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『異世界に行ったら、鞄の中が実家の商店でした』  作者: 稔


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異世界で初めての温泉

その前に……。


「流石に、仕切りが無いのは抵抗感が……」


完成した露天風呂を眺める。

温泉は十分に溜まっている。

温度も申し分ない。今すぐ入りたい。

だけど……周囲には何もない。


完全な開放空間。


「……これは無理ね」


いくら人がほとんど来ない場所とはいえ、さすがに落ち着かない。


「さとるー!」


「なにー?」


すぐに返事が返ってきた。


「ブルーシート、こっちに受け渡して!」


「はいよ!」


しばらくすると、バッグの向こうからブルーシートが渡されてきた。


「これでよし」


◇


杭も何本か用意する。温泉の周囲に杭を打ち込んで、そこへブルーシートを張っていく。


「ここをこうして……」


「よいしょ……っと」


風で飛ばされないように、しっかり固定。

四方を囲んで、入口だけ少し開けておく。


「……」


私は完成した簡易目隠しを眺める。


「よし! これでオッケー!」


見た目は……まあ、簡易露天風呂。

でも、これなら人目を気にせず入れる。


「さあ……」


私は服を脱ぎ、ゆっくりと温泉へ入る。

ちゃぷん。


「……」


肩まで浸かる。そして――。


「はぁぁぁー……」


思わず声が漏れた。


「あぁ……沁みるー……」


疲れていた身体に、温かいお湯が染み込んでくる。


「ふぅーー……」


力が抜ける。肩も、腰も、足も。

全部が温泉に包まれていく。


「これよ……これ!」


私は目を閉じる。異世界に来てから、初めてのちゃんとしたお風呂。


しかも……。


「異世界で温泉……」


思わず笑ってしまう。


「しかも露天風呂!」


自分でも、何をやっているんだろうと思う。

異世界に来た。畑を作った。村の人たちと商売を始めた。

果樹を植えた。ユーカリまで植えた。

そして今は、温泉に入っている。


「……人生、何が起こるか分からないわね」


私は湯船の縁に頭を預ける。

ふと空を見上げる。


「……」


星が綺麗だった。

日本にいた頃も、星を見ることはあった。

でも、こんなにゆっくり空を眺めることなんて、ほとんどなかった。


仕事をして、店を切り盛りして、毎日を忙しく過ごして、夜になれば、明日のことを考えて、そんな生活だった。


「……こんなに星、見えたんだ」


街の明かりがない。周囲に建物もない。

ただ、静かな森と夜空。星が無数に見える。


「綺麗……」


しばらく何も考えず、空を眺める。

風が少し吹き湯気がゆっくり流れていく。


「……はぁ」


また、深いため息が出る。でも今度のため息は、疲れからではない。


「幸せ……」


思わず口から出た。こんな生活になるなんて、少し前の私は想像もしていなかった。


「温泉、作って良かったなぁ……」


最初は薪の問題。そのためにユーカリを植えようとして、鉄が必要だと思って、鉄を探そうとして、そして――なぜか温泉を掘り当てた。


「……神様って、本当に何を考えてるのか分からないわね」


私は苦笑する。

でもこの温泉を見つけられたことだけは、素直に嬉しい。


「これなら……」


私は少し考える。


「村の人たちにも、入ってもらえるようにしたいな」


この気持ちいい温泉を、自分だけで独占するのはもったいない。


ただ……。


「どうやって村まで持っていくかよね」


温泉はここにある。村から少し離れている。

配管?水路?それとも、ここに温泉施設を作る?


「うーむ……」


私は湯船に浸かったまま考える。

そして――。


「まあ、今日はいいか」


せっかくの初温泉だ。今は余計なことを考えずに楽しもう。


「……もう少し、このままでいよう」


私はもう一度、夜空を見上げる。

満天の星空に、温かい温泉に、静かな森。


「異世界生活……」


私は小さく笑った。


「悪くないかもね」

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