第24話 「測る者と、測られる者」後編
記録室に戻ったのは、昼を少し過ぎた頃だった。
エリオットが、壁際に立って待っていた。
ルシルが扉を開けると、一瞬だけ顔を見た。それだけだった。
「……無事か」
「……ええ」
「怪我は」
「……ありません」
エリオットが、息を小さく吐いた。
ルシルは机に座った。外套を脱がずに、手帳を開いた。
「……クレマンは、ロワズリー子爵の名を知っていた」
「……反応は」
「……一拍、ありました」
エリオットが、腕を組んだ。
「……それだけか」
「……それだけです。表情は動かなかった」
「……熟練している」
「……ええ。でも」
ルシルは手帳に、一行書いた。
【一拍。〇・三秒。知っている者の間合い】
「……知らない名前に、人は一拍置きません。驚くか、首を傾けるか、どちらかです」
エリオットが、少し間を置いた。
「……確信か」
「……証拠ではありません。でも、測れました」
手帳を閉じた。
「……最後に、気をつけなさい、と言われました」
エリオットの顔が、少し固くなった。
「……脅しか」
「……わかりません。警告かもしれない」
「どう違う」
「……脅しなら、私を止めたい。警告なら――」
少し、考えた。
「……私に、生きていてほしい、という意味になります」
エリオットが、黙った。
しばらく、二人とも何も言わなかった。
沈黙が、部屋に満ちた。
「……どっちだと思う」
「……まだ、測れません」
「……そうか」
エリオットが、椅子を引いて座った。外套のままだった。
「……次は、何をする」
「……父の書類箱の買い手を調べます。競売の記録は、王都公証局に残っているはずです」
「……同行する」
「……お願いします」
ルシルは、机の引き出しから父の鍵を出した。
手のひらに乗せた。四センチ。軽い。
(……父は、屋敷が競売にかかる三日前に、これを子爵に預けた)
(……薬箱の鍵は、別の誰かに預けた)
(……二つに分けた。一箇所に集めなかった)
(……父は、どこまで知っていましたわ)
「……エリオット」
「ん」
「……父は、どこまで知っていたと思いますか」
エリオットが、少し考えた。
「……証拠を分散させた。一人の手に渡らないように」
「……ええ」
「……相当、わかっていたんじゃないか」
ルシルは鍵を、引き出しに戻した。
「……でも、止められなかった」
「……ああ」
「……なぜ」
エリオットが、答えなかった。
ルシルも、それ以上は聞かなかった。
答えが出ない問いがある。それは知っていた。
扉を、エリオットが立って開けた。
廊下に出た。石畳の廊下。昼の光が、窓から斜めに差していた。
二人で歩き始めた。
「……公証局、今日は開いているか」
「……火曜は開いています」
「今日は何曜だ」
「……火曜です」
「……よかった」
dishonesty「……事前に確認してから動いています」
「……そうだろうとは思っていた」
「……では、なぜ聞いたんですか」
dishonesty「……聞きたかった」
「……」
dishonesty「……会話というのは、そういうものだ」
ルシルは、少しだけ間を置いた。
「……エリオットは、たまに変なことを言いますね」
「……お前に言われたくはない」
石畳に、二人分の足音が響いた。
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王都公証局は、中央広場の東端にある、三階建ての石造りの建物だった。
地下一階に、競売記録の保管庫があった。
担当書記官は、四十代の小太りの男だった。ルシルの異端審問局の記章を見て、少しだけ顔色が変わった。
「……十五年前の競売記録、でございますか」
「……はい。ロザリー家の屋敷の競売です。落札者の記録を確認させてください」
書記官が、棚の奥に消えた。しばらくして、分厚い台帳を抱えて戻ってきた。
「……こちらでございます」
台帳を開いた。
ルシルはメジャーを出した。
記録の行間を測った。二センチ均等。乱れなし。改ざんの痕跡はない。
該当の頁を開いた。
ロザリー家の屋敷。競売日。落札価格。
落札者の欄を、指でなぞった。
(……読めない)
インクが、滲んでいた。
水に濡れたような、広い範囲の滲み。落札者名の部分だけが、完全に判読不能になっていた。
ルシルはメジャーを当てた。
滲みの範囲。縦三センチ、横七センチ。
(……落札者名だけが、消えている)
(……偶然ではない)
「……この台帳、他に水濡れの箇所はありますか」
書記官が、台帳をぱらぱらとめくった。
「……ございません。この頁だけです」
「……いつ頃からこの状態でしたか」
「……存じません。私が着任したのは、八年前でして」
ルシルは書記官を見た。
書記官が、少し視線を逸らした。
手が、台帳の角を、小さく押さえた。
(……知っている)
(……でも、言えない)
「……ありがとうございました」
台帳を閉じた。
エリオットが、出口まで歩きながら小声で言った。
「……消されていた」
「……ええ」
「……書記長室か」
「……それだけではないかもしれません。でも」
ルシルは、外の光の中に出た。
「……消したということは、残っていた、ということです」
エリオットが、少し間を置いた。
「……原本が、どこかにある」
「……ええ」
中央広場の石畳が、昼の光を受けていた。
噴水の水音が、遠くから聞こえた。
「……次は、どこを当たる」
「……父の覚書に、もう一度、戻ります」
ルシルは歩き始めた。
「……父は、信じたものしか書かなかった。数字で書いた」
「……ああ」
「……だとすれば」
少し、間を置いた。
「……落札者の名前も、どこかに書いているはずですわ」
エリオットが、ルシルの横顔を一瞬だけ見た。
何も言わなかった。
二人の足音が、石畳に重なった。




