第28話 「預けられた半分」後編
マーガレットは、すぐには答えなかった。針と糸を、エプロンのポケットの奥にしまった。それから、ルシルを、長く見た。
「……お嬢様」
「……はい」
「いつか、こうしてお見えになる日が来ると、思っておりました」
ルシルの呼吸が、短く整った。
「……父が」
「旦那様が、おっしゃったんです。十五年前。屋敷が、競売にかかる、少し前でした」
マーガレットが、窓の方を見た。光が、白髪に当たっていた。
「『マーガレット、これを預かってくれ。いつか、ルシルが来る。あの子が、自分の足でここまで辿り着いたなら、その時に、渡してほしい』と」
ルシルは、動かなかった。
「……自分の足で」
「ええ。だから、わたくし、ずっと、待っておりました。お嬢様が、ご自分で、ここに辿り着く日を」
マーガレットが、目を細めた。
「先日いらした時は、まだ、誰かに連れられて来た顔をしていらした。今日は、違います。ご自分の足で、来た顔です」
部屋が、静かになった。
セリーヌが、戸口に立っていた。何も言わなかった。ただ、ルシルを見ていた。
マーガレットが、奥の部屋へ消えた。
しばらくして、戻ってきた。
手に、布の包みを持っていた。古い布だった。縁が、すり切れていた。何度も、しまい直された布だった。
「……これを」
ルシルは、受け取った。
軽かった。けれど、ずしりと来た。重さではない何かが、手のひらに乗った気がした。
「……開けても」
「旦那様のものです。お嬢様が、お決めになることです」
ルシルは、机の上に包みを置いた。
布の結び目を、ほどいた。
中に、二つ、入っていた。
一つは、封筒だった。
臙脂色の、蝋印。
ルシルの指が、止まった。
(……臙脂色)
これまで、何度も追ってきた色だった。証拠の糸口。書記長室に繋がる、あの色。
もう一つは、小さく折り畳まれた、紙片だった。
ルシルは、紙片を先に開いた。
父の字だった。短かった。
【ルシルへ。これを開けたとき、お前はもう、半分まで来ている。封筒の中は、お前が測れる。残りの半分は、お前の目で、探しなさい。父より】
ルシルは、その文字を、読んだ。
もう一度、読んだ。
(……半分まで、来ている)
(……残りの半分は、わたくしの目で)
胸の内側に、温かいものと冷たいものが、また、並んだ。混ざらずに、並んだ。
エリオットが、静かに言った。
「……封筒を、開けるか」
「……ええ」
ルシルは、臙脂色の蝋印に、指をかけた。
指の腹に、蝋の硬さが伝わった。十五年、封じられたままの硬さだった。
(……父が、最後に触れた封)
一度、手を止めた。剥がせば、父が封じた時間が、終わる。そんな気がした。
けれど、剥がした。ゆっくりと。蝋が、乾いた音を立てて、割れた。
中から、一枚の紙が出てきた。
書記長室特注の、羊皮紙だった。
ルシルは、メジャーを当てた。
行間、二センチ均等。文字の高さ、一定. 紙の厚み、これまで見てきた断片と、寸分違わない。
(……間違いない。同じ工房の、同じ羊皮紙)
紙には、納品の日記が書いてあった。十五年前、二月。書記長室特注羊皮紙の、納品の記録。
ルシルは、記録を、上から順に読んだ。
日付。数量。経由した部署。そして、最後の行。
最終の、納品先。
ルシルの目が、その一行で、止まった。
納品先の欄に、名前があった。
それは、書記長室では、なかった。
別の、名前だった。
「……エリオット」
「……どうした」
「……この羊皮紙の、本当の納品先」
ルシルは、顔を上げた。
「……書記長室ではありません。書記長室は、経由地でした」
エリオットが、紙を覗き込んだ。
名前を、読んだ。
読んだ瞬間、エリオットの動きが、止まった。
顔が、固くなった。固くなったのではなく、血の気が、引いた。ルシルは、その変化を見た。普段、表情を動かさない男の、頬の色が、変わった。
エリオットが、半歩、紙から下がった。
「……ルシル」
「……はい」
「……この名前は」
声が、わずかに、掠れていた。
「……軽々しく、口に出していい名前じゃ、ない」
ルシルは、エリオットを見た。
(……エリオットが、声を落とした)
(……この人が、ここまでの反応を見せる名前)
「……お兄様に、関わりが」
「……俺の兄を、裁いた側だ。直接ではない。だが、あの裁判の、ずっと上にいた」
エリオットが、もう一度、紙を見た。今度は、長く見なかった。すぐに、目を逸らした。
「……まさか、こんな所に、繋がるとはな」
(……命令系統図の、空欄)
(……ここに、入るかもしれない名前ですわ)
けれど、ルシルは、手帳に、すぐには書かなかった。
父の言伝を、もう一度、見た。
【残りの半分は、お前の目で、探しなさい】
(……これは、半分)
(……一つの記録だけで、人の名を、空欄に入れてはいけない)
(……父が、空欄を空欄のままにしたのも、同じ理由ですわ)
「……エリオット」
「ん」
「……まだ、書きません」
「……なぜ」
「……一枚の紙で、決めると、父と同じ間違いを、逆からすることになります」
ルシルは、羊皮紙を、封筒に戻した。
「……父は、確証がないから、書かなかった。わたくしは、確証がないのに、書こうとしました」
「……」
「……同じ場所で、立ち止まります。今度は、確証を、揃えてから」
エリオットが、微かに間を置いた。
「……お前の父上に、似てきたな」
「……どこがですか」
「……測れないものを、無理に測らないところだ」
ルシルは、答えなかった。
包みを、丁寧に結び直した。
戸口で、セリーヌが、まだ立っていた。
「……お姉様」
「ん」
「お顔が、少しだけ、お父様に似ておりました。今」
ルシルは、セリーヌを見た。
「……どこが」
「測っているのに、優しいお顔でしたわ」
ルシルは、何も言わなかった。
外に出ると、夕方の光が、薔薇の垣根を、橙色に染めていた。
マーガレットが、門まで、見送りに出てきた。
「……ルシルお嬢様」
「ん」
「旦那様は、お嬢様のことを、いつも『あの子は、いつか、わたしの代わりに測ってくれる』と」
マーガレットが、目を細めた。
「……今日、それを、見られました」
ルシルは、門の蝶番に、手をかけた。
きしむ音がした。
「……マーガレット」
「はい」
「……この蝶番、今度、直しに来ます」
マーガレットが、笑った。
「……変わらない方が、よろしいですよ。お嬢様が、いつ来たか、音でわかりますから」
ルシルは、少しだけ、間を置いた。
「……そう」
それだけ言って、門を出た。
エリオットが、隣に並んだ。
「……いい人だな」
「……ええ」
二人で、歩き始めた。
ルシルの手の中に、古い布の包みがあった。
軽かった。
けれど、来たときより、ずっと、重く感じた。




