第21話 実家からの手紙は、もう届きません
手紙は、初夏に届きました。
紙は薄いものでございました。家の中の用に使う、あの薄いほうです。
封蝋はありません。字は、行の間隔が最後まで狂わない、あの字でした。ただ、前より小さうございます。
――ユーリア。
――お帰りなさい。
◇
三枚ございました。
一枚目は、体調のこと。医者のこと。よく眠れないこと。
二枚目に、家のことが書いてありました。
クラーラの縁談は、六度目も七度目も進まなかったそうです。支度が出せないという話が王都に回って、話を持ってくる家がなくなった。持ってこられても、先方が検分の日取りを詰めてくる。詰められると出せません。
それから、四つの櫃のことが書いてありました。
二度目の縁談を断った家が、蔵の櫃を開けたのだそうです。組合の検分の話が王都まで届いて、それで気になったのでしょう。開けて、縫い代を見て、それから人を寄越してきた。
――あれはどなたの手ですかと、聞かれました。
――わたくしは、答えられませんでした。
答えられなかった、というのは正しくないと思います。
答えは、あの方もご存じでした。十年、あの方が「名を出さなくてよろしい」と仰ってきたのですから、誰の手かは分かっておられます。
答えられなかったのは、答えると、これまで名を出させなかったことの説明が要るからでございます。
なぜ長女の名を伏せていたのか。伏せた櫃で四度、縁談を通したのか。それは相手の家に対してどうなのか。
この国では、支度の縫い手を伏せること自体は珍しくありません。伏せるのは、雇いの縫い手のときでございます。家の娘が縫ったものを、別の娘の支度として出すというのは、話が違います。
違うということは、聞いた側がいちばんよく分かります。
◇
三枚目に、こうございました。
――帰っていらっしゃい。あなたが縫えば、まだ間に合います。
――あなたのお母様のことも、ちゃんとお話しします。わたくしが知っていることは、全部。
わたしは、その二行を三度読みました。
母のことを知っているという書き方でございます。知っていることが何かは書いてありません。書けば、帰ってくる理由が一つ減ります。
この方は、そういう出し方をなさいます。手紙の書き方が上手なのです。
それに、たぶん本当でございましょう。
母がヴァルトハイムへ入ったのは二十三年前です。ヘドヴィヒ様が入られたのは、母が亡くなったあと。二人が同じ屋敷にいた時期はございません。
ですが、家に入るときには前の話を聞きます。誰から聞いたにせよ、聞いた話は残ります。
母がブルーメ工房から出てきたことも、印のことで揉めたことも、あの方はご存じかもしれません。ご存じで、十年、わたしには一度も仰いませんでした。
言えば、わたしが自分の手を持っていることに気づいてしまいますので。
◇
わたしは机の抽斗を開けました。
いちばん下に、一通目と二通目が入っております。秋のものと、冬の初めのもの。
三通目を、その上へ重ねました。
――三通目。
数え終えて、抽斗を閉めました。
返事は書きません。書かない理由は、最初と同じでございます。書けば往復が始まります。
ただ、最初と違うことが一つございました。
いま返事を書かないのは、書けないからではありません。書かないと決めているからです。
◇
夏のあいだに、村の話がいくつか入ってまいりました。
行商が回ってくるようになって、王都の噂も届きます。
ヴァルトハイム家は、屋敷の一部を人に貸したそうです。伯爵はまだ臥せっておられる。ヘドヴィヒ様は、社交から遠のかれた。
クラーラのことは、あまり聞きません。
ひとつだけ聞いたのは、王都の縫い手工房へ弟子入りしようとして、断られたという話でございました。十九でございます。十六で入るところですので、遅うございました。
それに、あの子は袖の型を知りません。
◇
ブルーメ工房のことも、聞きました。
四十七番の登録は、取り消しになったそうです。特定に足りないという裁定所の見立てが、そのまま通った。
取り消しになったのは四十七番だけでございます。あの工房には、ほかにも登録が三十七。工房が潰れたわけではありません。
ただ、一つ取り消されたということは、ほかも見られるということでございます。
組合の登録を頼りにしていた工房が、いくつか登録を出し直したという話が入ってまいりました。出し直すには、なぜその形なのかを書かなければなりません。
書けたところと、書けなかったところがあったそうです。
◇
わたしは、そのどれにも関わっておりません。
王都へ手紙を出したことはございません。裁定所へ何かを申し立てたこともございません。ブルーメ様にお会いしたのは、あの二日だけです。
したことは、六十八点を縫ったことと、返しの数を数えたことだけでございます。
――何もしておりません。
この一年、何度もそう思いました。思うたびに、少し違うような気もしておりました。
いまは、こう思います。
わたしがしたのは、縫うのをやめたことでございます。
やめたのは実家のためにです。それだけで、あの家の縁談は止まりました。止まったのは、あの家の縁談を通していたのがわたしの手だったからでございます。
十年、誰もそう言いませんでした。わたしも言いませんでした。
言わなくても、やめれば分かることでございました。
◇
工房の帳面は、三冊目に入りました。
「この土地の数」の頁は、七行埋まりました。寝かせた糸の縮み。四十日とひと冬の差。粗い織りの水の抜け方。細かい織りとの比。羊毛の脂の量。脂を落とす加減。落とした糸を寝かせる日数。
全部埋まりました。冬までに三つか四つと見積もっておりましたが、七つ入りました。
増えたのは、グレーテが測ってくださるようになったからでございます。織りながら、幅を控える。乾かしながら、日数を控える。三十二年の手が、はじめて数になりました。
数になると、人に渡せます。
手が覚えているだけのものは、その人が死ぬと消えます。グレーテのお母上が筬を軽く二度打っていたことを、いまグレーテがなさっている。けれど、なぜ二度なのかは、どちらもご存じありませんでした。
わたしが測って、そこに数を入れました。強く一度打った布と、軽く二度打った布を並べて、乾く早さを比べたのです。二度打ちのほうが、二日早く乾きました。
二日でございます。
この土地で、乾くのが二日早いというのは、黴が来るか来ないかの差でございます。
村からは、夏のあいだに二十二人来られました。冬の十七人と合わせて、三十九人でございます。
◇
ある夕方、旦那様が工房へ来られました。
入口で止まらずに、裁ち台のところまで来られます。この一年で、そうなりました。
「王都から、手紙が来たと聞いた」
「はい」
「帰るか」
わたしは針を針山に戻しました。十二本。全部あります。
「帰りません」
「そうか」
旦那様は、それ以上お聞きになりませんでした。
しばらく裁ち台の上を見ておられました。今日は屋敷の卓布を裁っております。粗い織りの、この土地の布でございます。
「ユーリア」
名を呼ばれたのは、初めてでございました。
この一年、この方はわたしを何とも呼びませんでした。奥様と呼ぶのはバルトで、旦那様は呼ばずに話しかけられます。名を呼ばないのは、呼ぶ名を決めかねておられたからだと、いま分かりました。
わたしも、この方を名でお呼びしたことがございません。
レオンハルト、と申し上げる機会が、一年ありませんでした。バルトが「旦那様」と言うので、わたしもそう言う。それだけのことでございます。
名を呼ばないというのは、便利でございます。呼ばなければ、どこまで近いのかを決めずに済みます。
「話がある」
「はい」
「明日でいい」
そう仰って、出ていかれました。
◇
扉が閉まってから、わたしはしばらく裁ち台の前に立っておりました。
卓布は途中まで裁ってあります。あと二枚。今日中に終わります。
終わらせてから、考えることにいたしました。
鋏を入れると、乾いた音がしました。母の鋏でございます。
布は、裏に本当のことが書いてあります。
登録を出し直すときは、なぜその形なのかを書かなければなりません。書けるということは、その形を作った理由を知っているということです。書けなかった工房が、いくつかあったそうでございます。
次話、旦那様のお話があります。ユーリアは、この一年、自分のためには一度も縫っておりません。
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