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第1000話 迷う男 1

 当時のオレは19歳、大学受験生だった。


 自宅から最寄もより駅についてもまだ迷いが残っている。

 浪速なにわ大学か神港しんこう大学か?

 手には両方の大学の受験票があった。


 一方は現役受験の時に落ちてしまった浪速大学だ。

 もう1つは親に言われて出願した神港大学。


 浪速なにわ大学というのは、いうまでもなく、あの「白い巨塔」の舞台だ。


 親にとっては浪速大学受験など無謀むぼうだとしか思えなかったのだろう。

 国立大学の医学部を目指すにしても、もう少し現実的な神港大学を受けろ、と言われてそちらにも願書を出した。


 受験日が迫る中、オレは悩みに悩んだ。

 そして受験当日の朝を迎える。


 偏差値とか学閥がくばつとか。

 最早もはやそういう事はどうでも良かった。


 自分の人生だ、自分で決断するしかない。


 その時、ふと思った。

 オレ、本当はどうしたいのだろうか?



 あの「白い巨塔」の世界を目の前で見たくないのか?

 財前五郎ざいぜんごろうが、里見脩二さとみしゅうじが繰り広げる人間ドラマ!


 もちろん神港大学には神港大学の歴史と伝統があるだろう。


 しかしオレは自分の目で見たい、浪速大学医学部の栄光と悲劇を!

 権謀術数けんぼうじゅっすうの教授選、愛憎渦巻あいぞううずまく医療裁判。

 果たして小説に描かれた世界は本当なのか。

 そいつを肌身で感じたい。



 気がつくとオレは浪速大学行きの電車に乗っていた。


 結果として「神港しんこう大学を受ける」と言った親には嘘をつく事になる。

 でも、その罪悪感は地獄の底をのぞいてみたいという思いにかき消された。



 さすがに受験も2年目になると特に迷うことなく試験会場に着いた。

 去年と同じ階段教室だ。

 だが、全く違うプレッシャーに襲われる。


 現役の時は「通ったらラッキー!」と思って受けた。

 でも一浪した今は「落ちたらつらい」としか思えない。

 積み重ねたものの大きさが違っている。



 まずは数学。


 よほど緊張していたのだろうか。

 回答用紙にグラフを描く右手が震えてX軸が波打っている。


 そして物理。

 水平に円運動する物体の速度を求める簡単な問題だった。

 しかし何を思ったのか垂直の円運動と勘違いしてしまう。

 円運動の場所によって速度が違うのじゃなかろうか。

 これ、答えを出すことが出来るのか?


 その他、信じられないミスを連発してしまった。

 日本史でも、英語でも。

 冷静になってみると、有り得ない勘違かんちがいだ。



 オレにとっての問題はこれだけではない。

 受験日程にもあった。


 神港大学の受験は2日間、浪速大学は3日間だ。

 親には神港大学を受けていると言いながら、実際には浪速大学に行っている。

 3日目の朝、どういうわけをして家を出たらいいのか。


 が、事は案外簡単に運んだ。


 3日目の試験を終えて昼過ぎに帰宅したオレを母親は「図書館でも行ってたの?」と何も疑わずに迎えた。



 合格発表はおよそ2週間後。


 ここにも問題が残っている。

 神港大学の発表の方が1日早い。

 もちろん受けていないんだから合格しているはずはない。


 たとえのちに浪速大学の合格が判明したとしても、丸1日は親をガッカリさせる事になる。

 これは避けて通ることはできない。


 神港大学の合格発表の日、それを見に行く顔をして家を出て、適当に時間をつぶして帰宅した。

 それこそ図書館かどこかで。


「駄目だった」


 そういうと母親は目に見えて落胆した。

 早めに帰ってきた父親も同様だ。


 二浪するか慶應大学工学部に入るか。


 オレとしては「まだ決まったわけじゃない。もう1日待ってくれ」と言いたかった。

 でも、母親にとって二浪という選択肢はなかったみたいだ。

 早々に慶應大学の入学金を銀行から下してきた。


 慶應ボーイになるのも悪くない。

 ふとそう思う。


 が、全てはあと1日。

 1日だけ待ってくれ!


 翌朝、親が寝ている間にオレは家を出た。


 例年、合格発表は午前9時からと言いつつ、もっと早い。

 混乱を避けるためだ。


 だから医学部・歯学部の発表掲示板の前についたのは8時40分頃だろうか。

 すでに合格発表が行われていた。

 大勢の人たちが静かな興奮に包まれている。


 オレは人混ひとごみをかき分けて足早あしばやに掲示板の前に進んだ。

 列の上から順に番号を確認する。


 6090

 6092

 6096


 ここがこの列の1番下だった。


 オレの番号は6097だ。

 あるとすれば右隣の列の1番上。

 もうこわくて顔を上げられない。


(次回に続く)



読者の皆様。いよいよ次が最終回になります。最後までお付き合いいただければ幸いです。

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