表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
『異端審問官ルシルの検死記録 ~没落令嬢は真鍮のメジャーで死体の嘘を測る~』  作者: w.t.


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
55/58

第29話  「同じ型」後編

エリオットが、椅子を引いて、座った。


「……心当たりは」

「……あります」


ルシルは、机の引き出しから、一枚、別の紙を出した。

これは、改ざん文書ではなかった。正規の、書記長室の内線記録だった。何ヶ月か前、ルシルが、別件で手に入れたもの。


差出人の欄に、署名があった。

クレマン書記長の、署名。


「……これを、見てください」


ルシルは、署名の中の、一文字を指した。


「……この『R』の、横棒。最後に、わずかに、跳ねています」

「……跳ねて、いるな」

「……書き慣れた人間の、癖です。何千回も書いた署名だから、最後の一画で、力が抜けて、跳ねる」


ルシルは、改ざん文書の、削り跡を、もう一度示した。


「……削りの、力の抜け方と、同じです。最後の一瞬で、緩む」


エリオットが、署名と、削り跡を、見比べた。


「……同じ、癖だと」

「……署名の跳ねと、削りの抜け。出てくる場所が、同じです。動作の、終わり際」


ルシルは、メジャーを、署名の横棒に当てた。


「……跳ねの長さ、二ミリ。削りの、力が抜ける距離も、二ミリ」


部屋が、静かになった。


「……同じ、二ミリ」

「……ええ」


エリオットが、署名から、顔を上げた。


「……繋がったな」

「……繋がりました」


ルシルは、署名を、見つめた。

長く、追ってきた手だった。十五年前の判決記録。十一年前の処分事案。書記係長の証言を消した記録。すべて、輪郭のない「誰か」だった。その誰かが、今、名前を持った。


(……クレマン書記長)

(……あなたが、書きました)

(……十五年前も、十一年前も、全部、あなたの手で)


ルシルは、メジャーを、ゆっくりと巻いた。

指先に、わずかな熱があった。長い計測の、果てに辿り着いた、手応えだった。


エリオットも、それを感じたらしい。


「……これで、クレマンを、追える」

「……ええ」


ルシルは、一度、うなずいた。

うなずいて――それから、止まった。


手応えの底に、何か、噛み合わないものが、あった。


(……でも)


ルシルは、四枚の改ざん文書を、もう一度、見た。


(……この人は、書いただけ)


削った。書いた。枠を引いた。すべて、クレマンの手だ。それは、測れた。

けれど、改ざんの「内容」を、決めたのは、誰か。

どの記録を、どう書き換えるか。それを命じたのは、この手では、ない。


(……手は、測れます)

(……でも、手を動かした、その先は)


ルシルは、マーガレットから受け取った、納品の記録を、引き寄せた。

臙脂色の封筒に、入っていた、あの一枚。

書記長室特注羊皮紙の、本当の納品先。


ルシルは、その名前を、もう一度、見た。

ランプの光が、文字を照らした。


納品先の欄に、こう、書いてあった。


【ロワズリー伯爵家】


ルシルは、その名を、長く見た。


(……ロワズリー)


その名には、覚えがあった。

ロワズリー子爵。十五年前、父と関わりのあった人物。先日、マーガレットが、ようやく名前を思い出した、あの人。


けれど、ここに書いてあるのは、子爵ではなかった。

伯爵だった。


(……子爵では、ない)


ルシルは、頭の中で、家系を、並べた。

ロワズリーの家は、二つに分かれている。本家が、伯爵。分家が、子爵。同じ血筋だが、格が違う。父と関わったのは、分家の子爵の方だった。


(……父が知っていたのは、分家の子爵)

(……でも、羊皮紙を買っていたのは、本家の伯爵)

(……父は、分家を通して、本家に、近づこうとしていた……?)


線が、一本、奥へ伸びた。


「……エリオット」

「ん」

「……書記長室は、経由地でした。特注の羊皮紙は、書記長室を通って、ここへ納められていました」


ルシルは、納品先の名を、指した。

エリオットが、それを読んだ。

さっき、マーガレットの家で、血の気を引かせた、その名前。


「……ロワズリー伯爵」


エリオットが、低く言った。


「……俺の兄の裁判の、最終承認を、出した家だ」

「……ええ」

「……当時の、当主が」

「……今も、当主かどうかは、わかりません。でも、家は、続いています」


ルシルは、命令系統図を、引き寄せた。

あの、点線の空欄。

縦二センチ、横五センチ。名前一つ分の、空白。


ルシルは、その空欄を、見た。

そして、ロワズリー伯爵家、と書かれた、納品記録を、見た。

二つを、並べた。


(……ここに、入る)

(……でも)


ルシルは、筆を、取らなかった。


「……書かないのか"」

「……書きません」

「……名前は、出た。お前が、ずっと探していた、空欄の名前だ」

「……出ました。一枚の記録に」


ルシルは、ロワズリー伯爵家、の文字を、指でなぞった。


「……でも、これは、納品の記録です。羊皮紙を、買った家。それだけです」

「……それだけ、か」

「……羊皮紙を買ったことと、記録の改ざんを命じたことは、別です。同じ家かもしれない。でも、同じだと、証明されていません」


ルシルは、エリオットを、見た。


「……一枚の紙で、人の名を、空欄に入れる。それは、改ざんと、同じです」


エリオットが、しばらく、黙った。

それから、小さく、息を吐いた。


「……お前は、本当に、慎重だな」

「……父の、流儀です」

「……腹は、立たないのか。兄を裁いた家の名前が、目の前にあって」


ルシルは、少し、間を置いた。


「……立ちます」


静かに、言った。


「……でも、腹を立てて書いた名前は、いつか、覆されます。覆されない名前を、書きたいんです」


ルシルは、納品記録を、封筒に戻した。

命令系統図を、三つ折りにした。

手帳を、開いた。

【改ざんの手=クレマン書記長と一致(署名の癖と削り跡が同一)。ただしクレマンは実行者。納品先=ロワズリー伯爵家。命令者と確定するには、証拠が不足】


筆を、置いた。


「……残りの、半分は」


エリオットが、聞いた。


「……ヴィクトールです」


ルシルは、窓の外を見た。夜が、深かった。


「……あの人は、命じた者を、知っています。北部遠征で、誰が記録を書き換えさせたか。あの人は、その場に、いました」

「……また、来るか」

「……来ます」


ルシルは、ランプの灯を、見た。


「……あの人も、待っているはずです。誰かが、空欄を、埋めに来るのを」


ランプの油が、まだ、燃えていた。

ルシルは、四枚の羊皮紙を、丁寧に、棚の奥にしまった。

鍵を、かけた。


長い夜が、もう少しで、明けようとしていた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ