表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
星霜の繭 ~最後の竜司祭は静かに祈る~  作者: 夜空スケッチ


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

12/15

第五章 星霜の繭 2

神梯嶺の中腹、森林限界を超えたあたりで、ふたりは一頭の馬を解き放った。


ここより先は、もはや馬が進める道ではない。岩と礫ばかりの荒れ果てた斜面に、かろうじて踏み跡が刻まれているだけだ。


セラフィーナは岩に手をかけ、息を切らしながら登る。修道院の生活で身体が鍛えられているとはいえ、さすがに標高三〇〇〇メートルを超える山道はこたえた。しかし彼女は一度も弱音を吐かず、ときにレンに手を引かれながら、黙々と歩を進めた。


周囲の岩肌には、奇妙な幾何学模様が刻まれている。


それは千年以上前の古代文字であり、古ザクセン語の祖形にあたる言語だった。統一戦争以前の、もっと古い時代に信仰されていた原始梯子教の祈祷文だ。レンの目は、その文字から立ち昇るかすかな魔素の燐光を捉えている。巡礼古道のこの区間は、かつては聖地へ向かう参道であり、文字自体が魔導を帯びていた。


やがて、ふたりは岩稜帯のさらに奥、巨大な崖にぽっかりと口を開けた洞窟の前に立った。


《昇華の門》──。


洞窟の入口は、高さが十メートルはあろうかという巨大なアーチを描き、その周囲の岩壁には無数の古代文字と、尾を食む蛇の浮き彫りが施されていた。浮き彫りは、千年の風雪に削られながらも、いまだその造形を留めている。


門の手前には、七段の階段が刻まれている。一段ごとに異なる神の神聖文字が彫り込まれ、第七段目の前に、ふたりは立った。


「ここから先は、生贄の巫女だけが入ることを許される場所」


セラフィーナは言った。


「私は十七年間、このためにだけ育てられました。父とも、家族とも、普通の幸せとも無縁のまま。それでも、それは仕方のないことだと、ずっと思ってきました。私には使命がある。それだけで、じゅうぶんだと」


「でも、今は」


「はい。今は、違う」


彼女は階段の前に立ち、そっと自分の額に手をやった。任命式で聖油を垂らされた場所だ。


「もし聖油が、私の耳をふさぎ、ウツロイの声を聴かせまいとするものなら」


彼女は指先で額をなぞり、それから自分のなかの魔素の流れに意識を集中させた。かつてレンに見せたあの巨大な渦のような流れが、彼女のなかで目覚める。聖油の冷たい膜が、その流れをせき止めようとするのを、彼女ははっきりと感じ取った。


「……私は、その鎖を断ち切る」


セラフィーナは静かに歌い出した。


「星霜の子らよ、光の繭に眠れ──」


それは朝の離宮でひとり口ずさんだのとは、まったく異なる歌声だった。深く、豊かで、まるで身体の奥底から湧き上がる泉のような声。彼女の周囲の魔素が、歌に共振し、巨大な渦を描きはじめた。


額の聖油が、かっと熱を帯びた。彼女の皮膚の上で、聖油が蒸発し、かすかな白い煙となって立ち昇る。痛みは一瞬。すぐに熱は引き、代わりに彼女の目の前が、ぱっと開けた。


(……見える)


彼女は初めて、魔素の流れを見ていた。


洞窟の奥から、蒼白い光の帯がゆっくりと流れ出し、彼女のもとへと届こうとしている。それは手のようにも見えた。翼のようにも、根のようにも見える。そしてそれは、彼女の歌を待っていた。


「聴こえているのね。あなたの声が、私に」


「行きましょう」


レンが手を差し伸べる。今度はセラフィーナの方から、迷いなくその手を握った。


ふたりは、第七段目の石段を踏みしめ、洞窟のなかへと足を踏み入れた。


洞窟の内部は、闇ではなかった。


岩壁のあちこちにびっしりと生えた淡光苔たんこうごけが青白い燐光を発し、かすかながら足元を照らしている。それだけではない。空気そのものが、無数の微小な光の粒子で満たされていた。魔素の胞子だ。洞窟全体が、ひとつの巨大な生命体の内部であるかのように、息づいている。


通路は長く、ゆるやかに下っていた。途中、何度か分岐があったが、レンは魔素の流れの濃さを頼りに、正しい道を選んで進む。セラフィーナもまた、聖油の呪縛から解き放たれた自分の感覚を研ぎ澄まし、ウツロイの声を追いかけていた。


(こっち……)


(もっと奥……)


ふたりは言葉を交わさずとも、同じ方向を目指していた。


やがて通路が終わり、巨大な空洞がひらけた。


天井は高く、果てが見えない。洞窟というよりは、山の内部に存在するもうひとつの世界のようだ。岩壁には無数の蒼白い結晶が埋め込まれ、それが全体をぼんやりと照らしている。


そして、空洞の中央に──。


それは、あった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ