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『異端審問官ルシルの検死記録 ~没落令嬢は真鍮のメジャーで死体の嘘を測る~』  作者: w.t.


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第23話 「狩る側の影」後編

 子爵の館の門前。


 ルシルは門番に短く告げた。


「……ルシル・ロザリーです。先日の件で、ご報告に参りました」


 門番が中に取り次いだ。

 待っている間、ルシルは振り返らなかった。

 ただ、門の鉄柵の影で、後方の気配を測った。


(……一人、動いた)

(……館の裏手へ向かった)

(……下調べ済み)


 門が開いた。ルシルは中に入った。


 書斎で、ロワズリー子爵が立ち上がって迎えた。

 昨夜の侵入で、まだ顔色が悪かった。


「……来てくれたか」


「……お加減は」


「悪くはない。あんたが思っているほどには」


 ルシルは書斎の扉を、静かに閉めた。

 子爵の机の向かいに座った。


「……子爵。あと一時間、ここにいさせてください」


「……何が起きている」


「……敵が、私の動きを見ています。一時間、私がこの館にいるという事実だけを、敵に与えます」


「それで、どうなる」


「……敵は焦ります。書斎にも、私にも、何もないと知るまでに、もう一度、必ず動きます」


 子爵が、少し笑った。


「……あんたの父上にも、よくこういう話をされたよ」


 ルシルの手が、少し止まった。


「……あんたよりは、もう少し穏やかに、だがな」


 子爵が、ため息をついて立ち上がった。


「……座って待つなら、せめてお茶くらい飲め」


 しばらくして、カップが置かれた。

 ルシルは一口飲んだ。


「……熱い」


「熱いに決まっている」


「……なぜ熱いうちに出したんですか」


「……お前が時間通りに来たからだ」


「……」


「……文句があるなら、もう少し遅く来い」


 ルシルは答えなかった。

 もう一口、飲んだ。


 しばらくして、子爵が机の引き出しに手を伸ばした。

 ゆっくりと、奥から小さなものを取り出した。


「……これも、預かっていた」


 机の上に置かれたのは、小さな鍵だった。

 父の薬箱の鍵ではなかった。もっと小さい。もっと細い。


 ルシルは鍵を手に取った。

 メジャーを当てた。


(……四センチ)

(……鍵山が、極端に細かい)

(……書類箱か、引き出しの錠前用)


 手帳を開いた。


【父からの、もう一つの鍵。用途不明】


 筆を置いた。

 子爵が、ルシルの手帳を、しばらく見ていた。


「……あんたの父上も、よく手帳を持っていた」


「……ええ」


「数字を、よく書いていた。記憶ではなく、計測で書く男だった」


 ルシルは、手帳から目を上げなかった。


「信じたものしか書かなかった」と、子爵が続けた。「あの男は」


 沈黙が、落ちた。

 暖炉の火が、小さく揺れた。


「……三日前のことだ」と子爵が言った。「屋敷の競売の、三日前」


 ルシルは顔を上げた。


「……夜中に、訪ねてきた。『預かってほしいものが、二つある』と」


「……二つ」


「鍵を渡された。これだ」と子爵が机の上の鍵を指した。「もう一つは、薬箱の鍵だ。だが、それは別の者に預けた。わしのところには長く置けないと思ったらしい」


「……老人ですか」


 子爵が、頷いた。


「……名は」


「言えない」


「……」


「あの男も、お父上の友人だった。今は、もう、表には出られない立場でな」


 ルシルは、メジャーを指に巻いた。

 チャキ、と鳴った。


「……ありがとうございますわ。父のことを、教えてくださって」


 子爵が、少し目を細めた。


「……あんた、今、口調が変わったな」


「……失礼」


「いや。それでいい」


 子爵が、お茶のカップを持ち上げた。


「お父上もな、本当に大事なことを言うときは、急に丁寧な言葉になる男だった」


 館を出た。


 エリオットが、街道の角でいつもの距離を取って立っていた。

 ルシルは何も言わずに、エリオットの三歩前を歩き始めた。


 しばらく歩いてから、エリオットが小さく言った。


「……一人、確保した」


「……ええ」


「鞄の中に、指示書のようなものがあった。宛先なし、差出人なし」


「……筆跡は」


「几帳面。文字の大きさが揃っていた」


 ルシルは少し、間を置いた。


「……書記長室の書記官の字では、ありません」


「なぜわかる」


「書記長室の書記官は、文字の間隔を一定に保つ訓練を受けています。几帳面でも、系統が違う」


 エリオットが、少し首を傾けた。


「……書記長室は、別の組織を使っている」


「……あるいは、別の組織が、書記長室を使っている」


 エリオットが、止まりかけた。


「……どっちだ」


「……まだ、測れません」


 記録室に戻った。


 ルシルは机に座った。

 父の覚書の包みを、引き出しから出した。

 包みを開いた。

 中の羊皮紙を、一枚ずつ確認した。


 覚書の最後の頁に、小さな図が描いてあった。

 何かの設計図のような。


 ルシルはメジャーを当てた。


(……引き出しの内寸)

(……父の書斎にあった、書類箱の引き出し)

(……あの引き出しは、屋敷とともに、競売で売られた)

(……買い手の記録は、残っているはず)


 手帳を開いた。


【父の鍵、四センチ。父の引き出しの図。買い手の記録、要追跡】

【末端の駒、一人確保。書記長室とは別系統の筆跡】

【敵は組織。三段構え。下調べ済み】


 筆を止めた。


エリオットが、机の向かいに座った。


「……今日、お前は、敵を一人、減らした」


「……ええ」


「……どんな気分だ」


ルシルは、少し考えた。


「……測れません。まだ」


「……そうか」


エリオットが、外套の内側から布包みを出した。

黒パンだった。


「……懐のは、食ってないだろう」


「……」


「……今日くらいは、食え」


ルシルは受け取って、一口かじった。

固かった。


(……今日も、固い)

(……でも、今日は、噛める)


机の上の、父の鍵を、もう一度見た。


(……父は、信じたものしか書かなかった)

(……数字で、書いた)

(……私も、同じですわ)


【後編 了】

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