表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
妹の代わりに嫁ぎましたので、嫁入り支度はもう縫いません  作者: 綾瀬つむぎ


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
17/23

第17話 母の道具箱を、開けます

 留め金が外れて、蓋が上がりました。


 匂いがいたしました。


 油と、蝋と、木の匂いでございます。針を錆びさせないために、油を染ませた布を入れておくのです。十一年経っても、まだ残っておりました。


 いちばん上に、その布がありました。


    ◇


 中身を、卓へ順に並べました。


 針を刺した布が一枚。針は十四本。太さが四種。うち二本は先が丸くなっております。母が使い切る前に亡くなったのでしょう。


 目打ちが二本。片方は柄が割れて、糸で巻いて留めてあります。


 へらが三枚。木、竹、骨。骨のへらは端が欠けておりました。


 糸切り鋏。小さいものです。母は歯で切ることを嫌っておりました。わたしは歯で切ります。


 それから、型紙の束。


    ◇


 型紙は油紙で、二十枚ほどございました。


 袖、身頃、襟、袴の腰。どれも端が擦り切れて、繰り返し使われた跡があります。角に小さく数字が書いてあって、寸法の目安が書き込まれておりました。


 わたしはそのうちの一枚を広げました。


 袖の型でございます。前側が後ろ側より広く取ってある。腕が前へ出るぶんの余裕です。クラーラに説明しようとして、半分で行ってしまわれた、あの話でございます。


 余裕の取り方が、わたしの型とほんの少し違いました。


 母のほうが、広い。


 ということは、母は腕をよく動かす人の衣装を多く縫っていたということです。伯爵家の令嬢は、腕を動かしません。


    ◇


 糸見本の束がございました。


 紙に糸を巻きつけて、番号と染めの名を書いたものです。四十本ほど。麻が多く、絹が少し。羊毛はありません。


 番号の書き方が、几帳面でした。母の字は、わたしより小さくて角ばっております。


 その束の下に、帳面がありました。


    ◇


 表紙は無地で、革ではなく厚紙です。


 開くと、一行目にこうございました。


 ――ブルーメ工房 修業帳 アニェス


 わたしは、しばらく次の頁をめくれませんでした。


 母は、あの方の工房にいたのでございます。


 修業帳というものは、王都の工房では珍しくありません。弟子が毎日つけて、親方が折々に見る。何を習ったか、何点縫ったかを控えておくと、年季が明けるときに一人前かどうかを測る目安になります。


 わたしは、つけたことがありません。工房に入ったことがないからです。母から一人で習いました。


 だから、母が誰かの弟子だったということを、考えたことがありませんでした。母は最初から縫えるものだと思っておりました。子どもというのは、そういうふうに親を見ます。


    ◇


 中身は、記録でした。


 日付と、その日に習ったことと、縫った点数。びっしり書いてあります。最初の頁は十六の年でした。


 ――襟の返し、三度やり直し。親方に、まだ甘いと言われる。


 ――脇の始末。片返しと割りの使い分けを教わる。


 ――今日から縫い代の印を入れることを許される。工房の者は皆これを入れる。四十七番。


 わたしは、その行で手を止めました。


 四十七番。


 登録帳と同じ番号でございます。


    ◇


 読み進めました。


 母は七年、その工房にいたようです。修業帳は途中から、習ったことより、工夫したことのほうが多くなっていきます。


 ――麻の湿りを止めるのに、灰袋を四隅へ。親方は要らぬと言うが、夏の櫃は明らかに違う。


 ――脇の下から三寸のところが、いちばん擦れない。ここへ入れることにする。


 わたしは、その行を二度読みました。


 脇の下から三寸。


 工房の印は「縫い代へ入れる」までが決まりで、位置は決まっていなかったのです。母が自分で決めました。擦れない場所を探して、そこにした。


 わたしが七つのときに手を取って三度返させたのは、工房の印ではありません。工房の印を、母が自分の手で置き直したものでございます。


 もう少し読むと、寸法のことも書いてありました。


 ――返しは三度。二度では抜ける。四度は厚くなって、肌に当たる。


 ――糸は本体より一段細いものを。同じ太さだと縫い代が硬くなる。


 ――結び目は左へ。右へ寄せると、洗いのときに縫い代が起きる方向とぶつかる。


 どれも、登録帳の図には書いてないことでございます。


 図に書いてあるのは、線が三本と点がひとつ。書いてないのは、なぜ三度なのか、なぜ細い糸なのか、なぜ左なのか。


 形は写せます。理由は写せません。理由を知らずに真似ると、二度で抜けるものを作るか、四度で肌に当たるものを作るかのどちらかになります。


    ◇


 最後のほうの頁に、こうありました。


 ――工房を出る。親方と話し合いがつかず。


 ――印のことで揉める。工房の者が入れるのは工房の印であって、出た者は使えぬと言われる。それはそうだ。ただ、位置と寸法は私が決めた。そこまで置いていけとは言われなかった。


 ――ヴァルトハイム家へ入る。今日から一人で縫う。


 日付は、二十三年前でございました。


 その三行を、何度か読み返しました。


 母は、印を持って出たと言っているわけではありません。工房の印は工房のものだと認めております。認めたうえで、位置と寸法は自分が決めたと書いている。


 この区別は、たぶん、当時も伝わりませんでした。


 伝わっていれば、揉めずに済んだはずでございます。揉めたということは、あちらは「印そのものを持ち出した」と受け取ったということです。


 わたしはヴァルトハイムの櫃に、母が置き直したほうの形を入れてまいりました。工房の印ではなく、母の決めた位置と寸法のほうです。


 そのつもりもありませんでした。母がそうしていたから、そうしただけでございます。


 そのあと、頁が三枚ほど白く、それから字が変わります。細く、急いで書いたような字です。


 ――娘に印を教える。返しの向きを三度間違えた。明日また。


 わたしのことでございました。


    ◇


 帳面は、そこで終わっておりました。


 最後の頁から先は、書かれておりません。母が死んだのは、その四年後でございます。書かなくなったのか、別の帳面へ移ったのか。


 わたしは帳面を閉じて、道具箱へ戻そうとして、手が止まりました。


 箱の底が、浅うございます。


 外から見た高さと、中に入るものの高さが合いません。指を入れて、底板の縁をなぞりました。四隅のうち一つに、爪のかかる隙間がありました。


 起こすと、底板が上がりました。


    ◇


 下は、空でございました。


 板で仕切ってあって、細長い空間が一つ。長さは一尺ほど、幅は三寸ほど。


 何かが入っていた形に、埃が残っておりました。


 埃というのは、物のあった場所には積もりません。周りにだけ積もります。ですから抜いたあとの形が、そのまま残ります。


 細長い箱でございます。角が丸い。


 わたしは指でその跡をなぞりました。


 道具箱に二重底を作るのは、珍しいことではございません。針や糸切り鋏のような、なくすと困る小さなものを分けて入れます。


 ただ、この仕切りは細長すぎます。針を入れるには長く、鋏を入れるには狭い。


 入るとしたら、細長い箱でございます。


 母の帳面には、この仕切りのことは書いてありませんでした。


 ――もう一箱、あったのだわ。


 どこにあるのか、何が入っていたのか、見当もつきません。


 ただ、この道具箱は十一年、実家の物置にありました。持ち出したのはヘドヴィヒ様です。持ち出すときに底板を起こすとは思えません。


 空になったのは、たぶん、もっと前でございます。


    ◇


 扉を叩く音がしました。


 バルトでございました。息が上がっております。


「奥様。中庭に」


「はい」


「その、人が」


 窓の高いところからは見えませんので、階段を下りました。


 中庭に、人が立っておりました。


 ミナと、ヘルガと、ドロテアさんと、それから顔を知らない方が何人も。みなさま、布を抱えておられます。

布は、裏に本当のことが書いてあります。


型紙の袖は、前側を後ろ側より広く取ります。腕が前へ出るぶんの余裕です。その余裕をどれだけ取るかで、縫い手が誰の衣装を多く縫ってきたかが分かります。よく動く人の衣装を縫っていた人の型は、広うございます。


次話、中庭の人数は十七人でした。みなさま、自分の布の裏を見せに来られたのです。


ブックマークと評価をいただけますと、励みになります。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ