第22話 「測る側、仕掛ける側」前編
朝、記録室。
ルシルは机に向かって、十五年前の原本記録を整理していた。
ランプの光の下、羊皮紙の束を一つずつ確認していく。
エリオットはまだ来ていなかった。
(……今日は遅い。珍しい)
手を止めずに、原本の頁を繰った。
書記長室への上申書。却下の記録。「C・ク――」の署名。
(……測れていないものが、まだ多い)
その時、扉が開いた。
ルシルは顔を上げなかった。エリオットだと思ったからだ。
「……おはようございます」
返事がなかった。
顔を上げた。
扉の前には、誰もいなかった。
ただ、足元の床に、小さな封筒が一つ、落ちていた。
(……)
ルシルは立ち上がった。封筒に近づいた。しゃがんだ。
拾わなかった。
まず、距離を測った。扉から封筒まで、約三十センチ。
(……扉を開けて、放り込んだ。中には入らなかった)
メジャーを取り出した。封筒の縁を、触らずに測った。
縦十センチ、横六センチ。
蝋印が、押されていた。
臙脂色だった。
(……)
ルシルはハンカチで封筒を包んで持ち上げた。机に運んだ。ランプの下で、蝋印を見た。
書記長室の特注品と同じ印章。
封を、切った。
白紙だった。
(……)
しばらく、その白紙を見た。
それから、視線を上げた。扉を見た。
(……この局の、記録室まで届いた)
(……投げ込んだ人間は、ここまで入れた)
(……外部の人間が侵入したか。内部の人間が置いたか)
メジャーを取り出した。
封筒の底の、蝋印の厚みを測った。
測らなくてもよかった。
ただ、手が動いた。
(……内部経由。その方が、自然)
扉が開いた。エリオットだった。
「すまん、遅れた。……ルシル、その手の包みは」
「……届いていました。今朝」
エリオットが近づいた。白紙を見た。臙脂色の蝋印を見た。顔が、変わった。
「……いつだ」
「……五分前。扉から投げ込まれた」
「中庭に出る」
「……無駄です」
「なぜわかる」
「足音がしなかった。投げ込んだ後、走らなかった。慣れた人間。そして――」
ルシルは白紙を、エリオットの方へ向けた。
「……この局の内部まで、届いています」
エリオットが、少し間を置いた。
「……内部に、いる」
「……可能性があります」
沈黙が、落ちた。
ルシルは椅子に座った。
「……動きません。今は」
「動かないのか」
「……外からは」
エリオットが、ルシルの顔を見た。
「外から、は」
ルシルはメジャーを指に巻いた。チャキ、と鳴った。
「……内側で、組みます」
昼前、ルシルは一通の手紙を書いた。
宛先は、ロワズリー子爵。
書き終えて、エリオットに差し出した。
「……これを持って、子爵の館へ向かってください。途中、中央広場の噴水の脇で――」
「落とせ」
ルシルは少し、止まった。
「……わかりましたか」
「わかる。続けろ」
「……拾われれば、それでいい。読まれれば、なお良い」
エリオットが手紙を受け取った。外套の内ポケットにしまった。
「……お前、そんなことをする人間だったか」
ルシルは答えなかった。
メジャーを、指で軽く弾いた。
「……測る側だけでは、もう、足りません」
エリオットが、短く頷いた。
「合流地点と時刻は」
「……施設の北、水車小屋の脇。日が屋根の上に来る頃」
「了解した」
エリオットが外套を羽織って、扉に向かった。
扉の前で、ルシルが言った。
「……エリオット」
「ん」
「……これを」
ルシルが、もう一枚の紙を差し出した。折りたたまれた、小さな紙。
エリオットが受け取って、広げた。
セリーヌの筆跡だった。
『お姉様 今朝早く、施設の近くで、見慣れない方を見かけました 乳母のところには、お見えになっていません ただ、施設の方角を、見ておられました わたくしは大丈夫です マーガレットと一緒におります お姉様は、慌てないでください セリーヌ』
エリオットが、読み終えた。
顔を上げなかった。
少し間を置いてから、紙をルシルに返した。
「……いつ来た」
「……白紙の、五分前」
エリオットが、扉を見た。
「……セリーヌ嬢が、先に気づいていた」
「……ええ」
「……そうか」
それだけ言って、エリオットは出ていった。
中央広場の噴水の脇で、エリオットは手紙を落とした。
拾ったのは、七歳くらいの子どもだった。
子どもは中身を開いて、一行読んで、つまらなそうに地面に置いて走り去った。
エリオットは、それを遠目に見ていた。
(……ルシルには、言わない方がいい)
外套を直して、北へ歩き始めた。
ルシルは記録室で、手帳を開いた。
新しい頁に、一行だけ書いた。
【白紙封筒。臙脂蝋印。記録室到達。内部経由の可能性】
筆を置いた。
修道服の襟を、一度だけ整えた。
立ち上がった。
【前編 了】




