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『異端審問官ルシルの検死記録 ~没落令嬢は真鍮のメジャーで死体の嘘を測る~』  作者: w.t.


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第30話 「雨宿りの客」後編

遺体は、隣の空き部屋に、移された。

ルシルは、宿の主人に、頼んだ。


「……雨が止んで、役人が来るまで、誰も、宿を出られません。その間、わたくしが、調べても」


主人は、しばらく、ルシルを見た。


「……あんた、ただの客じゃ、ないな」

「……ロザリーと申します。異端審問局の、記録官です」


食堂が、静まり返った。

商人が、立ち上がった。太った体を、揺らして。


「……し、審問官だと? 冗談じゃない。俺は、何も、していないぞ」

「……バルトさん、でしたか」


ルシルは、宿帳を見て、名を呼んだ。


「……まだ、誰も、疑っていません。順番に、お話を、伺うだけです」


バルトが、座り直した。額に、汗が浮いていた。

ルシルは、一人ずつ、聞くことにした。



最初は、バルト。商人だった。


「……金貸しとは、お知り合いで」

「……知り合いも何も。あいつには、借金が、あった。だがな、殺しちゃいない!」

「……いくら、借りていたんですか」

「……二百ゴート。利息で、倍に膨れた。あいつは、強欲だった。皆、あいつを、恨んでいたさ。俺だけじゃ、ない」


バルトは、必死だった。汗を、拭った。


「……夕食の後、俺は、ずっと食堂にいた。皆が、見ている。二階には、上がっていない。誓って、本当だ!」


ルシルは、手帳に、一行書いた。

【バルト。借金二百ゴート。動揺、大。アリバイを、自分から強く主張】


(……怪しい。でも、怪しすぎる)


ルシルは、内心で、思った。


(……本当に殺した人間は、こんなに、騒ぎますかしら)



次は、若い女。イレーヌ、と名乗った。

窓際に、座ったまま。顔を、上げなかった。


「……イレーヌさん。金貸しとは」

「……関係、ありません」


声が、小さかった。


「……でも、さっきから、震えていらっしゃる」


イレーヌの肩が、びくりと、動いた。


「……人が、死んだんです。怖いに、決まっています」

「……それだけ、ですか」


イレーヌが、初めて、顔を上げた。

目に、涙が、滲んでいた。


「……あの人は、わたしの、昔のことを、知っていました。誰にも、言えないことを。だから……だから、消えてくれて、ほっとしました。でも、殺してなんか、いません」


ルシルは、イレーヌの手を、見た。

膝の上で、固く組まれた、白い指。


(……この人は、嘘を、ついていない。少なくとも、今の言葉は)


【イレーヌ。金貸しに、過去の秘密を握られていた。動機あり。でも、震えは、本物】



三人目は、医師。モレル、と名乗った。

モレルは、落ち着いていた。革の鞄を、膝に乗せたまま。


ルシルは、答える前に、モレルを、測った。

爪。きれいに、切り揃えられている。指先に、インクの染みも、薬品の跡もない。けれど、右手の人差し指の腹に、小さな、固いタコがあった。


(……ペンだこ。それも、深い)

(……医師にしては、紙に向かう時間が、長すぎる人ですわ)


「……あなたは、すぐに『卒中』と、おっしゃいました」

「……医師として、見立てを述べたまでだ」

「……遺体を、ほとんど、調べずに」

「……長年の、経験だよ。あの肥り方、あの顔色。卒中以外に、考えにくい」


ルシルは、モレルの鞄を、見た。


「……立派な、医療鞄ですね」

「……仕事道具だ」

「……中を、拝見しても」


モレルの、指が、一瞬、鞄の留め金を、押さえた。


「……令状でも、あるのかね」


ルシルは、微笑まなかった。


「……いいえ。お願い、ですわ」


モレルは、鞄を、開けなかった。


【モレル。医師。即座に病死と断定。鞄を、見せたがらない。手に、深いペンだこ】


(……この人が、一番、落ち着いている)

(……落ち着きすぎている)



最後は、痩せた老人だった。

名を、聞いた。

老人は、しばらく、黙っていた。

それから、低い声で、言った。


「……名乗るほどの、者では、ありません」

「……宿帳には、お名前が」

「……偽名です」


ルシルは、少し、驚いた。正直な、嘘の告供だった。


「……なぜ、偽名を」

「……あの金貸しに、会いに来た。十年、探して、やっと、ここで、見つけた」


老人の、目が、暗く光った。


「……あの男は、昔、わたしの娘を、騙した。娘は、それで、死んだ。わたしは、あの男を、殺すために、来た」


食堂の空気が、凍った。


「……でも」


老人は、続けた。


「……殺す前に、誰かが、殺した。先を、越された。それだけだ」


ルシルは、老人を、見た。


(……動機は、一番、強い)

(……サイズ、この人は、それを、隠さなかった)


【老人。偽名。娘を金貸しに騙され死なせた。殺意を、認めている。だが、隠さない】



聞き込みを終えて、ルシルは、もう一度、遺体のあった部屋に、戻った。

エリオットが、扉の脇に、立っていた。


「……何か、あったか」

「……まだ。でも、見ておきたいものが」


ルシルは、床を、見た。

椅子の、足元。木の床板に、小さな、水の跡があった。乾きかけていた。点々と、扉の方へ、続いていた。


ルシルは、メジャーを、当てた。

水滴の、間隔。三十センチ。歩幅ではない。もっと、狭い。


(……雨に濡れた、誰かが、ここに来た)

(……でも、客は全員、宿の中にいた。雨には、濡れていないはず)


ルシルは、窓を、見た。

閉まっていた。内側から、掛け金。


(……窓も、閉まっている)

(……密室の中に、雨に濡れた誰かが、来た痕跡だけが、ある)


ルシルは、その水の跡を、手帳に、書き留めた。

【床に、水滴。乾きかけ。間隔三十センチ。客は全員、雨に濡れていないはず】


答えには、まだ、遠かった。

けれど、これは、確かに、おかしかった。



ルシルは、食堂に、戻った。

四人を、見回した。

借金のバルト。秘密のイレーヌ。落ち着きすぎた医師モレル。殺意を認めた老人。


(……全員に、動機があります)

(……全員、怪しい)

(……そして、全員、二階には上がっていない、と言う)


ルシルは、給仕の娘を、呼んだ。

マリー、という名だった。


「……マリーさん。夕食を、運んだとき、金貸しは、生きていましたね」

「……はい。確かに。『うるさい、置いていけ』と」

「……それは、何時頃ですか」

「……夕食の鐘の、すぐ後です。鐘は、毎晩、同じ時刻に、鳴ります」


ルシルは、考えた。


(……夕食の鐘の後、金貸しは、生きていた)

(……その後、悲鳴まで、客は全員、食堂にいた)

(……二階へ続く階段は、食堂から、丸見え)

(……誰も、上がっていない)

(……なのに、金貸しは、死んだ)

(……内側から、閂のかかった、部屋で)


ルシルは、メジャーを、握った。


(……二つ、おかしい)

(……一つ。密室)

(……もう一つ。握っていたものが、消えた)

(……それから、もう一つ。床の、水滴)

(……三つ、おかしい)


ルシルは、隣の部屋の、遺体を、見た。

答えは、まだ、出ていなかった。

けれど、一つだけ、確かなことが、あった。


(……これは、病死では、ありません)

(……誰かが、殺しました)

(……この、雨宿りの客の、中の、誰かが)


雨は、まだ、降っていた。

窓の外で、川の音が、低く、鳴っていた。

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