第19話 何も、申し上げません
検分の日は、晴れました。
広間の卓を三つ並べて、そこへ布を置きます。十七人ぶんと、屋敷の寝具十七組と、幕。それに、櫃の婚礼衣装。
村の方は、朝のうちに坂を上がってこられました。誰も帰りません。広間の壁際に、そのまま立っておられます。
組合から三名。立会が一名。
立会の方はホルストと名乗られました。王都の商工裁定所の方でございます。五十くらいで、痩せていて、書き物机を持ち込んで、ずっと紙に何か書いておられました。
◇
数え始めたのは、昼前でございました。
組合の若い方が二人で、布を一枚ずつ取り上げます。裏を返して、縫い代を探して、指でなぞる。あれば「あり」と言う。もう一人が帳面に線を引きます。
ブルーメ様は、卓の端に座って、見ておられました。
「あり」
「あり」
「あり」
声が続きます。線が増えます。
ミナの婚礼衣装。ヘルガの上衣。ドロテアさんの黒。産着。前掛け。外套。
数え方を、わたしは横から見ておりました。
手つきは丁寧でございます。布を痛めないように扱っておられる。縫い代を探すのも早い。脇の下から三寸のあたりに指を入れて、二度なぞれば見つけます。二度で見つけるということは、どこにあるかを知っているということでございます。
知っているのは、事前に教わったからでしょう。
ただ、見つけたあとが同じでした。見つけて、「あり」と言って、次の布へ移る。糸の太さを見比べる方はおられません。返しの数を数える方も。
数える帳面には、線が一本ずつ引かれていきます。線に大小はありません。産着の縁取りも、婚礼衣装も、同じ一本でございます。
寝具十七組。これは一組で二枚ですので、三十四。
「――六十八でございます」
昼を過ぎて、若い方がそう言われました。
◇
「六十八点」
ホルスト様が書き取られました。
「ブルーメ殿。請求額は」
「仕立て代の三倍でございます。ただ、この土地の仕立て代を存じませんので、王都の相場で計算いたしますと」
紙に数字が書かれて、ホルスト様の前へ置かれました。
わたしの立っているところからは見えません。見えませんでしたが、壁際の村の方が息を吸った音は聞こえました。誰かが見えたのでしょう。
「ヴァルトハイム殿。いえ、オストマルクの奥方。よろしいか」
ホルスト様がこちらを向かれました。
「この六十八点について、あなたが縫ったものに相違ないか」
「相違ございません」
「登録意匠の使用について、申し開きは」
◇
わたしは、少し待ちました。
言えることはございました。母の修業帳がここにあります。二十三年前の日付で、印のことが書いてあります。位置と寸法を決めたのは母だと書いてある。
それを出せば、話は動きます。
ただ、出したあとに何が起きるかを、朝から考えておりました。
あの帳面は、母が自分で書いたものでございます。母が自分に都合よく書いた、と言われれば、それまでです。書いた本人はもうおりません。
証人もおりません。二十三年前にあの工房にいた方が、いまも組合においでかどうか。おられたとして、こちらの側で証言してくださるかどうか。
それに、帳面を出せば、話の中身が変わります。
いま争われているのは「六十八点が登録意匠にあたるか」でございます。帳面を出すと「四十七番の登録が正しいか」に変わります。
変わったほうが本筋には近うございます。近いのですが、それは王都の裁定所で、何年もかけてやることでございます。この広間で今日決まる話ではありません。
今日ここで決められるのは、目の前の卓の上にあるものだけです。
――弱いのだわ。
紙は弱うございます。書いた人がいないと、紙は何も言いません。
いちばん強いものを、まだ出しておりません。
「申し開きは、ございません」
広間が、動きました。
◇
「奥様!」
ドロテアさんの声でございました。
グレーテが腕を掴んで止められました。ミナは口を押さえたまま、こちらを見ております。バルトは帳面を持ったまま、目を閉じました。
旦那様は、卓の向こうで動かれませんでした。
わたしは、この方が止めに入られるかどうかを考えておりませんでした。考えていなかったというより、入らないと分かっておりました。この方は、人の仕事に手を出しません。
辺境伯が口を挟めば、この場はすぐ終わります。この土地でいちばん力のある方でございます。組合の三名は王都から来た客人にすぎません。
終わらせることはできます。終わらせても、何も決まりません。
力で止めた話は、力の弱い日に蒸し返されます。ここで黙っていただくのは、そういうことでございました。
朝、広間へ入る前に、一度だけ声をかけられました。
「どうする」
「布を、見ていただきます」
それだけで、旦那様は頷かれました。中身をお聞きになりませんでした。
「申し開きが無い、と」
ホルスト様が、もう一度お聞きになりました。
「ございません」
「使用の事実を認め、争わないということでよろしいか」
「使用の事実は、認めます」
◇
ホルスト様の筆が、止まりました。
「――使用の事実は、と仰った」
「はい」
「では、何を争われるのか」
「何も」
わたしは頭を下げました。
「ただ、お願いがひとつございます」
ブルーメ様が、初めて椅子から少し身を起こされました。
「裏を、ご覧いただけますか」
◇
「六十八点、すべて見ました」
組合の若い方が言われました。
「見ておられません」
「なんですと」
「あなたがたは、あるかないかをご覧になりました。ある、とおっしゃった。それだけでございます」
わたしは卓のほうへ一歩出ました。
「返しが何度か、数えていらっしゃいますか」
若い方が、二人とも黙りました。
「糸の太さを、本体と比べていらっしゃいますか。結び目が右か左か、控えていらっしゃいますか」
誰も答えません。
「ですから、まだ見ておられません」
◇
ホルスト様が、筆を置かれました。
「奥方。それを見ると、何が変わるのか」
「変わりません」
「では、なぜ」
「六十八点が同じ形かどうかは、それで決まりますので」
ホルスト様は、しばらく考えておられました。
この方は裁定所の方でございます。組合の方ではありません。組合の登録を守るのが仕事ではなく、争いの筋道を通すのが仕事です。
「――ブルーメ殿。登録意匠との一致を確かめるのは、そちらの務めですな」
「それは、そうでございますが」
「六十八点が四十七番と一致するか。一致すると主張されたのはそちらだ」
ブルーメ様は、答えられませんでした。
◇
「では、比べましょう」
ホルスト様が言われました。
「登録意匠を施した布を、ブルーメ工房からお持ちですかな」
「……持参しております」
「こちらの奥方の布と、並べて」
組合の若い方が、鞄から布を出しました。
新しい麻でございます。畳んだ跡がまだ立っている。今年織ったものでしょう。
卓の真ん中に、二枚が並べられました。
左が、ブルーメ工房の一枚。
右が、ミナの婚礼衣装。半年着られて、洗われて、裾の当て布が少し馴染んだものでございます。
二枚は、並べると釣り合いません。
左は新しく、白く、皺がありません。畳み跡が四角に立っていて、一度も洗っていないのが分かります。右は生成りが黄ばんで、袖口が薄くなって、裾が少し歪んでおります。
どちらが上等かと聞かれれば、誰でも左と答えるでしょう。
左のほうが、値も高うございます。布として、新しさとして、見た目として。この場に並べるための一枚として作られたのですから、当然でございます。
ただ、今日ここで見るのは表ではありません。
ホルスト様が、両方の裾を裏返しました。
布は、裏に本当のことが書いてあります。
「ある」と「同じ」は違います。あるかないかを見るのは、指でなぞれば済みます。同じかどうかを見るには、返しの回数と、糸の太さと、結び目の向きを、いちいち控えなければなりません。
次話、卓の上の二枚を、四人が順に覗き込みます。ユーリアは、まだ何も申し上げません。
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