第24話 「測る者と、測られる者」
朝の記録室。
ルシルは、父の鍵を机の上に置いて、三十分、眺めていた。
四センチ。鍵山が細かい。引き出し用。
書類箱の引き出し。父の書斎にあったもの。屋敷の競売で売られた。
(……買い手の記録は、残っている)
手帳を開いた。昨日の走り書きを読んだ。
【末端の駒、一人確保。書記長室とは別系統の筆跡】
別の組織。
あるいは、書記長室を使っている、別の何か。
(……クレマン書記長を、直接、見ます)
チャキ。
扉が開いた。
「おはよう」
エリオットだった。手に布包みを持っていた。
「……おはようございます」
「昨夜の駒、口を割った」
ルシルは顔を上げた。
「……何を」
「『上からの指示書を受け取り、対象を追うだけだった』。それだけだ。誰から受け取ったかは、知らなかった」
「……知らなかったのか、言えなかったのか」
「……前者だと思う。怯え方が、本物だった」
ルシルは手帳に一行書いた。
【末端は切り離されている。指示書のみで動く構造】
筆を置いた。
「……書記長室に、今日、行きます」
エリオットが、布包みを机に置いた。
「……報告の用件があるか」
「ありません」
「では、なぜ行く」
「……クレマン書記長に、顔を見せます。私がここまで来たということを」
「……それは説明になっていない」
「……説明のつもりです」
エリオットが椅子を引いた。ゆっくり座った。
「お前の計算は、自分の危険を過小に見積もる癖がある」
「……そんな癖はありません」
「ある」
「……」
「ある」
「……ありません」
「……三対一でもそう言うか」
「……何の三対一ですか」
「俺と、セリーヌ嬢と、マーガレットだ」
「……」
「全員が同じことを言っている」
ルシルは答えなかった。
布包みを開けた。黒パンと、干し肉。それと、小さな塩漬けのオリーブが一粒。
「……オリーブ」
「昨日は碌に食ってなかっただろう」
「……三口は食事の範疇です」
「違う」
「……」
「食え」
ルシルはオリーブを一粒食べた。塩気が、舌に広がった。
(……今日は、これが必要だった気がします)
「……一人で行きます」
「駄目だ」
「……エリオットが隣にいると、牽制になりません。クレマンは、騎士の同行を見た瞬間、構えます」
「……向こうはとっくに、お前を記録官とは思っていない」
「……だから、見せるんです。まだそう見えると思っているふりをして」
エリオットが立ち上がった。外套を羽織った。
「……せめて、外まで」
「……それも、駄目です」
「……」
「……ありがとうございます」
エリオットが、黒パンの残りをルシルの懐に、黙って押し込んだ。
「……歩きながら食え」
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書記長室は、異端審問局の本棟から渡り廊下で繋がった別棟にあった。
ルシルが訪れたのは、今日で六度目だった。
受付の書記官が顔を上げた。
「ロザリー記録官。本日は、いかなるご用件でしょう」
「……書記長に、ご挨拶に参りました。先日の案件の、ご報告を兼ねて」
「……少々お待ちください」
待合の椅子に座った。
廊下の幅を、目測した。百八十センチ。天井まで三メートル弱。窓の位置。扉の数。
三分後、書記官が戻ってきた。
「お通りください」
書記長室の扉は、重かった。
クレマンは、奥の執務机の前に立っていた。
六十代。白髪。背が高い。立っているだけで、空間を支配するような人物だった。
「……ロザリー記録官。よく来た」
「……お時間をいただき、ありがとうございます」
「座りなさい」
向かいの椅子に座った。
クレマンが、執務机の前に腰を下ろした。机の上には、書類が整然と並んでいた。几帳面な配置。定規で測ったような間隔。
(……書記長室の書記官は、文字の間隔を一定に保つ訓練を受けている)
(……しかし、昨日の指示書の筆跡は、別の系統だった)
(……この机を整えたのは、クレマン自身だ)
「先日の砂糖商人の件、記録は纏まったか」
「……はい。提出済みです」
「ご苦労だった」
クレマンが、ルシルを見た。
表情がなかった。怒りもない。警戒もない。ただ、静かに、見ていた。
(……測っている)
ルシルも、クレマンを見た。
(……わたくしも、測っています)
「……一つ、お聞きしてよろしいですか」
「何かね」
「……先日の案件の参考人から、お名前が挙がった方がおられました。ロワズリー子爵、というお方です。書記長はご存知でしょうか」
一拍の沈黙。
クレマンの表情は、動かなかった。
「……知らぬ名ではない。商家上がりの一代貴族だったな」
「……そうですか」
「何か関係があるのかね」
「……いいえ。念のため確認したかっただけです」
ルシルは手帳を閉じた。立ち上がった。
「……お時間をいただき、ありがとうございました」
「……記録官」
扉に向かいかけて、ルシルは足を止めた。
「……君は、よく働く。地道に」
「……没落した家の娘には、それ以外に選択肢がありません」
「……そうかもしれぬ」
一拍。
「……気をつけなさい」
ルシルは振り返らなかった。
「……はい」
扉を開けた。
(……警告か、脅しか)
(……どちらでも、構いません)
(……測れました)
【前編 了】




