第22話 自分の支度を、縫っておりません
翌朝、広間へ呼ばれました。
卓の上に、何も置いてありません。書付も、帳面も。この一年、この広間で何かを話すときには、たいてい紙がございました。
旦那様は立っておられました。
「ユーリア」
「はい」
「婚礼の日取りを決めたい」
◇
わたしは、返事をしませんでした。
できなかったのではありません。何を言うべきかは分かっておりました。分かっていて、口が動きませんでした。
旦那様は、待っておられました。
この方は待つのが上手でいらっしゃいます。話の途中で相手が黙っても、埋めようとなさいません。
「――なぜ、いま」
ようやく、それだけ申し上げました。
「一年、決めなかった。理由を言う」
◇
「三人とも、冬に駄目になった」
旦那様はそう言われました。
「支度が駄目になれば、家が呼び戻す。呼び戻される娘は、こちらが何を言っても帰る。父親が来て、頭を下げられて、それで終わりだ」
「はい」
「四人目に、同じことをさせたくなかった」
窓の外で、鳥の声がしておりました。夏でございます。板はもう外してあります。
「婚礼を挙げてしまえば、呼び戻すのは難しくなる。だから、挙げてしまえばよかった。三度目まではそう考えていた」
「三度目まで」
「アンナのときに、やめた」
◇
「呼び戻されるのが嫌なのは、こちらの都合だ」
旦那様は、卓の縁に手を置かれました。
「支度が駄目になった娘は、この土地で肩身が狭い。狭いまま、婚礼で縛られて残るのと、実家へ帰るのと、どちらがましか。――アンナの父親が来たとき、そう聞かれた」
「……なんとお答えに」
「答えられなかった」
◇
わたしは、この方が十年、日取りを決めなかった理由を、ようやく理解いたしました。
呪いを信じておられたのは、この方でございます。
布のせいだと分かっていても、直せないのなら、呪いと同じでございます。直せないものを抱えたまま四人目を迎えて、また同じ冬が来る。来ると分かっていて、婚礼を挙げて縛るのは、この方にはできませんでした。
「いまは、どうお考えですか」
「支度がもつ」
旦那様は、そう言われました。
「三代もつと、あなたが言った」
◇
「ですから、日取りを決めてよいと」
「そうだ」
「――旦那様」
わたしは、少しだけ息を吸いました。
「それは、わたしがここにいる理由が、布だということでございますか」
旦那様は、卓の縁から手を離されました。
「違う」
「では」
「布が駄目になっても、あなたは帰らないだろう」
◇
そのとおりでございました。
わたしには帰る家がございません。正しく申し上げれば、帰れる家はあるのです。三通目の手紙が机の抽斗に入っております。帰れば、迎えられるでしょう。
帰らないのは、帰る理由がないからでございます。
「あなたは帰らない。だから、日取りを決められる」
旦那様は、そう言われました。
「支度がもつかどうかは、こちらの都合だ。もたなくても、あなたは残る。残ると分かったから、こちらの都合を先に片付けた」
順番が逆でございました。
布がもったから婚礼を決めた、のではありません。わたしが残ると分かって、それでも布のことを先に片付けてから、話をしにいらした。
この方は、そういう順番でものを決められます。
板を打つ日も、麦を蒔く日も、たぶん同じでございましょう。先に自分の側の始末をつけて、それから人に声をかける。かけたときには、もう断られても困らないようにしてある。
だから短く話されるのです。長く話す必要のあることは、話す前に片付いております。
――ずるい方でございます。
こちらには、断る余地しか残っておりません。断る余地があるというのは、優しさの形をしておりますが、優しさではありません。断らないと分かっている相手にだけ、その余地は渡せます。
わたしは、この一年で三十九人の布に手を入れました。工房があり、糸を寝かせる桶があり、帳面が三冊ございます。
ここを畳んで王都へ帰る、というのは、もう選べません。
選べなくしたのは、この方ではございません。わたしでございます。
◇
「日取りは、いつがよろしいでしょうか」
「秋。雪の前に」
「かしこまりました」
わたしは頭を下げました。
下げてから、顔を上げて、もう一つ申し上げました。
「ひとつ、困ったことがございます」
「なんだ」
「支度が、ございません」
◇
櫃の中身は、半分以上出してしまいました。
肌着は当て布になり、手巾は産着の縁取りになり、卓布は裂いて束にいたしました。残っているのは婚礼衣装が一枚と、褥布が二組。
婚礼衣装は、妹の寸法でございます。丈が長く、腰の位置が合いません。
それに、あれは麻でございました。王都の麻です。この土地の冬を、二度は越せません。
「直せばよいのでは」
「直します。ただ、それだけでは足りません」
わたしは、この一年考えていたことを申し上げました。
「支度を、一式こしらえます。この土地の布で」
◇
工房へ戻って、裁ち台の前に座りました。
寝かせた糸が三種。グレーテの織った布が四反。試しに作った褥布が二組。それに、村の方が代わりに置いていってくださった毛糸と麻が少し。
材料はございます。
紙を出して、点数を書き出しました。婚礼衣装が一。肌着が六。褥布が四組。卓布が二。手巾が十二。産着が三。
二十八点でございます。
書いてから、しばらく手が止まりました。
この二十八という数を、わたしは四度書きました。全部、妹のためでございます。
五度目でございます。
順を決めました。乾きに日のかかるものから先に取りかかります。褥布が四組。厚手ですから、仕立てたあとに一度洗って、乾かして、それから寝かせます。ここに二十日は見ておかねばなりません。
肌着は六枚。薄いので早うございます。ただ、脇の始末に手がかかります。三枚重なる場所ですから、片返しにして重なりを減らす。一枚に一日半。
卓布と手巾は、糸さえあれば人手で進みます。
婚礼衣装は、いちばん最後でございます。着るのは一日でも、人が見るのはそれだけですので、いちばん手をかけます。
産着は――。
産着のところで、筆が止まりました。
支度に産着を入れるのは、この国の決まりでございます。四度とも入れました。入れながら、それが誰の子のためのものかを考えたことはありませんでした。妹の子でございます。生まれるかどうかも分からない、顔も名前もない子。
五度目は、違います。
わたしは三枚と書いて、そこへ丸をつけました。
◇
――自分の支度を、一度も縫っておりません。
声には出しませんでした。
十年、縫ってまいりました。三百五十日ぶん。そのあいだ、自分が着るものは、実家の余りを直したものでございました。針山も、鋏も、母のものです。自分で買ったものは、糸巻きが六つだけ。
自分のために布を裁ったことが、一度もございません。
わたしは紙をもう一度見ました。
二十八点。婚礼まで、あと何日ございましょう。
窓のところへ行って、外を見ました。夏の終わりの空でございます。雪が来るまで、二月あまり。
――間に合わせるには、日を決めなければ。
バルトに聞いて、婚礼の日を確かめました。九月の末とのことでございました。
今日から数えて、五十四日。
二十八点を五十四日で。四度目のときは百十日かかりました。
足りません。
◇
足りませんが、四度目のときとは違うことが一つございます。
あのときは、一人で縫っておりました。
わたしは紙を持って、洗い場へ下りました。
グレーテが大鍋の前におられます。ミナが芋を洗っております。ヘルガの母上が、届け物を持って立っておられました。
「みなさま」
三人がこちらを向きました。
「お願いがございます」
布は、裏に本当のことが書いてあります。
支度を一式そろえるには二十八点が要ります。婚礼衣装が一、肌着が六、褥布が四組、卓布が二、手巾が十二、産着が三。ユーリアはこの数を四度書きました。四度とも、妹のためでございました。
次話、婚礼でございます。五十四日で二十八点が揃うかどうかは、まだ分かりません。
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