第11話 喪の黒を、婚礼の黒に
鍛冶屋の後家は、ドロテアと申しました。
四十を少し過ぎたくらいでしょうか。工房の入口で立ち止まって、なかなか入ってこられません。抱えている包みが小さいので、直しものではないのだろうと思いました。
「奥様。あの、婚礼の」
「どうぞ、お入りください」
卓の上で包みを開くと、黒い布が一枚出てまいりました。
喪服でございます。羊毛の厚手で、染めは黒。ただ、黒というより、いまは灰に近い色になっておりました。日と洗いで抜けたのでしょう。襟と袖口だけ、まだ濃い黒が残っております。
「これしか、ないんです」
◇
話を伺いました。
ドロテアさんは十二日後に婚礼を挙げるのだそうです。相手は同じ村の男の方で、二人とも二度目。前のご主人は五年前に亡くなって、この喪服はそのときに仕立てたものでした。
「そのときに、いい布を買ってしまって」
喪服というのは、たいてい一生に何着も作りません。だから作るときには少し無理をします。ドロテアさんも無理をして、それが五年後に一枚だけ残った上等な布になりました。
わたしは布を持ち上げて、光から外して見ました。
織りは詰まっております。目方もある。裏を返すと、縫い代の始末が丁寧でした。村の仕立て屋の仕事でしょうが、手を抜いておりません。
黒は難しい色でございます。
染めるのに手間がかかります。一度で黒くはなりません。青か茶を先に入れて、その上から重ねる。重ねる回数で深さが決まるのです。回数の少ない黒は、日に当たると赤く抜けます。多い黒は、抜けても灰に留まりました。
この布は灰に抜けております。つまり手間のかかった黒です。
抜けたのは表だけでした。裏はまだ濃い。日は表にしか当たりません。当たり前のことですが、この当たり前が使えます。
仕立て直すとき、表と裏を入れ替えるという手があるのです。ただ、この衣装ではできません。縫い代の始末が丁寧すぎました。丁寧な始末は、裏を見せる前提で作られておりません。ほどけば跡が残ります。
「奥様。これ、染め直せますか」
「染め直しは、いたしません」
「……やっぱり、だめですか」
「だめではございません。染め直さないほうがよい、という意味でございます」
◇
黒は、染め直すと重くなります。
もともと黒く染めた布にもう一度黒を入れると、染料が繊維の外側に溜まります。溜まった染料は光を吸って、艶がなくなる。艶のない黒は、遠目に喪服に見えます。喪服に見えるものを婚礼に着ることになります。
それに、この土地では乾きません。厚手の羊毛を染めて乾かすには、十日以上かかります。十二日しかないのに、十日を染めに使うわけにはまいりません。
「黒のままで、婚礼にいたします」
「黒のまま、ですか」
「黒は、婚礼に使えない色ではございません。この国では白が多うございますが、それは決まりではなく、流行りでございます。北の村では黒の婚礼衣装もあったと聞きました」
ドロテアさんは、少し困った顔をなさいました。
「でも、これ、みんな知ってるんです。わたしがこれを着て、あの人を送ったの」
◇
そこが本当の相談でございました。
布の問題ではありません。この衣装を見た村の人が、五年前を思い出す。思い出させたくない。それが、この方の言いたかったことです。
わたしは襟のところを指でつまみました。
襟と袖口だけ、色が濃く残っております。ここは日に当たらず、洗いでも擦られない場所だからです。ということは、この布はもともとこの色だったということでもあります。
思いつくのは、二つでございました。
ひとつ、形を変える。襟の形を変えれば、同じ布でも別の衣装に見えるのです。喪服の襟は詰まっていて、首まで隠すもの。開けて、肩を出す形にすれば、印象は変わります。
ふたつ、色を足す。染めるのではなく、別の色の布を足すのです。
「襟を落とします。それから、ここへ一本」
わたしは糸巻きの箱から、ヘルガの上衣の裁ち屑を出しました。生成りの麻でございます。
「白を、細く」
「白」
「襟の縁と、袖口と、裾に、指一本ぶんの幅で。黒の面積は変わりませんが、白の線が入ると、見る人の目は線のほうを追います」
◇
仕立ては六日かかりました。
襟を落とすというのは、切って開けばよいというものではありません。喪服の襟には芯が入っております。抜けば、そこだけ布が泳ぐ。泳がないように、抜いた跡へ薄い芯を入れ直して、形を作ってから縁を始末しました。
白の線は、縫いつけではなく挟み込みにいたしました。黒い布の縁を折るときに、白い麻を一緒に折り込んで、端から一分だけ出す。縫いつけると、白の上に黒い糸が渡って濁ります。挟めば、白がそのまま白で出ます。
麻と羊毛でございますので、また縮み方が違います。裏へ細い麻を渡して、余地を作りました。ヘルガの上衣と同じでございます。
芯地は、屋敷の古い卓布から取りました。
芯に使う布は、新しくないほうがよいのです。新しい布は洗うと動きます。動く芯を入れれば、表がつられて歪む。何度も洗って動かなくなった布のほうが、芯には向いております。
古い卓布を裁つとき、少し迷いました。まだ使える布でございます。
けれど卓布として使えば卓を汚さないだけですが、芯にすれば衣装の形を十年保ちます。布は、いちばん効く場所へ置くのが正しい。母がそう言っておりました。
縫っている途中で、一度、手を止めました。
自分の袖口の縫い代を、めくって見たのです。指の腹でなぞって、糸の盛り上がりを確かめて、また戻しました。
なぜそうしたのか、自分でもよく分かりませんでした。
◇
六日目の夕方、ドロテアさんが取りに来られました。
羽織って、袖を通して、それから工房の壁のほうを向いて、しばらく黙っておられました。
背中しか見えませんでしたので、どんな顔をしていらしたかは存じません。
「これ、あの人の喪服だって、分かりますか」
「分かる方には、分かります」
「そうですか」
「ただ、白い線を見た方は、たぶん、そちらしか覚えません。人は、動くもののほうを見ますので」
白い線は、体が動くと黒の中で動いて見えます。じっとしていれば黒い衣装ですが、歩けば線が動く。婚礼で人が見るのは、歩いているところでございます。
これは母から習ったことではありません。
王都で、ある年の舞踏会の支度を手伝ったときに気づきました。喪の明けた方が久しぶりに人前へ出るというので、黒に銀の細い縁を入れたのです。その方が広間を歩いたとき、誰も喪の話をしませんでした。
布は記憶を持っております。持っているものを消すことはできません。
できるのは、その隣に新しいものを置くことだけです。置いたものが動けば、人はそちらを見ます。人の目は薄情なもので、動くものにしか止まりません。薄情ですが、そのおかげで助かることもございます。
仕上げに、袖の内側だけ手を入れました。
鍛冶を継いだ方です。腕を使います。喪服の袖は細く作ってありました。細い袖は、腕を上げると肩が引かれます。婚礼で腕を上げる場面は何度もございます。
脇の下へ小さな菱形の布を足しました。四方をつまんで縫い込むだけの仕事です。表からは見えません。これがあると腕が上がります。
こういうものを足したことは、言いませんでした。言えば気を遣わせます。着て、楽だと思っていただければ、それで用は足ります。
ドロテアさんは襟のところを一度だけ触って、それから振り向きました。
「お代は」
「鍛冶をなさるとお聞きしました」
「はい、主人の仕事は継いでおりますけど」
「では、目打ちを一本、直していただけますか。先が丸くなってしまって」
◇
その晩、工房の灯りを消す前に、帳面へ書き足しました。
黒の羊毛、五年もの、洗いによる褪色。染め直しは不可。形と線で対処。
それから、蔵のことを書きました。三組を入れて、六日でございます。
あと四日。
布は、裏に本当のことが書いてあります。
黒は染め直すと艶がなくなります。染料が繊維の外に溜まって、光を吸うからです。艶のない黒は、遠目に喪服に見えます。ですから黒を変えたいときは、黒を触らずに、隣に別の色を置きます。
次話、蔵を開けます。グレーテが言ったのは十日でした。ユーリアは十日目を待たずに、六日目の夜に一度だけ見に行きます。
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