第25話 「測れなかったもの」後編
昼を過ぎても、ルシルは覚書から目を離さなかった。
V・D・L。
三文字を、何度も見た。
父がイニシャルで書いた名前は、この一箇所だけだった。他の頁には、商人の名、貴族の名、書記官の名、全部フルネームで書いてある。
(……隠した。でも消さなかった)
(……残すつもりで、隠した)
エリオットが、扉を開けて入ってきた。
「……調べた」
ルシルは顔を上げた。
「王都の貴族名簿。V・D・Lのイニシャルに当てはまる者が、三人いる」
エリオットが、手帳を開いた。
「ヴァランタン・ド・ルーシー。六十二歳。南部の小領主」
「……特徴は」
「犬を十四匹飼っている」
「……それは関係ありません」
「わかってる。ただ、記録にそう書いてあった」
「……公式記録に犬の数が載っているんですか」
「……南部では普通らしい」
「……」
「次。ヴィクトール・デュ・レニエ。五十八歳。軍の元将校。現在は隠居」
「……次」
「ヴァンサン・ドゥ・ラクール。没。十二年前に病死。享年五いない」
ルシルは、三つの名前を手帳に書き写した。
筆を止めた。
「……三人目」
「ああ。十二年前に死んでいる」
「……屋敷の競売は、十五年前です」
「……生きていた」
「……ええ」
ルシルはメジャーを出した。
覚書の該当頁の日付を、もう一度確認した。
(……競売の四日前)
(……ヴァンサン・ドゥ・ラクール。十二年前に病死)
(……競売から三年後に、死んでいる)
「……ヴァンサン・ドゥ・ラクールの死因を、調べられますか」
エリオットが、少し間を置いた。
「……病死と記録されている。ただ」
「ただ」
「……軍の元将校だった」
ルシルは顔を上げた。
「……三人目も、軍の関係者ですか」
「ヴィクトール・デュ・レニエと同じ部隊だった。二十年前の北部遠征」
部屋が、静かになった。
「……エリオット」
「……わかってる」
「……エリオットのお兄様は」
「……北部遠征の記録改ざんで、冤罪を着せられた」
二人とも、しばらく黙った。
ルシルは手帳を閉じた。
「……急ぎすぎてはいけない」
「……ああ」
「……でも」
「……でも、繋がっている」
「……ええ」
エリオットが、窓の外を見た。
王都の昼 of 空だった。雲が、ゆっくり流れていた。
「……ルシル」
「……ん」
「……今朝の件」
ルシルは、手帳の表紙を指で押さえた。
「……マルタンは、お前が殺したんじゃない」
「……」
「……でも」
エリオットが、窓から視線を戻した。ルシルを見て。
「……お前が、そう感じるのは、正しいと思う」
ルシルは、顔を上げた。
「……違うと言ってくれた方が、楽でした」
「……そうかもしれない。でも、俺はお前に嘘をつきたくない」
「……」
「……引き金を引いた、という感覚は、持っておいた方がいい。それがなくなったら、お前は測れなくなる」
「……どう意味ですか」
「……死体を測るとき、お前はいつも、その人間の重さを一緒に測っている。マルタンの妻と子の話をしたとき、お前の手が遅くなった。現場で手帳を開けなかった。それは、正確に測っている証拠だ」
ルシルは、答えなかった。
机の上の覚書を、見た。
父の字。几帳面で、小さい。
(……父も、こういう重さを、抱えていたのかもしれない)
(……だから、逃げなかったのかもしれませんわ)
「……ありがと」
小さく、言った。
エリオットが、少し目を逸らした。
「……飯にしよう」
「……今日は、食べられそうです」
「……そうか」
エリオットが立ち上がった。扉に向かいかけて、止まった。
「……ヴァンサン・ドゥ・ラクールの死亡記録。明日、取り寄せる」
「……お願いします」
「……ヴィクトール・デュ・レニエにも、当たってみる」
「……同行します」
「……わかった」
扉が、静かに閉まった。
ルシルは一人になった。
覚書の十二枚目を、もう一度開いた。
【競売予定品目、書類箱一式。引き取り希望者あり。名、V・D・L】
(……ヴァンサン・ドゥ・ラクール)
(……あなたは、父の何を知っていましたわ)
メジャーを、チャキと一度鳴らした。
静かな記録室に、金属の音が響いた。
【後編 了】




