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妹の代わりに嫁ぎましたので、嫁入り支度はもう縫いません  作者: 綾瀬つむぎ


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14/23

第14話 旦那様が、笑いました

 冬は、思っていたより短く感じました。


 糸を寝かせるのに四十日。そのあいだ、することはいくらでもございました。


 屋敷の直しが十七組。幕が四枚。それに、村から人が来るようになりました。


 最初はヘルガの家の近所の方でした。次がミナの母上。そのあと、ドロテアさんの婚礼を見た方が三人。冬は外の仕事がありませんので、みなさま布を持って坂を上がってこられます。


 直しの中身はさまざまでした。子の育った上衣の丈出し。破れた前掛け。婚礼ではなく、洗礼の産着。冬の外套の裏を入れ替えたいという方もおられました。


 どの方にも、同じことを申し上げました。裏を見ます、と。


    ◇


 帳面には、来た方の名前と、布の種類と、直した中身を書きました。


 冬のあいだに、十七人になりました。


 この土地に縫い手がいなかったのは、いなくてもよかったからではありません。頼む先がなかったからでございます。頼む先がないと、人は「そういうものだ」と思って、破れたまま着ます。破れたまま着ると、次の冬までもちません。もたないので、また新しく買う。


 買う先も、行商しかありません。


 ――回っていなかったのだわ。


 布が回らない土地では、布の知恵も溜まりません。溜まらないから、九組を毎年捨てることになります。


 王都では、そうなりません。仕立て屋が通りに何軒もあって、直しを頼める先があります。頼めば直る。直れば長くもつ。長くもつと分かっているから、最初に少しよい布を買う。よい布は長くもつので、直す値打ちがある。


 どこかで一度、輪が回り始めれば、そのあとは勝手に回ります。


 問題は、最初のひと回りでございました。誰かが直せると分かるまで、誰も持ってきません。持ってこないので、直す人が現れません。


 ミナの裾が、たまたま最初のひと回りになりました。三日後に婚礼を控えた娘が、ほかに頼る先がなくて、やってきただけのことです。


    ◇


 十七人のうち、お代を布や糸で払ってくださった方が九人。仕事で払ってくださった方が五人。目打ちを直していただき、桶の簀を作っていただき、機の楔を打っていただきました。


 残る三人は、何も持ってこられませんでした。


 払えないと分かっていて来られたのだと思います。それでも来たのは、着るものがそれしかなかったからでございます。


 わたしは三人ぶんを帳面に書いて、金額の欄を空けておきました。空けたのは、忘れるためではありません。忘れないためでもありません。ただ、埋めなくてよい欄がひとつくらいあってもよいと思ったのです。


    ◇


 四十日目に、桶を開けました。


 糸は、見た目には変わりません。持ってみると、少し重うございました。指で撚りをほどくと、ほぐれ方が違います。前より素直にほぐれる。繊維が膨らんで、互いの噛み合いが緩んだのでしょう。


 これを織らねばなりません。


 わたしは織れません。縫い手は織らないのです。


「グレーテさん。機は」


「母のがあります。物置に」


 組み立てるのに三日かかりました。木が乾いて縮んで、部材が合わなくなっておりました。バルトが楔を打ち直して、どうにか立ちました。


 グレーテが織り、わたしが横で見ました。


 縦糸を張るのに丸一日かかります。何百本を同じ張りで並べる仕事で、ここが狂うと、あとは何をしても直りません。グレーテは端から順に、指で弾いて音を確かめておられました。同じ音になるまで直す。音で張りを揃えるというのは、初めて見ました。


 織り始めると、速うございました。


 筬を打つ手の加減が、王都で見た織り手と違います。強く打ち込みません。軽く、二度に分けて寄せる。強く打てば目が詰まって丈夫になりますが、この土地ではそれをしないのでしょう。


「グレーテさん。それは、教わったのですか」


「言われたことはありませんね。母がそうしてたから」


 教わっていないことを、三十二年、手が覚えている。


 こういうものを、書き留める人が誰もいなかったのだと思いました。


 三日で二反。目は粗く、撚りは甘く、重い。母上の織られたものと同じ手触りでございました。


    ◇


 仕立ては、これまでと逆に考えました。


 目を詰めない。縫い代を割らずに片返し。重なりは減らす。裾も襟も、折り返しを浅く取ります。折り返しが深いと、そのぶん布が重なって水が残ります。


 見た目は、王都の目で見れば粗末でございます。


 母が見たら何と言うでしょうか、と一度だけ思いました。たぶん、何も言わないと思います。母は仕上がりを褒めたことも、けなしたこともありません。ただ裏を返して、指でなぞって、それで終わりでした。


 二組こしらえました。


 一組は寝かせた糸で織った布。もう一組は、王都から持ってきた麻を、仕立てだけ同じにしたもの。違いを一つにするためです。


 蔵の台へ載せて、蓋は開けたまま。札を縫いつけて、日を書きました。


    ◇


 十日は長うございました。


 三日目に一度、見に行こうとして、階段の途中で止まりました。開ければ空気が入れ替わります。入れ替われば、条件が変わります。前の三組のときは六日目に開けました。あれも、いま思えば余計なことでございました。


 わたしは階段を下りずに、工房へ戻りました。


 その晩、旦那様が来られました。


「何日目だ」


「三日目でございます」


「あと七日か」


「はい」


 旦那様は裁ち台の脇へ寄って、糸巻きの箱を見ておられました。太さごとに立てて並べたものです。


「これは、寝かせたほうか」


「左の三つが、寝かせたものでございます」


 手を伸ばして、一つ取って、指で撚りをほどこうとなさいました。うまくいかず、二度目でほぐれました。


「……違うな」


「違います」


 それだけの話でしたが、旦那様はしばらく箱の前におられました。


    ◇


 十日目の朝、四人で蔵へ下りました。


 わたしと、グレーテと、バルトと、旦那様。


 わたしは一組目の札を確かめて、いちばん上の一枚を持ち上げました。


 折り目を開きます。指で撫でます。鼻を近づけます。


 ――何も、ありません。


 粉は出ておりません。灰色にもなっておりません。匂いも、しない。


 厚みの真ん中まで指を差し込んで、止めました。


 温こうございました。


 二組目を開けました。王都の麻を、同じ仕立てにしたほうです。


 こちらは、折り目に粉が出ておりました。前の三組ほどではありません。仕立てを変えたぶんは効いております。ただ、出ております。


 差は、布でございました。


    ◇


 わたしは一枚目を両手で持ったまま、しばらく立っておりました。


 何か言わなければと思いましたが、言葉が出ませんでした。


 バルトが帳面を落として、拾って、また落としました。グレーテは灯りを持ったまま、天井を見上げておられました。


「もつのか」


 旦那様の声でした。


「……もちます」


「春まで」


「春どころではございません。この布でしたら、三代もちます」


 顔を上げました。


 旦那様が、笑っておられました。


 目尻のところが少し下がって、口の端が上がっている。それだけでございます。ほかの方でしたら、笑ったうちに入らない顔かもしれません。


 わたしは、この方が笑うところを初めて見ました。バルトも見たようで、帳面を三度目に落としておりました。


    ◇


 蔵を出ると、外の音が違っておりました。


 水の音でございます。屋根から落ちている。四か月、聞かなかった音でした。


 中庭に出ると、雪が黒くなって、石が見えておりました。


「道が開きましたな」


 バルトが言いました。


「今年は早うございます。例年より半月ほど」


 わたしは坂の下を見ました。


 白い斜面を、黒い点が二つ、こちらへ向かって上がってきておりました。


 馬でございます。その後ろに、車。


 車の側面に、紋が入っておりました。距離があってもよく見えます。金と、青。


 ――王都の。


 わたしはその紋を、十年見て育ちました。

布は、裏に本当のことが書いてあります。


折り返しを深く取ると丈夫になりますが、そのぶん布が重なって水が残ります。丈夫さと乾きやすさは、たいてい逆を向いております。どちらを取るかは、その土地が決めます。


次話、馬車から降りてきたのは妹でした。広間に人が集まっている前で、妹は言います。「その櫃の中身、ぜんぶわたくしのものですけれど」


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