第25話 「測れなかったもの」
翌朝、エリオットが記録室に来たのは、夜明け前だった。
足音が、速かった。
扉が開いた瞬間、ルシルは顔を上げた。
エリオットの顔を見た。
(……悪い知らせ)
「……何が」
「公証局の書記官だ」
ルシルの手が、止まった。
「……昨夜、路地で発見された。撲殺だ」
部屋の温度が、下がった気がした。
ルシルは、メジャーを机に置いた。
「……名前は」
「マルタン。四十三歳。妻と、子が二人」
エリオットが、静かに言った。
ルシルは立ち上がった。外套を手に取った。
「……現場を、見ます」
「……わかった。これを」
エリオットが、布包みを差し出した。
「……今は」
「今だから食え」
「……現場に向かう前に食事をする人間がいますか」
「……俺はいつもそうしている」
「……」
「お前も、そうしろ」
ルシルは受け取った。黒パンを一口かじった。固かった。
飲み込めた。
それだけで、少し、足が動いた。
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路地は、公証局から三ブロック離れた場所にあった。
朝の光が、まだ低かった。石畳が、夜露で濡れていた。
王都警察がすでに規制線を張っていた。エリオットが記章を見せて、中に入った。
ルシルは、現場に膝をついた。
メジャーを出した。
出しながら、少しだけ手が遅かった。
打撃痕。側頭部に二箇所。後頭部に一箇所。
間隔を測った。
(……側頭部、一打目と二打目の間隔、十二センチ)
(……後頭部の打撃は、仕上げだ)
石畳の血痕を測った。広がりの方向。体の倒れた向き。
(……正面から近づいた。逃げていない)
「……逃げなかった」
エリオットが、隣でしゃがんだ。
「……知っている人間だったか」
「……もしくは、逃げられないと思っていた」
ルシルは立ち上がった。
路地の幅を測った。出口の数を確認した。
(……逃げようと思えば、逃げられた)
(……でも、逃げなかった)
(……昨日、視線を逸らした。手が台帳の角を押さえた)
(……わかっていたのかもしれませんわ。私が来た瞬間から)
メジャーをしまった。
手帳を開いた。
何も書けなかった。
一分、そのまま立っていた。
「……ルシル」
「……私が行ったから、動いた」
「……向こうが殺したんだ」
「……私が、引き金を引きました」
エリオットが、何か言いかけた。
ルシルは先に歩き始めた。
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記録室に戻った。
ルシルは机に座った。父の覚書の包みを、引き出しから出した。
開いた。
一枚ずつ、読んだ。
父の字だった。几帳面で、小さい。数字が多い。寸法、日付、金額。信じたものだけを書いた字だった。
十二枚目。
ルシルの目が、止まった。
日付は、屋敷の競売の四日前だった。
【競売予定品目、書類箱一式。引き取り希望者あり。名、V・D・L】
(……V・D・L)
イニシャルだった。
ルシルはメジャーを出した。文字の大きさを測った。
(……父の字だ。改ざんの痕跡はない)
手帳を開いた。今度は、書けた。
【V・D・L。競売四日前、書類箱の引き取り希望者。父の覚書に記録あり】
筆を置いた。
「……エリオット」
「ん」
「……V・D・L。心当たりはありますか」
エリオットが、腕を組んだ。しばらく考えた。
「……ない。貴族か、商人か」
「……わかりません。でも」
ルシルは、覚書の該当頁を、もう一度見た。
「……父は、名前をイニシャルで書いた。他の頁は、全部フルネームです」
「……意図的に隠した」
「……ええ。知られたくなかった。でも、残したかった」
エリオットが、少し間を置いた。
「……誰かに読ませるつもりで、隠した」
「……私に、読ませるつもりで」
沈黙が落ちた。
ルシルは覚書を、静かに机に置いた。
(……父は、わかっていた)
(……全部、わかっていて、残した)
(……なぜ、逃げなかったんですか)
答えは、返ってこなかった。
【前編 了】




