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妹の代わりに嫁ぎましたので、嫁入り支度はもう縫いません  作者: 綾瀬つむぎ


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13/23

第13話 辺境の織り手は、糸を寝かせます

 洗い場は、朝がいちばん人が多うございます。


 グレーテは大鍋の前に立って、灰汁の加減を見ておられました。わたしが入っていっても、こちらを見ません。


 わたしは布を抱えたまま、隣に立ちました。


「これは、何という織りでございますか」


「織りに名前はありません」


「では、どなたが」


「わたしの母が織ったものです。四十年ばかり前の」


    ◇


 鍋の中で灰汁が動いておりました。


 グレーテは木の棒でそれをかき回しながら、こちらを見ずに話し始められました。


「糸をね、寝かせるんです」


「寝かせる」


「紡いだ糸を、すぐには使いません。桶に入れて、蓋をして、蔵に置いておく。ひと冬」


「ひと冬」


「そうすると、糸が土地に慣れます」


 わたしは布を持ち直しました。


 慣れる、という言い方が何を指しているのか、すぐには分かりませんでした。


「奥様は、王都の糸をお使いでしょう」


「はい」


「あれは南で紡いで、南で乾かした糸です。ここへ持ってくると、ここの水を吸います。吸って、太ります。太った糸で織った布は、目が詰まります」


    ◇


 ――そういうことでございましたか。


 糸は、繊維を撚り合わせたものです。撚りのあいだには隙間がございます。その隙間の大きさは、紡いだ土地の湿り具合で決まります。乾いた土地で紡いだ糸は、隙間が小さい。


 その糸を湿った土地へ持ってくると、繊維が水を吸って膨らみ、隙間が潰れます。


 潰れた隙間には、風が通りません。


 布が水を出せないのは、水を出す道が塞がっているからでございました。仕立てが悪いのでも、詰め方が悪いのでもありません。糸そのものが、この土地の空気の中で息をしていなかったのです。


 寝かせるというのは、糸に先に水を吸わせて、膨らみ切らせてしまうということでしょう。膨らみ切った糸は、それ以上太りません。太らなければ、隙間は残ります。


「グレーテさん。寝かせた糸は、織ったあとに縮みませんか」


「縮みません。もう縮んでますから」


 わたしは布をもう一度、両手で持ち直しました。


 目が粗いのは、下手だからではありませんでした。粗く織るしかなかったのでもありません。粗いほうが風が通るから、粗く織ってあるのです。


 撚りが甘いのも同じでしょう。きつく撚った糸は丈夫ですが、内側に空気が入りません。甘く撚れば弱くなります。弱くなるぶんを、太くして補っている。だから重い。


 この布の作りは、全部が同じ一つのことを向いております。水を溜めない。それだけのために、丈夫さも、見た目の揃いも、手放してあります。


 王都の織り手が見れば、粗末な布だと言うでしょう。


 王都の織り手は、水を溜めない布を作る必要がありません。


    ◇


 しばらく、二人とも黙っておりました。


 鍋の中で灰汁が音を立てております。グレーテは棒を持ち上げて、しずくが落ちるのを見て、また戻しました。


「なぜ、教えてくださったのですか」


 手が止まりました。


「三人とも」


 声が、少し低くなりました。


「三人とも、あたしがお世話しました。マルグリット様の櫃を蔵へ入れたのも、あたしです。イルゼ様のも、アンナ様のも」


 棒が、鍋の縁に当たって音を立てました。


「入れるときに、床に直に置きました。台に載せるなんて、思いつきもしませんでしたよ。誰も言わないんだから」


 わたしは何も言いませんでした。


「春に開けて、ああなって。それで実家から人が来て、連れて帰られて。三度です。三度、あたしは玄関で見送りました」


 グレーテは棒を鍋から出して、脇の桶へ置きました。


「四度目に、また同じことを見るのは、もう嫌なんですよ」


    ◇


「布を冬に出すな、というのは」


 わたしがそう言いかけると、グレーテは首を振られました。


「あれは、あたしが言い出したんです」


「グレーテさんが」


「マルグリット様の櫃を、春に開けたときに。あたしがあの櫃を動かしたせいだと言われまして。動かしたのは事実です。蔵へ入れるのに、二階から下ろしましたから」


「それは、動かしたせいではございません」


「そうでしょうね。いまは、そう思います」


 グレーテは前掛けで手を拭かれました。


「けど、当時は分かりませんでした。分からないときに、とりあえず何かを禁じるでしょう。禁じておけば、次に何かあっても、あたしのせいじゃなくなりますから」


 三十二年ここにいる方が、三十二年ぶんの何かを守っていたのではありませんでした。守っていたのは、たった一度の失敗の記憶でございます。


 禁じるというのは、便利な道具です。


 理由が分からないときに、とりあえず動きを止められます。止めておけば、次に何かが起きても、止めた人の責任にはなりません。責任にならないものは、誰も見直しません。見直されないまま三十二年が経つと、それは掟になります。


 わたしの家にも、同じ形のものがございました。


 長女が針を持つのは体裁が悪い。縫い手の名は入れないもの。あれも、たぶん誰かが一度、都合が悪くなって言い出したことです。言い出した人はもういません。手順だけが残って、十年、わたしの名を消してまいりました。


 同じ形のものが、この土地では布を殺しておりました。


    ◇


 その日から、教わりました。


 糸を寝かせる桶は、木で、蓋は板。蔵の隅に置きます。桶の底に一寸ほど水を張って、糸は水に触れないよう、簀の上に置く。触れさせると腐ります。触れさせずに、空気だけ湿らせる。


 ひと冬というのは長すぎるので、急ぐときは四十日でも通るそうです。


「四十日でも」


「母はそう言ってました。半分寝てりゃ、寝てないよりましだと」


 いま寝かせ始めれば、春の初めには使えます。


 わたしは工房の糸巻きを全部出して、太さごとに分けました。王都から持ってきた麻糸が四種、行商で買ったものが三種、ヘルガの家の毛糸が二玉。


 桶は厨房の裏に空きがありました。バルトに頼んで、簀を作ってもらいました。


 糸を入れて、蓋をして、蔵の隅へ。


 置きながら、グレーテが横で見ておられました。


 わたしの手つきを見ていらしたのだと思います。糸の入れ方に決まりがあるのかどうか、聞かずに確かめておられる。教える側になるのは、この方も久しぶりなのでしょう。


 簀の上に糸を並べるとき、重ねないようにいたしました。重ねると下のものだけ湿りが早くなります。同じ日に入れたものは、同じ条件で出したい。


「奥様。ひとつ、よろしいですか」


「はい」


「その、酢のやつ。あれ、ほかの家にも教えていいですか」


    ◇


 夕方、工房へ戻って、母の織った一反を裁ち台に広げました。


 目は粗いのに、重い。撚りが甘い。指で押すと沈んで、離すとゆっくり戻る。


 これは、隙間の多い布でございます。


 王都の目で見れば、粗末な織りです。目が揃っておらず、糸の太さも一定でない。市場に出せば安値がつきます。


 けれどこの布は、この土地で四十年もっております。


 わたしは端を少し切って、湯につけました。乾かして幅を測るためです。数を取らねばなりません。


 帳面の「この土地の数」の頁を開いて、二行目を書きました。


 三行目からは、まだ空いております。


 埋めるべきことは分かりました。順に書き出します。


 寝かせた糸の縮み。四十日と、ひと冬の差。粗い織りの水の抜け方。細かい織りとの比。この土地の羊毛の脂の量。脂を落とす加減。落とした糸を寝かせる日数。


 七つ。どれも測れます。測るには時間が要ります。


 春までに全部は無理でしょう。三つか四つ。それでも、去年より三つか四つ多い。


 わたしは頁の下に短く書きました。


 ――布は買うものだと思っていた。


 これは数ではありません。数ではありませんが、書いておくべきことでした。

布は、裏に本当のことが書いてあります。


乾いた土地で紡いだ糸は、繊維のあいだの隙間が小さくできています。それを湿った土地へ持ってくると、糸が水を吸って太り、隙間が潰れます。潰れると布は水を出せません。ですから先に吸わせて、膨らみ切らせておく。糸を寝かせる、というのはそういうことでした。


次話、寝かせた糸で二枚目の試作を作ります。今度は蔵へ入れて、十日待ちます。


ブックマークと評価をいただけますと、この工房が続きます。

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