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妹の代わりに嫁ぎましたので、嫁入り支度はもう縫いません  作者: 綾瀬つむぎ


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2/23

第2話 呪われた辺境へ、十年ぶんを運びます

 街道は三日目から白くなりました。


 わたしは毎晩、宿に着くと櫃を開けて灰の袋を取り替えました。灰は湿気を吸うと重くなります。手に持って重いと感じたら、もう吸えません。宿の主人に頼んで暖炉の灰をもらい、袋に詰め替えて、四隅へ戻します。それだけのことですが、これを怠ると七日で布に匂いがつきます。匂いのついた支度は、洗っても取れません。


 御者のヨハンは、最初の二晩はわたしが何をしているのか黙って見ておりました。三晩目に、灰の袋を持ってきてくれるようになりました。


「奥様は、ずいぶん布を大事になさる」


「わたしが縫ったものですから」


 ヨハンは何か言いかけて、やめました。


 道は日ごとに変わりました。二日目までは石畳で、宿場ごとに馬を替えられます。三日目からは土の道。そこへ雪が乗って、轍が凍ります。凍った轍は轍の形のまま硬くなりますので、橇の板がそこへ落ちると音が違うのです。ヨハンはその音で速さを決めているようでした。


 わたしは荷台の縄を毎朝結び直しました。麻縄は濡れると伸びるのです。伸びた縄は、見た目に張っていても荷が動きます。朝いちばんに一度きつく締めておけば、昼までは保ちました。


    ◇


 噂は四日目の宿で聞きました。


 女将が食事を運んできて、行き先を聞いて、それから声を落としたのです。


「オストマルクへ行きなさるのかね」


「はい」


「三人だよ。三人とも、冬のうちにいなくなった」


 わたしはパンをちぎる手を止めませんでした。麦の粗い、酸味のあるパンでした。王都のものより硬くて、噛むと顎が疲れます。


「呪われてるって話だよ。あの家に嫁いだ娘は、雪が溶けるころには誰もいない」


「そうですか」


「そうですかって、あんた」


 女将はあきれた顔をして、それ以上は言いませんでした。


 部屋へ戻って、わたしは寝台の上に婚礼衣装を広げてみました。麻の白。妹のために裁った寸法ですので、丈はわたしには少し長い。腰の位置も合いません。直すつもりはありませんでした。この衣装は、着るために持ってきたのではないような気がしておりました。


 三人。冬のうちに。


 ――冬に何が起きるのでしょう。


 病であれば、三人続くのは珍しいことです。事故であれば、なおさら。呪いであれば、わたしにできることは何もありません。けれど呪いというのは、たいてい、名前のついていない何かのことでございます。


 わたしは灯りを消しました。


    ◇


 六日目の朝、村で麻糸を買い足そうとしました。


 王都から持ってきた糸巻きは六つですが、道中で一つ落としたのです。麻糸は太さが揃っていないと縫い目に段ができます。同じ太さのものを買えるうちに買っておこうと思いました。


 村に一軒だけあった店で、女主人は首を振りました。


「麻はねえ。ここらじゃ置かないよ」


「置かない、といいますと」


「羊さ。麻は南のものだ。育たないもの」


 棚には毛糸ばかりが並んでおりました。撚りが太くて、色は生成りと灰色と、茶が少し。手に取ると、王都のものより脂が残っています。洗いを軽くしてあるのでしょう。脂が残っている毛は水をはじきます。はじく代わりに、汚れも落ちません。


「奥様、麻なんぞ着てたら、冬に死ぬよ」


 女主人は笑って言いました。冗談のつもりだったのだと思います。


 わたしは毛糸を二玉だけ買いました。使うあてはありませんでしたが、置いておけば何かの折に足せます。


 櫃の中身は、婚礼衣装から手巾まで、一枚残らず麻でございました。


    ◇


 五日目の峠で、橇が傾きました。


 凍った轍に片方の橇板が乗り上げて、荷台が斜めになりました。縄はかけてありましたが、櫃は重いのです。重いものは、傾いたときに縄より先に動きます。


 わたしは飛び降りました。


 櫃は雪の斜面を一間ほど滑って、灌木にぶつかって止まりました。わたしはその上に覆いかぶさるようにして、蓋の合わせ目を手で押さえました。雪は粉のように細かく、隙間という隙間へ入ろうとします。合わせ目から一寸でも入れば、上に置いた婚礼衣装から濡れます。


「奥様!」


 ヨハンが馬を止めて駆けてきました。


「怪我は」


「ありません。それより、上を先に」


 二人で櫃を起こして、雪を払いました。樫の板は雪をはじきますが、金具の周りだけは黒く濡れておりました。


 その晩の宿で、わたしは蓋を開けました。


 油紙は無事でした。灰の袋も乾いております。婚礼衣装は上から三寸ほど、裾のあたりが湿っておりました。指で触れると、麻がわずかに重い。濡れたのではなく、湿気が回った程度です。


 わたしは暖炉から離れた場所に衣装をかけました。近づけてはいけません。麻は急に乾かすと縮みます。縮んだ布は、二度と元の寸法に戻りません。一晩かけて、部屋の空気でゆっくり抜くのが正しいのです。


 ヨハンが戸口から覗いて、火に当てないのかと聞きました。


「当てると縮みます」


「はあ」


「明日の朝には乾いております。急ぐと駄目になるものは、たいてい急がなくても間に合います」


 ヨハンは納得のいかない顔で戸を閉めました。


 わたしは櫃の中身を全部出して、床に並べました。下から出したものほど乾いております。上に置いたものほど湿っている。詰め方は間違っていなかったということです。重いものを下にしていたら、いま濡れているのは褥布のほうでした。褥布は厚いので、一度湿ると三日は乾きません。


 油紙を替えて、灰の袋を宿の暖炉のそばに置いて焼き直しました。焼いた灰は熱を持ちます。熱いまま袋へ戻すと、今度は布が汗をかきます。冷めるまで待って、それから詰めました。


 全部を戻し終えたときには、蝋燭が半分になっておりました。


    ◇


 七日目の朝、オストマルクが見えました。


 城というより、砦でございました。石を積んだ壁が斜面に沿って伸びていて、その内側に建物が固まっている。屋根は黒く、勾配がきつい。雪を落とすためでしょう。木がありません。風を遮るものが何もない土地でした。


 王都の屋敷なら、外から見て最初に目に入るのは窓の大きさです。ここは窓が小さく、数も少ない。壁の厚みのぶんだけ奥まっていて、外から中は見えません。人が住む場所というより、冬をやり過ごす場所の作りでした。


 門をくぐると、空気が変わりました。


 王都の冬は乾いています。ここは違いました。息をすると、鼻の奥に湿ったものが入ってきます。壁に触れると、石が汗をかいたように濡れておりました。


 ――これは、布には悪い。


 そう思いました。


 橇が中庭で止まって、人が四人出てきて、櫃を降ろしました。持ち上げたときに一人が「重い」と言って、もう一人が「花嫁の荷だ」と答えました。


 中庭の隅に、洗い物を干す綱が張ってありました。布が三枚ほどかかっております。ここへ来て七日目にして、わたしが最初に見た布でした。


 近づいて、指を触れました。


 乾いておりません。おそらく昨日から出したままで、まだ乾いていない。この空気では乾かないのです。乾かない布を干し続けると、繊維の中で水が動かなくなって、そこから黴が来ます。干しているつもりで、育てていることになります。


 ――誰も、教える人がいなかったのだわ。


 わたしは襟巻きを結び直して、櫃のあとをついていきました。


 広間の床は石で、卓がひとつ置いてあります。櫃はその横に据えられました。


 奥の扉が開いて、背の高い男の方が入っていらっしゃいました。外套を着たままで、髪に雪が残っております。どこかから戻ったばかりのようでした。


 わたしを見ませんでした。


 まっすぐ櫃のところへ歩いていって、片膝をついて、金具を外しました。


 蓋が開きました。

布は、裏に本当のことが書いてあります。


麻を火に近づけて乾かすと縮みます。縮んだ寸法は戻りません。ですから濡れた麻は、離れた場所で一晩かけて抜くのが正しいのです。急ぐと駄目になるものは、たいてい急がなくても間に合います。


次話、辺境伯は箱の中の肌着を一枚だけ取り出して、裏返します。そして名乗るより先に、ひとこと言います。

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