにございます。長さは一尺、幅は三寸。埃の形は、まだ残っておりました。
わたしはそこへ、自分の帳面を入れてみました。三冊目です。「この土地の数」が七行書いてあるものでございます。
長さが合いません。
帳面より、この空きのほうが細うございます。入るのは、帳面ではありません。
もっと細くて、長いもの。
◇
――箱でございましょうか。
あるいは、筒。あるいは、巻いた紙。
母が持ち出して、どこかに置いたものでございます。置いた先が実家なのか、王都なのか、それとも別のどこかなのか、手がかりはございません。
ひとつだけ、分かっていることがございます。
母は、あの工房を出るときに、印の位置と寸法を持って出ました。持って出たものを、わたしに教えました。教えて、四年後に亡くなりました。
持ち出したものが、それだけだとは限りません。
わたしは底板を戻して、蓋を閉めました。
留め金が、きちんと掛かりました。
◇
灯りを消して、廊下へ出ました。
窓の外は暗く、遠くで水の音がしております。屋根から落ちる音ではありません。今年はまだ雪が来ておりません。
あと半月ほどで、板を打ちます。
打てば風が止まって、屋敷の空気が動かなくなります。そのぶん、二階の東の部屋の扉を、昼に半刻開けなければなりません。
冬のあいだの仕事は、もう決めてございます。
寝かせる糸を増やすこと。グレーテのお母上の織りを、もう少し数にすること。それから、三十九人の帳面を四冊目へ移すこと。
春になれば、また道が開きます。
開けば、王都から人が来られるでしょう。誰が来るかは、分かりません。
布は、裏に本当のことが書いてあります。
第一部、これで完結でございます。ここまでお付き合いくださいまして、ありがとうございました。
一年かけて、ユーリアは三十九人の布と、屋敷の寝具十七組と、自分の支度二十八点を縫いました。実家のためには、一枚も縫っておりません。三通の手紙にも、一度も返事を書きませんでした。
やめたのは縫うことではなく、名前の入らない仕事のほうでした。
母の道具箱の底には、まだ空いたところがございます。細長い、一尺ほどの。何が入っていたのかは、ユーリアにも分かっておりません。
続きを書くかどうかは、まだ決めておりません。読んでくださる方がいらっしゃれば、そのときに。
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