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妹の代わりに嫁ぎましたので、嫁入り支度はもう縫いません  作者: 綾瀬つむぎ


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10/23

第10話 板を打てば、風が止まります

 十月の三の日から、槌の音が始まりました。


 窓の外側に厚板を立てて、枠へ打ちつけていきます。上から順に、南側から。二日で終わるのだそうです。


 打ち終わった部屋は、昼でも暗うございました。板と板のあいだの隙間から、細い光が三本ほど入るだけです。空気が変わったのがすぐに分かりました。動きません。息をすると、そのまま同じところに留まっている感じがいたします。


 わたしは打ち終わった広間で、幕の裾に手を当てました。


 朝より湿っております。板を打っただけで、半日でこうなります。


 湿りを手で測るには、二か所を比べます。一か所だけ触っても、それが湿っているのかどうかは分かりません。人の手は温度を感じますが、水の量そのものは感じないからです。ですから乾いていると分かっている場所へ先に触れて、それから測りたい場所へ触れます。差だけが分かります。


 乾いている場所は、この屋敷では厨房の梁の上でした。火があるからです。そこへ手を当ててから、幕の裾へ移すと、はっきり違います。


 板を打った日の朝から夕方までに、この差が二倍になりました。


    ◇


「バルト様。寝具を全部、動かしとうございます」


「全部でございますか」


「十七組です。それから幕四枚と、卓布」


 バルトは帳面を開いて、それから閉じました。


「人手が要りますな」


「四人、三日いただければ」


「台も要りましょう」


「木箱で足ります。厨房の裏に空き箱がございました。あれを伏せて並べて、上に板を渡せば」


 バルトは廊下の先を見ました。


「奥様。申し上げておきますが、この屋敷では冬に布を出しません」


「出さない、と申しますと」


「掟のようなものでございます。理由は、わたくしも存じません」


    ◇


 理由を知っている人は、洗い場におりました。


 グレーテは籠を抱えたまま、わたしの話を最後まで聞いて、それから一言だけ言いました。


「出しません」


「なぜでございますか」


「冬に出したら、傷むからです」


「どこで傷みますか」


 グレーテの手が止まりました。


「……どこ、とは」


「運ぶ途中で傷むのか、出した先で傷むのか、動かすことそのものが悪いのか。どれでございましょう」


 答えは返りませんでした。


 この方が意地悪をしているのではないことは、分かっておりました。掟というのは、たいてい、理由が失われたあとの手順のことでございます。誰かが昔、正しい理由でそう決めた。決めた人がいなくなって、手順だけが残った。


 残った手順は、たいてい半分正しくて、半分間違っております。


「グレーテさん。わたしは、この屋敷の布を四組、去年捨てたと聞きました」


「四組ではありません」


「では」


「九組です。帳面に載っているのが四組でございます」


 わたしは、それを聞いて黙りました。


 載らない五組は、たぶん、誰かが黙って捨てたのです。捨てたと言えば、手入れを怠ったと言われますので。


 三十二年ここにいる方が、毎年、帳面に載らない布を捨てている。捨てながら、掟だから冬に布は出さないと言う。


 この二つは、たぶん繋がっております。


 冬に出さないという掟は、たぶん「出しても悪くなるだけだから、触るな」という諦めの形をしております。触らなければ、悪くなったのは布のせいです。触って悪くなれば、触った人のせいになります。


 それで九組が帳面から消えるなら、消したくもなるでしょう。


 この方が守っているのは布ではありません。布を扱う人でございます。


「――九組を、来年も捨てますか」


「捨てます」


 グレーテは籠を持ち直しました。


「捨てますとも。ここらはそういう土地です」


    ◇


 その日の夕方、旦那様が広間で待っておられました。


 バルトが話を上げたのでしょう。グレーテも呼ばれておりました。二人とも立ったままで、旦那様だけが卓の前に座っておられます。


「グレーテ」


「はい」


「布を出すな、と決めたのは誰だ」


「……存じません。わたくしが来たときには、もうそうでございました」


「何年だ」


「三十二年になります」


 旦那様はしばらく黙って、それからこちらを向かれました。


「動かして、悪くなることはあるか」


「あります。運ぶあいだに床へ触れさせれば、そこから来ます。移した先が今より悪ければ、当然、今より悪くなります」


「ではどうする」


「移す先を先に作ります。作ってから運びます。運ぶのは一日に四組まで。それ以上は目が届きません」


 旦那様は指で卓を一度叩かれました。


 この方は決めるのが速い方でございます。速いというより、迷っているところを人に見せません。三十二年の掟と、来て一月の女の言い分を並べて、その場で選ばれました。


 選んだあとで、必ずもう一方へも言葉を残されます。これも癖です。


「やれ」


 それから、グレーテのほうを見られました。


「ただし、グレーテの言うことを聞け。三十二年ここにいる」


 わたしは頭を下げました。グレーテは何も言いませんでした。


    ◇


 台は二日で組みました。


 空き箱を伏せて二列に並べ、その上に板を渡します。高さは床から一尺と少し。低すぎると意味がなく、高すぎると布を持ち上げるのが大変で、人が雑になります。人が雑になる高さは、結局、布に悪うございます。


 置いたのは二階の東の部屋にいたしました。理由は二つ。ひとつ、壁が二重になっていること。ふたつ、扉が二つあって風が抜けること。


 二階を選んだのは、水が下から上がるからでございます。蔵の壁で見た白い線は、床から二尺のところにありました。一階の部屋も、たぶん同じ高さまで来ております。二階なら、そこまで上がりません。


 東を選んだのは、朝に少しだけ日が入るからです。日は布に悪うございますが、部屋そのものは温めるのです。温まった部屋は、水を空気の中に持てる。持てるようになった水は、扉を開けたときに出ていきます。


 布に日を当てない。部屋には日を入れる。この二つは両立します。布を布で覆っておけばよいのです。


 風を抜くには扉を二つ開けなければなりません。開ければ寒うございます。ですから開けるのは昼のいちばん暖かい刻に、半刻だけ。半刻でも、動かない空気を入れ替えるには足ります。


 寝具は一日四組ずつ、四日かけて運びました。運ぶ前に一組ずつ広げて、匂いを確かめて、酢で拭くものと拭かないものを分けます。拭いたものは厨房の梁で一晩乾かしてから上げます。


 十七組を広げてみて、分かったことがございました。


 傷み方に順番があるのです。いちばん悪いのは、いちばん使っていないものでした。よく使う寝具は毎日たたまれて、動かされて、人の体温で温まります。使わないものは、しまわれたまま動きません。


 つまりこの屋敷では、大事にしまってあるものから駄目になっております。


 客用の三組が、そうでした。年に二度しか出さないもので、三組とも粉が浮いております。逆にグレーテたち使用人の使っている古い寝具は、擦り切れてはおりましたが、黴はほとんどありませんでした。


 布は使うと減ります。使わないと腐ります。どちらかしかありません。


 グレーテは何も言わずに、途中から籠を運ぶのを手伝ってくださいました。手伝いながら、一度だけ聞かれました。


「その、酢ってのは、匂いが残りませんか」


「乾けば抜けます。残るようでしたら、濃すぎます」


「……五倍」


「五倍でございます」


    ◇


 最後に、試しの三組を仕立てました。


 褥布を三組。大きさも布も同じにいたします。違うのは扱いだけです。


 一組目は、王都の作法どおり。畳んで、油紙も灰も入れず、そのまま。

 二組目は、仕立ては同じで、詰め方だけ変える。油紙を敷いて、灰袋を四隅に。

 三組目は、仕立てから変える。縫い代を割らずに片返しにして、重なりを一枚減らします。重なりが厚いところから来る、というのが蔵で見た形でございました。


 三組それぞれに、麻の札をつけて、番号を縫い込みました。紙の札は湿ると読めなくなります。


 蔵へ運んで、床から一尺の台へ載せました。蓋は開けたままにいたします。


 鍵をかけるとき、グレーテが後ろに立っておりました。


「奥様。それ、いつ開けるんです」


「春でございます」


「十日で分かりますよ」


 わたしは振り向きました。


「十日でございますか」


「ここらは、十日です」


 グレーテはそれだけ言って、先に階段を上がっていきました。


 言い方に棘はありませんでした。忠告でも、脅しでもありません。この土地では十日でそうなる、というだけの事実を、事実として置いていかれたのだと思います。


 三十二年ぶんの十日でございます。わたしの帳面には、まだ一行しか書いてありません。


 わたしは鉄の扉の前に立ったまま、しばらく動きませんでした。


 十日。


 春まで待って何が起きるかを見るつもりでおりました。十日で分かるのなら、そのほうがずっとよいのです。よいのですが、十日で分かるということは、十日で駄目になるということでございます。

布は、裏に本当のことが書いてあります。


掟というのは、たいてい理由が失われたあとの手順のことです。誰かが正しい理由で決めて、決めた人がいなくなって、手順だけが残る。残った手順は、たいてい半分正しくて、半分間違っております。


次話、鍛冶屋の後家が工房へ来ます。持ってきたのは、喪服が一枚きり。婚礼まで十二日でございます。


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