異世界の姉と現実的な弟
「台所にいるけど……ちょっと待って!」
「は?」
鞄の向こうから、さとるの声が聞こえる。
「驚かないで聞いてくれる?」
「何? 料理でも失敗した?」
「そうじゃない」
私は一度、深呼吸した。
「ミカミさんのせいで、私……異世界に飛ばされた」
「……はい?」
やっぱりそうなるよね。
「驚くかもしれないけど、驚かないで!」
「さっきから何言ってんだ?」
「だから――」
「入るぞ!」
「えっ、ちょっと!」
さとるが台所へ入ってくる。
そして――
「うわぁぁぁ! 生首!?」
「落ち着きなさいよ! 私よ!」
「姉さん!?」
鞄から頭だけを出している私を見て、さとるが固まる。
「いやいやいや! 何これ!?」
「だから、異世界にいるの!」
「どういう状態なんだよ!」
さとるは私の首元を見ながら、手を左右に動かしている。
シューシュー。
どうやら私の首から下がどうなっているのか確認しているらしい。
「……手品?」
「違う!」
「じゃあ、どうなってるんだよ!」
「だから、かくかくしかじかで――」
私はミカミさんが神だったこと。
トラックに轢かれる前に異世界へ転移させられたこと。
そこで小屋を用意してもらったこと。
そして、この鞄が元の世界と異世界を繋いでいることを説明した。
◇
「……」
ずずー。さとるがお茶を啜る。
私も向こう側から持ってきたお茶を飲む。
「……」
「……」
「今だに信じられん」
「まあ、そうよね」
さとるはもう一度、私の頭を見る。
「でも……実際に姉さんの首が空中に出てるんだよな」
「首って言わないでよ」
「だって首だろ」
「身体もちゃんと向こうにあるから!」
「余計に意味が分からん」
「私だって分からないわよ」
さとるはため息を吐いた。
「それで、ミカミさんは?」
「あ」
そういえば、ミカミさん。
「何処へ行ったのよ!」
私は鞄越しに叫ぶ。
すると、さとるが一枚の紙を取り出した。
「これ」
「何?」
「ミカミさんの置き手紙」
「なんて?」
さとるが読み上げる。
「『店の事は任せろ! 今日はちょいと轢く予定』」
「……」
「……」
「何よ、それ」
「俺も最初、何かの漢字の間違いだと思った」
「でしょうね」
でも、話を聞けば聞くほど――
「マジか……」
さとるが頭を抱える。
「本当に神様だったのか、あの人」
「私も未だに信じられないけどね」
「それで、向こうではどうしてるんだ?」
「今のところ小屋があるから、寝る場所は大丈夫」
「食料は?」
「……」
私は目を逸らす。
「少しはある」
「少し?」
「カップラーメン」
「……何個?」
「今は一個」
「それ、食料があるとは言わないだろ」
「うっ……」
さすが弟。
「水は?」
「井戸があった」
「飲めるのか?」
「鑑定したら飲料可能だった」
「鑑定まで使えるのか」
「ミカミさんが付けてくれたみたい」
「そうか……」
さとるが少し考える。
「そっちの人たちとの接触は?」
「まだないわよ」
「村は?」
「村はずれって言ってたから、近くにあると思う」
「……」
さとるが黙り込む。
「ちょっと待ってて」
「何?」
さとるがどこかへ行く。
しばらくすると――
「ほら!」
「何これ?」
「これを装備して!」
「……鉈?」
さとるが一本の鉈を差し出してきた。
「そう」
「なんで?」
「魔法」
「うん」
「異世界」
「うん」
「魔物」
「……ちょっと」
私は鉈を見つめる。
「そんなの居るの!?」
「分からん」
「分からないの!?」
「でも、人間だってどんな人がいるか分からないだろ」
「それは……まあ」
「だったら武装しとけ」
「……」
さとるの言っていることは正しい。
異世界なのだ。
魔物がいるかもしれない。
盗賊がいるかもしれない。
危険な人間だっているかもしれない。
「分かった」
私は鉈を受け取った。
「持っておく」
「それと、食料も必要だな」
「うん」
「他に何か必要?」
「んー……」
私は小屋の中を思い出す。
鍋。フライパン。包丁。ベッド。井戸。
でも――
「食料!」
「やっぱりか」
「あと調味料!」
「調味料?」
「塩とか醤油とか味噌とか!」
「分かった」
さとるは立ち上がる。
「取ってくる」
「お願い!」
「他にも必要な物を考えておいて」
「分かった!」
さとるが台所から出ていく。
「……」
私は鞄の向こうから弟の背中を見送る。
異世界に来てしまった。
元の世界には帰れない。
でも――
「さとるがいるなら……」
少しだけ心強い。
私は手元の鉈を見る。
「……異世界生活、思ったより大変かも」
そして私は、鞄の向こうから弟が持ってくる物を待つことにした。




