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『異端審問官ルシルの検死記録 ~没落令嬢は真鍮のメジャーで死体の嘘を測る~』  作者: w.t.


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第22話 「測る側、仕掛ける側」後編

 施設への道は、思ったより静かだった。


 ルシルは修道服の襟を立てて、石畳を歩いた。

 いつもより、少しだけ遠回りをした。


(……尾行、なし)

(……敵は今頃、子爵の館の方角を見ている)

(……こちらが動いていることに、まだ気づいていない)


 王都の外れに出た。石畳が、砂利道に変わった。

 施設の白い外壁が、木立の向こうに見えてきた。


 施設の門を抜けた。

 受付の女が、ルシルを見て頷いた。顔見知りだった。


「お母様は、今日は中庭においでです」


「……ありがとう」


 中庭へ向かった。


 お母様は、日当たりの良い長椅子に座っていた。

 膝の上に、白い刺繍布。手が、ゆっくりと動いていた。


 ルシルが近づくと、お母様が顔を上げた。


「……ルシル」


「……参りましたわ」


 お母様の顔に、笑みが浮かんだ。

 ルシルは、お母様の隣に座った。


「今日は、お顔の色がよろしいですわ」


「そう? あなたの方が、ずっと顔色が悪いわ」


「……誤差の範囲ですわ」


「あなたはいつもそれを言うのね」


 お母様が、刺繍布を膝の上で畳んだ。


「セリーヌも、少し前に来ていたのよ」


「……そうですか」


「マーガレットと一緒に。短い時間だったけれど」


 お母様が、少し間を置いた。


「……セリーヌから、預かり物があると聞いていたわ。引き出しに入れてあるから、と」


 ルシルは、お母様の顔を見た。

 お母様は、それ以上は言わなかった。

 ただ、刺繍布をもう一度、膝の上に広げた。


「……お部屋、使っていいわよ。鍵は引き出しの中よ」


「……ありがとうございますわ」


 お母様の部屋は、白い壁の小さな部屋だった。

 窓から、中庭が見えた。

 お母様が、刺繍をしている。


 ルシルは引き出しを開けた。

 小さな、古い鍵があった。

 鉄製で、鍵山が細かい。


(……父の薬箱の、鍵)


 ロワズリー子爵から老人へ。老人からセリーヌへ。セリーヌからお母様の引き出しへ。

 長い旅路だった。


 ルシルはしばらく、その鍵を手の中で転がした。

 メジャーを取り出した。鍵の全長を測った。

 測らなくてもよかった。

 ただ、手が動いた。


(……七センチ)

(……小さい。でも、重い)


 鍵を、引き出しに戻した。

 窓の外で、お母様が刺繍の手を動かしていた。


 施設の北、水車小屋の脇。

 エリオットが、先に来ていた。


「……遅かった」


「……一分だけ」


「十分だ」


「……誤差の範囲です」


「お前の誤差は範囲が広すぎる」


 エリオットが、外套の内側から手帳を出しかけて、止まった。


「……子どもに読まれた」


「……内容は」


「『つまらない』と言って捨てた」


「……」


「……有能だった」


 エリオットが、微かに肩を揺らした。


「……尾行は二人。東の路地で撒いた」


「……やはり、動いています」


「ああ。それと――」


 エリオットが、少し間を置いた。


「……老人が、先に来ていた」


 ルシルは、エリオットを見た。


「……一人で」


「ああ。礼拝堂の扉の前で待っていた。こちらの気配に気づいて、中に入った」


「……セリーヌは」


「まだ来ていない。マーガレットと一緒に、別ルートで向かっているはずだ」


 ルシルは手帳を開いた。


「……老人の特徴」


「老紳士。杖。帽子。左足を引きずる。七十代か、それより上」


「……セリーヌが施設の近くで見かけたと言っていた人物と、一致します」


「ああ」


「……では、行きましょう」


 礼拝堂の扉は、半開きだった。

 ルシルが先に入った。


 老人が、祭壇の前に立っていた。

 振り返った。

 帽子の下の目が、ルシルを見た。


「……ルシル・ロザリー嬢、ですね。お会いできて、嬉しい」


「……あなたは」


 老人が、少しだけ笑った。


「名は、申し上げません。ただ、お伝えしたいことが、一つだけ」


 老人が、懐から布包みを取り出した。

 ルシルは、受け取らなかった。


「……中身を、先に教えてください」


 老人が、少し間を置いた。


「……お父様が、十五年前に記録された覚書です。書記長室への上申が却下された後、お父様がご自分で作られた」


「……どこにあったものですか」


「……ロワズリー子爵様に、預けておりました。子爵様の具合が、よろしくないと聞きまして。今のうちに、と思いまして」


 ルシルは、メジャーを取り出した。

 布包みの外寸を、測った。

 老人は、それを黙って見ていた。


「……ルシルお嬢様」


「……ん」


「お父様は、よく、そうやって測っておられました」


 ルシルの手が、止まった。


 老人が、布包みをルシルに差し出した。

 ルシルは、受け取った。

 重かった。


「……あなたは、父を知っていたんですか」


「……少しだけ」


「……もっと、聞かせてもらえますか」


 老人が、首を振った。


「……今は、まだ。ただ――」


 老人が、礼拝堂の出口へ向かった。

 扉の前で、立ち止まった。

 祭壇の脇の柱に、何かを、そっと置いた。


「……これは、置いていきます。今は意味がわからなくても、いつか必ず」


 老人が、深く頭を下げた。


「……お父様の意志を、まだ覚えております者が、おります」


 それだけ言って、礼拝堂を出ていった。


 エリオットが動こうとした。

 ルシルが、エリオットの袖を、小さく引いた。


「……いいです」


「……いいのか」


「……追っても、話しません。今は」


 柱の方へ歩いた。

 老人が置いていったものを、拾った。


 小さな、金属の欠片だった。

 何かの、一部だった。

 どこかに、はまるものの、一部。


 ルシルはメジャーを当てた。


(……薬箱の、鍵穴の外枠と、同じ幅)


 手帳を開いた。


【老人。父の覚書を所持。柱に金属片を残す。薬箱との関連、確認要】


 筆を止めた。

 もう一行。


【「あの方」――まだ、測れない】


 礼拝堂を出た。


 マーガレットと一緒に、セリーヌが来ていた。

 礼拝堂の外の石段に、二人で座っていた。


 セリーヌが、ルシルを見た。


「……お姉様」


「……ん」


「老人の方は」


「……帰られた」


「……そう」


 セリーヌが、膝の上で手を組んだ。


「……お姉様、怖い顔してる」


「……そうですか」


 ルシルは、セリーヌの隣に座った。

 石段は、冷たかった。


「……セリーヌ」


「ん」


「しばらく、ここにいてください。お母様と、マーガレットと」


「……わかった」


「施設の外には、出ないで」


「……わかった」


 セリーヌが、ルシルの手に、自分の手をそっと重ねた。

 一秒。それだけだった。


 ルシルは、握り返さなかった。

 代わりに、セリーヌの襟を、さっと一度だけ直した。

 乱れてもいなかった。


 セリーヌが、少し目を丸くした。

 何も言わなかった。

 ただ、小さく、笑った。


 立ち上がった。エリオットが、隣に来た。


「……行くか」


「……ええ」


 二人で、石段を下りた。

 ルシルは、布包みを抱えたまま、歩いた。


(……今日、初めて、敵より先に動いた)

(……測れたものと、測れなかったものが、ある)

(……それで、いい)


 手帳は、開かなかった。

 今は、開かなくていい日だった。


【後編 了】

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