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妹の代わりに嫁ぎましたので、嫁入り支度はもう縫いません  作者: 綾瀬つむぎ


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20/23

第20話 写せていないのは、始末のほうです

 ホルスト様が、まず左を見られました。


 顔を近づけて、しばらく。それから右へ移って、また左へ戻る。二度往復して、顔を上げられました。


 布を見る目ではありません。書類を読む目でございます。同じところを二度読んで、違いを探す目です。


 それでよいのです。今日は仕立ての良し悪しを決める場ではありません。合致しているかどうかを決める場でございます。


 合致は、目より数で決まります。数なら、縫えない人にも分かります。


「――同じに見えるが」


「同じでございます」


 ブルーメ様がそう言われました。


「形は、同じでございます」


 わたしはそう申し上げました。


「では、何が違う」


「三つ、違います」


    ◇


「ひとつ。返しの数でございます」


 わたしは右の布、ミナの婚礼衣装のほうへ指を差しました。


「こちらは三度返しております。左は、二度でございます」


 ホルスト様が、また顔を近づけられました。組合の若い方も、卓の横へ寄ってこられます。


「――数えられるのか、これが」


「糸をたどれば数えられます。目打ちの背でお押しになると、山が見えます」


 わたしは目打ちを差し出しました。ホルスト様が受け取って、布へ当てられます。


 しばらく黙って、それから小さく息を吐かれました。


「二つある。……こちらは三つだ」


 返しというのは、糸を同じところへ通し直すことでございます。一度で止めると、糸が抜けます。二度で止めても抜けます。ゆっくりですが抜けます。三度で止まる。四度目からは、糸の束が厚くなって、そこだけ肌に当たります。


 二度と三度の差は、目には見えません。指でも分かりません。目打ちで山を押し出して、はじめて数えられます。


 誰も数えないので、二度でも通ります。


 通るのは、次の洗いまででございます。


    ◇


「ふたつ。糸の太さでございます」


 わたしは自分の糸巻きの箱を卓へ載せました。


 印に使う糸は、本体を縫った糸より一段細いものを選びます。同じ太さを使うと、縫い代のそこだけが硬くなる。硬いところは動きません。周りが動いて、そこだけ動かないと、境目から折れます。


 左の一枚は、同じ太さでございました。本体と印を区別しておりません。


 組合の若い方が布を持ち上げて、光にかざしました。しばらく黙ってから、同じですね、と小さな声で言われました。


    ◇


「みっつ。結び目の向きでございます」


 わたしは二枚の縫い代を並べて置きました。


 わたしの結び目は左へ寄っております。左の一枚は右でした。


「それは、どちらでもよいのでは」


 ブルーメ様が、そう仰いました。この日はじめて、あの方の声に速さが出ました。


 よくございません。


 布を洗うと縫い代は起きます。起きる向きは縫った向きで決まります。結び目を起きる側へ置くと、洗うたびに引かれる。引かれ続けたものは、五年で抜けます。


 抜けても、着ている方は気づきません。裏の話でございます。気づかないまま、印だけが消えます。


    ◇


 わたしは母の修業帳を出しました。


 出しましたが、ホルスト様へお渡しはいたしませんでした。開いて、卓の上に置いただけでございます。


「二十三年前の日付でございます。ここに、返しは三度、糸は一段細く、結び目は左、と書いてございます」


「奥方。それは、こちらへ提出なさるか」


「いたしません」


 ホルスト様の眉が、少し動きました。


「これは、母が自分で書いたものでございます。母はもうおりません。書いた本人のいない紙は、証にはならないと存じます」


「……では、なぜ出した」


「理由が書いてあるものは、これしかございませんので」


 わたしは頁を指しました。


「二度では抜ける、四度は肌に当たる、と書いてあります。読み上げていただければ、それで結構でございます」


    ◇


 ホルスト様は、しばらく帳面を見ておられました。


 それから、卓の上の左の布を、もう一度手に取られました。


「ブルーメ殿」


「はい」


「四十七番の登録に、返しの数は記載がありますかな」


「……ございません」


「糸の太さは」


「ございません」


「結び目の向きは」


「ございません」


 ホルスト様は、帳面を閉じました。


「では、この左の一枚は、四十七番に合致しておりますな。記載が無いのだから、二度でも三度でも合致する」


「さようでございます」


「同時に、右の六十八点も、四十七番に合致する」


「――さようでございます」


「つまり四十七番は、返しが二度のものも三度のものも、糸が太いものも細いものも、結び目が右のものも左のものも、すべて含む登録である。線が三本と点がひとつ、それだけの」


 ブルーメ様は答えませんでした。


 答えようがないのだと思います。四十七番は三度返しに限ると言えば、持参した左の一枚が登録から外れます。二度でも三度でもよいと言えば、登録の幅が広すぎることになる。広すぎる登録は何も特定できません。


 どちらを選んでも四十七番が痩せます。


 こちらから追い込んだのではありません。左の一枚を持ってこられたのは、あの方ご自身の判断でございます。


    ◇


 広間が、静かでした。


 わたしは何も申し上げませんでした。ここから先は、わたしの領分ではございません。


 わたしがしたのは三つ数えて並べたことだけでございます。返しの数。糸の太さ。結び目の向き。どれもその場で誰にでも確かめられるものです。


 主張はいたしませんでした。これはわたしのものだとも申し上げておりません。


 申し上げれば争いになります。争いは証のそろっているほうが勝ちます。証はあちらにありました。書付があり帳簿があり番号がついております。


 数えて並べただけなら争いになりません。


 なりませんが、並んだものを見た人は自分で結論を出します。出した結論は人から言われたものより頑丈でございます。


 これは母から習ったことではありません。十年、名を出さずに縫ってきて覚えたことです。


 ホルスト様は書き物机へ戻って、しばらく紙に何か書いておられました。


「ブルーメ殿。組合の登録は、意匠を特定できることが要件のはずですな」


「……はい」


「線が三本と点がひとつ。これで特定できるとお考えか」


「登録の当時は、それで通っております」


「通ったのは、誰も争わなかったからでしょう」


 ホルスト様は筆を置かれました。


「四十七番は、特定に足りません。足りない登録で、六十八点を差し止めることはできない。裁定所としては、そう見ます」


    ◇


 ブルーメ様は、立ち上がられませんでした。


 座ったまま、卓の上の二枚の布を見ておられます。左を一度手に取って、また置かれました。


「……返しを、三度にしておけばよかった、と仰るか」


 どなたに向けた言葉なのか、分かりませんでした。


「三度にしても、同じでございます」


 わたしはそう申し上げました。


「登録の紙に書いていない限り、何度にしても特定はできません。書くには、なぜ三度なのかを知っていなければなりません」


 ブルーメ様の手が、卓の上で止まりました。


 太い指でございます。関節が大きく、爪が短く切ってある。


 その手を、わたしは十年ぶりに見た気がいたしました。母の手は細く、指が長うございました。同じ工房に、その二つの手があったのです。


「――アニェスは」


 ブルーメ様が、そう言われました。


「アニェスは、なぜ出ていった」


「存じません」


 わたしは首を振りました。


「わたしは、七つのときに手を取られて、三度返させられました。それだけでございます」


    ◇


 組合の三名が帰られたのは、日が傾いてからでございました。


 村の方は、みなさま布を抱えて坂を下りていかれました。誰も何も言いません。言うことがなかったのだと思います。数えられて、返されて、それで終わりました。


 ミナだけが、階段のところで振り向いて、一度お辞儀をしていかれました。


 広間には、卓の上の左の一枚が残っておりました。


 ブルーメ様が置いていかれたのです。持って帰らないというのが、あの方の返事だったのでしょう。


 わたしはそれを畳んで、工房へ持ち帰りました。


    ◇


 その晩、母の道具箱の底板を、もう一度起こしました。


 細長い空きが、そこにございます。長さは一尺ほど、幅は三寸。


 母の修業帳には、この仕切りのことは一行も書いてありません。書いていないということは、書けなかったのか、書く必要がなかったのかのどちらかでございます。


 わたしは、ブルーメ様の最後の言葉を思い出しました。


 ――アニェスは、なぜ出ていった。


 あの方は、母が出た理由をご存じないのでございます。


 揉めたのは印のことだと、帳面には書いてありました。それは母の側から見た理由です。あちらから見れば、別のことが起きていたのかもしれません。


 起きていたことが何かを知っている人は、もう一人しかおりません。


 ――そして、母は何かをこの箱から持ち出しております。


 持ち出したものが王都にあるのか、実家にあるのか、それとも別のどこかにあるのか。


 わたしは底板を戻して、蓋を閉めました。


 留め金の爪は、まだ曲がったままでございます。

布は、裏に本当のことが書いてあります。


登録できるのは形だけです。返しを何度にするか、糸をどれだけ細くするか、結び目をどちらへ寄せるか。そういうものは、なぜそうするのかを知っていなければ書けません。書けないものは、登録に載りません。


次話、王都から最後の手紙が届きます。差出人は、継母でございます。


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