第15話 型の意味(後編)
王都警察の検死室は、石造りの地下にあった。
受付の警官が、ルシルを見て眉をひそめた。
「……異端審問局の方が、何のご用ですか」
「……砂糖商アンリ・ドゥルーの遺品を、確認させていただきたいの」
「遺品?」
「……鍵だけで結構ですわ」
警官が少し迷った顔をした。エリオットが胸の徽章を見せた。警官は小さく頷き、奥へ引っ込んだ。
しばらくして、鉄の鍵が一本、盆に乗って運ばれてきた。
ルシルはそれを手に取った。
重みを確かめた。鍵山の形を見た。メジャーを取り出して、長さを測った。
警官が怪訝な顔をした。
「……何を」
「……計測です。仕事」
警官が黙った。
ルシルは鍵を手帳の上に置き、輪郭を鉛筆で写した。丁寧に。
(……この鍵、お借りできないかしら)
「……しばらく、お借りしてよろしいですか」
「証拠品ですので、お返しいただければ」
「……本日中に戻します」
***
石畳を歩きながら、エリオットが聞いた。
「……借りてどうする」
「……倉庫の鍵穴に、差してみる」
「……それ、今ここで言う必要はあったか」
「……ある。念のため」
倉庫に着いた。掛け金は封印されているが、上層部の許可で一時的に開封できる。
ルシルは鍵を、倉庫の扉の鍵穴に差した。
回した。
回った。
「……開きます」
「当然だ」
「……ええ」
ルシルは扉を閉めた。鍵を抜いた。
それから、裏口に回った。
倉庫には裏口があった。搬入用の、小さな木戸だ。昨日の計測のときに気づいていた。
裏口にも、鍵穴があった。
ルシルは同じ鍵を差した。
回した。
回らなかった。
「……」
エリオットが一歩近づいた。
「……回らないのか」
「……ええ」
「形が違うのか」
「……鍵穴の構造が、表口と違います。でも番頭は、鍵は二本と言っていた」
「……表口用が二本」
「……そう言っていた」
ルシルは鍵を抜いた。
「……裏口の鍵は、別にあるはず。三本目」
「……その鍵を持っているのは誰だ」
「……それを、これから聞きます」
***
居間で迎えたマルグリットは、昨日と同じ喪服を着ていた。目の赤みも、昨日と同じだった。
違っていたのは、手が膝の上で重ねられていることだった。昨日は震えていた。今日は、重ねていた。
「……再度、失礼いたします」
「いえ、どうぞ」
ルシルは椅子に座った。手帳を開いた。
「……一つだけ、確認させてください」
「はい」
「倉庫の裏口の鍵は、どなたがお持ちですか」
マルグリットの手が、一瞬だけ止まった。
本当に、一瞬だった。エリオットは気づかなかったかもしれない。
でもルシルは、見ていた。
(……止まりましたわ)
「……裏口、ですか」
「……ええ」
「裏口の鍵は、主人が持っていたはずです」
「……表口用の鍵とは、別ですわね」
「……そう、だったと思います」
「……主人のご遺品の中に、裏口の鍵はありましたか」
マルグリットが少し考えた顔をした。
「……確認しておりません。警察からまとめて返されたものを、そのまま仕舞ってしまいましたので」
「……今、確認していただくことはできますか」
「もちろん」
マルグリットが立ち上がった。少し、ゆっくりと。
部屋を出ていった。
エリオットが小声で言った。
「……本当に、裏口の鍵はあるのか」
「……それも、見ればわかる」
マルグリットがしばらくして戻ってきた。手に、小さな鉄の鍵を持っていた。
「……ございました」
ルシルはその鍵を受け取った。メジャーで長さを測った。鍵山の形を見た。
手帳の上に置いた。
それから、先ほど警察から借りた表口の鍵を、その横に並べた。
形を、見比べた。
(……裏口の鍵の表面に、使用痕がない)
鍵というのは、使っていれば金属の表面に細かい擦れ痕ができる。鍵穴の内部と擦れるからだ。
表口の鍵には、それがあった。
裏口の鍵には――なかった。
(……ほぼ、使われていない)
(でも、アンリは倉庫に毎日入っていた。裏口の鍵を使わないとしても、持ち歩いていたはず)
(持ち歩けば、ポケットの中で擦れる。衣服の繊維との擦過痕が残る)
(この鍵には、それもない)
(……最近、どこかに仕舞われたまま、動いていない)
何も言わず、ルシルはマルグリットに鍵を返した。
「……お手数をおかけしました」
「いえ」
「……最後に、もう一つだけ」
「はい」
「この裏口の鍵は、普段どちらに保管されていましたか」
マルグリットが少し考えた。
「……主人の書斎の、引き出しです」
「……書斎は、どなたが出入りできますか」
「主人と、私だけです。番頭は入りません」
ルシルは手帳に書き写した。書き終えて、顔を上げた。
「……ありがとうございます。大変参考になりました」
マルグリットが、わずかに微笑んだ。安堵の微笑みだった。
ルシルは、その微笑みも見ていた。
***
外に出て、石畳を歩き始めた。
「……どうだった」
とエリオットが聞いた。
「……測れました」
「何が」
「……いろいろ」
エリオットが横目でルシルを見た。
「言え」
「……裏口の鍵は、ほぼ使われていません。表面に擦過痕がない。持ち歩かれた痕跡もない」
「……それの何が問題だ」
「……アンリは書斎から鍵を出していない。でも書斎には、アンリと妻しか入れません」
エリオットの足が、止まった。
「……妻が出したのか」
「……妻が出した可能性、高いです」
「だが、裏口の鍵を使って何をする」
「……まだ仮説です。申せません」
ルシルは手帳を開いたまま、前を向いた。
「……棚を倒す紐を、裏口から引いたとしたら」
エリオットが息を呑んだ。
「……裏口からなら、倉庫の外にいる振りができる」
「……表口は封印されたまま。中からしか施錠できない構造」
「……だから、表口は番頭が外から開けられない」
「……そう。番頭に細工はできません」
エリオットが黙った。しばらく、石畳を見ていた。
「……それでも、まだ待つのか」
「……まだ待ちます」
「なぜ」
「……紐を、まだ見つけていません」
ルシルは手帳を閉じた。
「……明日、もう一度倉庫へ」
「また砂糖まみれになるなよ」
「……善処します」
「善処で済む問題ではない気がするが」
石畳を、二人で歩いた。
ルシルは前を向いたまま、手帳の中で数字を並べていた。
(……紐が見つかれば、マルグリットと確定する)
(でも、紐は――昨日の段階で倉庫にはなかった)
(とすれば、どこに)
(……たぶん、もう処分されている)
(紐ではない、別のもので特定する必要がありますわね)
ルシルの歩調が、わずかに遅くなった。
エリオットは何も言わず、そのまま歩調を合わせた。




