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星霜の繭 ~最後の竜司祭は静かに祈る~  作者: 夜空スケッチ


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第四章 星霜の繭の歌 1

明け方まで、レンは図書館にいた。


大神殿付属図書館の夜間閲覧室は、壁一面の魔導灯が落とした青白い光に満ちていた。本来ならば夜間の利用は禁じられているが、グレゴリウス大司教の特命という名目で、彼は特別に許可を得ていたのである。


机の上には、積み上げられた写本や巻物が山をなしている。その多くは禁書庫から運び出されたものだった。統一戦争以前の古い祈祷書、失われた修道院の記録、そして古代歌謡に関する断片的な研究書の数々。


レンは「星霜の繭」の歌詞を、一枚の羊皮紙に書き起こしていた。昨晩、セラフィーナが記憶のままに口ずさんでくれた旋律に、詞をあてはめていく。彼女の声は小さく、何度も途切れたが、それでも古い子守唄の全貌は、おおむね明らかになったのである。


《星霜の子らよ 光の繭に眠れ》

《風の産毛に包まれ 土の褥に還るまで》

《尾を食むもの 輪を廻るもの》

《ウツロイよ ウツロイよ》

《汝がひとり啼く夜は 誰が聴く》

《汝がひとり散る朝は 誰が看る》

《七たびの星霜を経て 種は芽吹く》

《歌え 歌え 繭を破る朝まで》

《ウツロイよ ウツロイよ》

《風の産毛よ 光の繭よ》


レンは羽根ペンを置き、目をこすった。


この歌には奇妙な特徴がいくつもある。まず、文法が現代ザクセン語でもなければ、古ザクセン語でもない。そのどちらの要素も混ざり合い、さらに系統の異なるもっと古い言語の痕跡が垣間見えるのだ。


(これは……クレオールだ)


レンは前世の知識を総動員して分析を進めた。大傾斜大陸には、統一戦争以前にいくつもの言語系統が存在した。先住民族の古アルカイック語派、征服者たちのザクセン語派、そして西方から渡来した交易民のタラッサ語派である。この歌詞は、それらが混ざり合った稀有な言語資料だった。


「風の産毛ウインドダウン」「土のアースクレイドル」「光のライトコクーン」。これらの単語は、古アルカイック語とタラッサ語の合成語だ。意味を逐語訳するだけなら容易い。だが、問題は音だった。


レンは目を閉じ、セラフィーナの歌声を思い出す。


彼女が歌ったとき、周囲の魔素がかすかに共振していた。特定の音節で、空気中の魔素がピンと張りつめ、まるで弦を弾かれたように震えたのだ。彼の眼は確かにそれを捉えている。とくに「ウツロイ」の語を発した瞬間、魔素の波長がはっきりと変化した。


(この歌は……魔導音響だ)


彼は確信を深めていった。古い時代、言葉は単なる意味伝達の手段ではなかった。特定の周波数に乗せられた言葉が、魔素そのものを振動させ、現実に干渉する。いわば「世界と対話するための発声法」である。


そしてこの「星霜の繭」は、とりわけ特異な歌だった。なぜなら、歌詞のなかに「聴き手」が明示されているからだ。


《ウツロイよ ウツロイよ》

《汝がひとり啼く夜は 誰が聴く》


この「汝」は、明らかに歌い手ではない「何か」を指している。つまり本来この歌は、独唱ではなく対話を前提としている。呼びかける者と、応える者。巫女と竜──否、巫女とウツロイ。


(歌の構造そのものが、対話のための枠組みになっている。儀式の歌だ)


半分透き通るような朝の光が、高い窓から差し込みはじめた。魔導灯が自動的に光度を落とし、かわって夜明けの蒼白い輝きが閲覧室を満たしていく。


そこへ、戸口に人の気配がした。


「ご精が出ますな」


グレゴリウス大司教だった。老聖職者は白い朝衣に身を包み、手には湯気の立つ陶器のカップを二つ載せた盆を持っている。


「少し休みなさい。これを飲むといい。南方の僧院でしか採れぬ、魔素疲労に効く薬草茶だ」


「……ありがとうございます」


レンが茶を受け取ると、グレゴリウスは机の上の羊皮紙を一瞥し、静かに腰を下ろした。


「どうやら、一晩で核心にたどり着いたようだな」


「確信までは、まだ。でもこの歌は、精霊との対話を目的に作られた魔導音響です。歌詞自体が送信機であり受信機でもある。もし正しい音律で歌えば、洞窟のウツロイにこちらの声が届くはずです」


「しかし、正しい音律とは?」


「そこが問題です」


レンは羊皮紙を広げながら説明した。


「現代ザクセン語の音韻体系は、千年前から大きく変わっています。たとえば古アルカイック語には、喉の奥を震わせる咽頭摩擦音や、舌を反らせる反転音が存在しました。現代語では失われた発音です。でもおそらく、それらの音こそが魔素を共振させる鍵なんです」


「なるほど。だが、誰がその発音を知っている?」


「……セラフィーナ様です」


グレゴリウスの眉が動いた。


「彼女は幼い頃から修道院で古式の聖歌を徹底的に学んでいます。昨晩、彼女が口ずさんだ歌を聴いて確信しました。彼女は無意識に、古代音に近い発声を再現できている。洗練された技術ではなく、もっと深い身体記憶として」


「巫女教育の賜物か、それとも」


「あるいは彼女自身の、魔素の特異性のなせることかも」


レンはカップを両手で包み、温もりを感じながら言葉を継いだ。


「つまり、彼女でなければこの歌は完成しません。ウツロイに言葉を届けられるのは、現状この世界で彼女だけです」


老聖職者は深くため息をつき、窓の外に目をやった。


「……まだ夜明けだというのに、今日はやけに騒がしい。聖堂騎士団の詰め所で、なにか動きがあったらしい」

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