第15話 型の意味(前編)
検死記録が届いたのは、夕刻だった。
ルシルは机に広げて、最初から読んだ。
死因:頭部打撲による脳出血。
死亡推定時刻:夜の八時から十時の間。
備考:棚の倒壊による事故と断定。
(……頭部打撲)
鉛筆を取り出した。
砂糖袋の重量。落下した場合の衝撃力。頭部への打撃に必要なエネルギー値。
計算した。
合わなかった。
砂糖袋の落下衝撃では、あの部位にあの損傷はできない。砂糖は柔らかい。布袋に包まれた状態で人の頭に落ちても、脳出血を起こすほどの衝撃にはならない。
(では、何で打ったのでしょう)
手帳に書いた。【凶器、別にあり】
翌朝、ルシルは倉庫に戻った。
***
エリオットが後ろで腕を組んだ。
「……また来たのか」
「……測り直します」
「昨日と何が変わる」
「……目が変わりますの。一度見た場所を翌日測ると、見落としが出る」
エリオットが少し間を置いた。
「……それは理屈か、習慣か」
「……両方」
倉庫に入った。甘い匂りはまだ残っていた。
ルシルは昨日の窪みの前にしゃがんだ。メジャーを取り出した。
「……今日は何を測る」
「……昨日と同じ。でも、もっと細かく」
「どのくらい細かく」
ルシルは答えなかった。測り始めたからだ。
窪みの縁から、一センチ刻みで深さを測った。砂糖の密度の変化を指先で確かめた。窪みの形を、紙に輪郭として書き写した。
一時間、かかった。
エリオットは黙って待っていた。倉庫の入口に背をもたせかけて、外を見ていた。
「……エリオット」
「何だ」
「これを見てください」
エリオットが近づいた。ルシルが紙を示した。
砂糖の窪みの輪郭が、丁寧に書き写されている。その横に、もう一つの輪郭が描かれていた。
「……右側は何だ」
「……七十一キログラムの成人男性が仰向けに倒れた場合の、理論上の沈み込み形状です。体重分布と砂糖の密度から計算しました」
エリオットが二つの輪郭を見比べた。
明らかに、形が違った。
左の実測値は、縦に細長い楕円に近かった。右の理論値は、横に広い形をしていた。
「……全然違う」
「……ええ」
「これは何を意味する」
ルシルは紙を手帳に挟んだ。
「……仰向けに倒れた痕ではありませんの。縦に細長いということは――」
「膝を抱えた体勢だ」
エリオットが先に言った。
ルシルが少し顔を上げた。
「……そうですわ」
「死んだとき、アンリは座っていた。棚が倒れてきたなら、あり得ない」
「……確定、ですわ」
短い沈黙があった。
エリオットが、静かに言った。
「……ガスパールだと思う」
ルシルは手帳を閉じた。
「……なぜ」
「動機がある。鍵も持っていた。昨日、目が逸れた」
「……ええ」
「違うのか」
「……まだ、待ちますの」
エリオットが眉を上げた。
「根拠は」
「……根拠がないから、待ちますの」
「根拠がないから絞らない、ということか」
「……逆ですわ」
ルシルは手帳を膝に置いた。
「根拠がない段階で絞ると、根拠を探す方向が歪みます。見たいものだけを見るようになる。そういう記録を、わたくしはいくつか見てきました」
エリオットが少し黙った。
「……わかった」
「……ありがと」
***
棚の残骸は、倉庫の隅に寄せられていた。
ルシルは金具を一つずつ調べた。
固定金具は六つあった。壁に打ち込まれた釘と、棚の木材を繋ぐ留め具だ。
六つのうち、四つは正常だった。
残り二つ――棚の下段、重心に近い位置――の断面が、鋭かった。
「……エリオット、これを」
エリオットが覗き込んだ。
「……切断面だ」
「……ええ。金属ヤスリか、細い刃物で少しずつ削ったはず。一気に切ると音が出る」
「事前に細工した、ということか」
「……ある程度削っておけば、軽い力で倒れます。触れるだけで――あるいは」
ルシルは金具の周辺を、もう一度メジャーで測った。
木材の表面に、細い擦れ痕があった。
「……紐が通っていたと思います。倉庫の外から引けるように」
「扉の外から棚を倒せる仕掛けか」
「……おそらく。紐自体は回収されているはず」
「アリバイが作れる」
「……ええ。家にいながら、棚を倒せますの」
エリオットがしばらく考えた。
「……ますますガスパールに見えるが」
「……見えますわね」
エリオットが少し止まった。肯定されると思っていなかった顔だった。
「見えるのに、まだ待つのか」
「……見えることと、そうであることは別ですの」
***
「……次は、鍵の確認をします」
倉庫を出て、石畳を歩き始めた。
「アンリの鍵は今、警察が持っているはず」
「何を確認する」
「……その鍵で、本当に倉庫が開くかどうか」
エリオットが眉を上げた。
「……当然、開くだろう」
「……開かなければ、面白いことになります」
「どういう意味だ」
「……まだ言えません。確認してから」
エリオットが息を吐いた。
ルシルは歩きながら、手帳に書き足した。
(……鍵穴が二つ。番頭の鍵は一本。アンリの鍵も一本だと言ってました)
(合計二本。数は合います)
(では、なぜ引っかかるのでしょう)
石畳の継ぎ目を、無意識に数えていた。
(……もう一本、あるかもしれない。誰も言っていない、三本目が)
手帳に小さく書いた。
【鍵:三本目の可能性】




