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『異端審問官ルシルの検死記録 ~没落令嬢は真鍮のメジャーで死体の嘘を測る~』  作者: w.t.


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第16話 番頭の影(前編)

 朝、局に着いたルシルを待っていたのは、エリオットではなかった。

 執務室の扉の前に立っていたのは、王都警察の主任検死医・ラシュだった。


 勲章を三つつけた、白髪交じりの男。以前、墓地の事件で論破された相手だ。

「……これは、ルシル記録官殿」

 皮肉のこもった声だった。


「……おはようございます、ラシュ殿」

「朝早くから、申し訳ない。砂糖商の件で、少しお耳を拝借したい」

「……どうぞ」


 ルシルは執務室の扉を開けて、ラシュを通した。

 エリオットが遅れて出勤してきて、室内の空気を見て一瞬止まった。それから黙って壁際に立った。


 ラシュは椅子に座ると、帽子を膝に置いた。

「結論から申し上げよう。砂糖商アンリ・ドゥルーの件、犯人は番頭のガスパールだ。我々はそう結論づけた」


「……根拠は」

「動機、機会、目撃証言。三つ揃っている」


 ルシルは机の向かいに座った。手帳を開いた。

「……目撃証言、というのは」

「隣家の金物屋の主人だ。事件の夜、倉庫の外にいるガスパールを見たと証言した」

「……時刻は」

「八時十五分ごろ」

「……死亡推定時刻の範囲内、ですわね」

「そうだ」

「……金物屋の主人は、なぜ今になって証言を」

「昨日、警察に届け出た。本人は『思い出した』と言っている」


(……昨日)


 ルシルは手帳に書き写した。書きながら、小さく息を吐いた。

(都合が良すぎる)


 ラシュが続けた。

「ガスパールはすでに拘束した。本日中に自白を取る予定だ」

「……ご丁寧に、どうも」

「ルシル記録官殿。この件、異端審問局が介入する必要はない。警察で処理する」

「……介入は、すでにしておりますわ」

「最初の現場検証だけで十分だ。我々は、それに敬意を払っている」


 ラシュが、わずかに頭を下げた。皮肉だった。

 ルシルは顔を上げた。ラシュの目を見た。


「……ラシュ殿」

「何かね」

「番頭ガスパールは、書斎に入れません」

「……なに?」

「倉庫の裏口の鍵は、砂糖商の書斎に保管されていましたの。書斎に入れるのは、主人と妻だけ」

「それがどうした」

「裏口の鍵がなければ、棚の仕掛けを作動できませんわ」

「……仕掛け?」

「棚の固定金具、二本が事前に切断されていました。細い紐を通して、外から引けるように細工されていた。その紐を引いたのは――裏口の外にいた人物ですの」


 ラシュが少し黙った。

「……その紐は、見つかっているのかね」

「……まだ」

「ほう」


 ラシュが帽子を被り直した。

「証拠のない推理は、仮説と呼ぶ。記録官殿ならご存じでしょう」

「……存じておりますわ」

「我々は、証拠のある容疑者を拘束する。それが警察の仕事だ」


 ラシュが立ち上がった。

「失礼する。ご助言は、ありがたく承った」


 扉が閉まった。

 ルシルは動かなかった。しばらく、手帳を見ていた。


 ***


 エリオットが壁際から離れて、椅子に座った。

「……急ぎすぎだな」

「……ええ」

「なぜ警察は急ぐ」

「……わかりませんけれど、急がせている人物がいるのかもしれませんわ」


 エリオットが目を上げた。

「……誰が」

「……わたくしは、まだ名前を出しません」

「……書記長室か」


 ルシルは答えなかった。答えないことが、答えだった。


(……砂糖商は、書記長室に特注の高級砂糖を定期納入していました)

(アンリが死んで、帳簿が止まる前に、事件を早く閉じたい人間がいる)

(……「呪い」のときと、同じ匂い)


 エリオットが、静かに言った。

「……番頭を、助けに行くか」

「……助けに、ではありませんわ」

「では何を」

「……確かめに、行きます」


 ***


 王都警察の留置所は、検死室と同じ地下にあった。石の廊下の奥、鉄格子の並ぶ冷たい区画。

 ガスパールは、一番奥の房にいた。


 昨日の帳場で見たときと、顔つきが違っていた。目の下に隈ができていた。髪が乱れていた。それでも、帳簿を付けているときのような無表情は保っていた。


「……ガスパールさん」

 ルシルが格子越しに立った。

 ガスパールが顔を上げた。


「……記録官殿」

「……体調は」

「悪くはありません」


 ルシルは手帳を開いた。

「……一つだけ、聞かせてください」

「……どうぞ」

「事件の夜、あなたは本当に倉庫の外にいませんでしたか」


 ガスパールが一瞬、目を伏せた。それから、顔を上げた。

「……おりました」


 エリオットが小さく息を呑んだ。

 ルシルは表情を変えなかった。


「……何時ごろ、何の用件で」

「……八時ごろ。倉庫の裏手に、少しの間」

「……なぜ」

「……妻と、待ち合わせを、していました」

「……奥さまと」

「私の妻です」

「……ああ」


 ルシルは手帳に書き写した。

「……続きを」


 ガスパールが、少し言い淀んだ。

「……お恥ずかしい話ですが。妻は、最近体が弱っております。旦那様の目が厳しく、私は家に帰る時間が安定しません。妻が心配して、迎えに来ることが、月に二度ほどありました」

「……倉庫の裏手で落ち合って、一緒に帰ると」

「はい」

「……その日も、そうしましたか」

「いえ」


 ガスパールが首を振った。

「……妻は来ませんでした。私は二十分ほど待って、諦めて帰りました」

「……奥さまは、なぜ来なかったのですか」

「翌朝聞きました。熱を出して、寝込んでいたと」

「……証明できる人は」

「隣家の老婆が、妻の看病に来てくれていました。聞いていただければ」


 ルシルは手帳に書いた。【妻・熱・隣家の老婆】


「……もう一つ。裏手で待っている間、誰かを見ませんでしたか」

 ガスパールが眉を寄せた。

「……暗かったので、はっきりとは。ただ、裏口の方で、何かが動いた気配はありました」

「……動いた気配」

「私は、猫か何かだと思いましたので、気に留めませんでした」


 ルシルが手帳を閉じた。

 格子越しに、ガスパールの顔を見た。

「……お聞かせ、ありがとうございました」

「……記録官殿」


 ガスパールがわずかに顔を近づけた。

「……私は、殺していません」

「……存じております」


 ガスパールが目を見開いた。

 ルシルはそれ以上、何も言わなかった。ただ、メジャーをチャキと一度鳴らして、留置所を後にした。


 ***


 地上に出ると、王都の空は曇っていた。

「……あいつの話、信じるのか」

「……七割は」

「七割」

「……残り三割は、検証してからですわ」

「何を検証する」

「……隣家の老婆と、奥さまの証言。それと――」


 ルシルが足を止めた。


(……「裏口の方で、何かが動いた気配」)

(……ガスパールは、犯人の影を、見ていた)

(紐を引く人物が、そこにいた)

(でも、誰かまでは特定できなかった)


 エリオットが振り返った。

「どうした」

「……エリオット。一つ、確認したいことがあります」

「何だ」

「……ガスパールが裏手にいた時間帯と、棚が倒れた時間帯の、誤差」

「……どう違う」

「ガスパールは八時ごろ、と言いました。でも棚が倒れた時刻は、八時半前後と検死記録にあります」

「……ずれている」

「三十分」


 ルシルが再び歩き始めた。

「……犯人は、ガスパールが諦めて帰るのを待っていた可能性がありますの」

「……犯人は、ガスパールが裏手にいたことを、知っていた」

「……ええ。知っていて、その場に合わせて棚を倒した。ガスパールに目撃させるために、ではなく――ガスパールを、目撃者にしないために」

「……それは、誰だ」


 ルシルは答えなかった。


(……番頭が裏手に来ることを、知っている人物は少ない)

(倉庫の仕事を知り、書斎の鍵を動かせる人物は――さらに少ない)


 石畳の上を、曇り空が広がっていた。

 ルシルは手帳を閉じた。

「……もう少し、待ちますわ」


 エリオットは、何も言わなかった。

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