第13話 妹と騎士と、測れない昼食(後編)
一時間後、三人で局を出た。
先頭がエリオット、真ん中がルシル、後ろがセリーヌという並びになった。自然にそうなった。
五分も歩かないうちに、セリーヌが言った。
「お姉様、また左に寄っております」
「……寄っていない」
「三歩、左にずれております」
「……石畳の傾き」
「傾いておりません」
エリオットが無言でルシルの右肩を、正しい方向へ押した。ルシルは押された方向に修正した。
セリーヌが小さく笑った。
「エリオット様、いつもこうされているんですか」
「……大体、そうだ」
「慣れていらっしゃるんですね」
「……嫌でも慣れる」
ルシルは前を向いたまま、何も言わなかった。
(……二人が、また話している)
測れない会話だった。
***
施設の入口で、セリーヌが受付に声をかけた。ルシルは扉の脇に立って待った。
エリオットがルシルの隣に並んだ。
「……お前の母親に、挨拶の言葉を教えてくれ」
ルシルは少し考えた。
「……三文以内で」
「三文が限度なのか」
「……お母様は、話が長くなると喜ぶ方。歯止めが利かなくなる」
エリオットが三秒黙った。
「……一文でいい」
「……ご挨拶申し上げます、エリオットと申します。ルシルの護衛を務めております」
「それで十分か」
「……そこから先は、お母様が話してくださいますから」
「……わかった」
セリーヌが戻ってきた。
「参りましょう」
廊下を進みながら、セリーヌがエリオットに小声で言った。
「エリオット様、一つだけ申し上げます」
「……何だ」
「お母様は、人の顔色を読むのがとても上手い方なのです」
「……それは」
「お姉様が誰かのことを話すとき、声が変わるのを聞き分けられる方ですの」
エリオットが黙った。
「それだけですわ」とセリーヌが微笑んだ。「心構えとして」
ルシルはその会話を、半分だけ聞いていた。
(……何の心構えですの?)
測れなかった。
***
扉をノックすると、「どうぞ」という声がした。
三人で部屋に入った。
窓際のベッドで、エレーヌが身を起こしていた。白いカーテンが揺れている。ルシルの顔を見た瞬間、目が変わった。それからセリーヌを見て、柔らかくなった。そして――エリオットを見て、一瞬だけ、細くなった。
「まあ」とエレーヌが言った。「三人で来てくれたのね」
「……お母様、具合はいかがですか」
「おかげさまで、今日はよく眠れたわ」
エレーヌはルシルの手を包みながら、視線だけエリオットに向けた。
「あなたが、エリオット様ね」
エリオットが一歩前に出た。
「ご挨拶申し上げます。エリオットと申します。ルシルの護衛を務めております」
「まあ、丁寧なのね」
エレーヌが微笑んだ。
「ルシルから、よくお話を聞いておりますわ。どうぞ、座って」
エリオットが椅子を引いた。セリーヌがその隣に座った。ルシルは母の傍に座った。
「お体は、本当によろしいのですか」とルシルが聞いた。
「ええ、大丈夫よ」
エレーヌはルシルの頬に手を当てた。
「あなたの方が心配だわ。また痩せたんじゃない?」
「……痩せていませんわ」
「エリオット様」
エレーヌがエリオットに目を向けた。
「ルシルは最近、ちゃんと食べておりますか」
エリオットが少し間を置いた。
「……今日は、パイを三切れ食べました」
「まあ」
エレーヌの目が細くなった。
「それは珍しい。誰が用意したの」
「セリーヌさんが」
「セリーヌが」
エレーヌがセリーヌを見た。
「よく食べさせたわね」
「パイを測ろうとしましたの」とセリーヌが言った。
「メジャーで?」
「はい」
エレーヌが笑った。よく響く笑い声だった。
「相変わらずね」
ルシルは黙った。
「……三切れは、普通の量ですわ」
「普通よ」とエレーヌが言った。「でも、あなたにしては珍しいの」
***
話が弾んだ。
セリーヌが施設の近くの市場の話をした。エレーヌが季節の野菜の話をした。ルシルは合間合間に相槌を打った。
その間、エレーヌの視線が、定期的にエリオットへ向いた。
「エリオット様は、騎士になられて長いのですか」
「……五年ほどです」
「お若いのに、しっかりされているのね」
エレーヌが微笑んだ。
「ルシルと一緒にいて、大変でしょう」
「……大変というか」
「迷子になりますでしょう」
「……よく迷います」
「昔からなのよ」とエレーヌが言った。「幼い頃、屋敷の中でも迷子になっておりましたの。同じ石造りの廊下が続くと、どれも同じに見えると言って」
「……お母様」
「本当のことですわよ」
ルシルは黙った。エリオットが横目でルシルを見た。何も言わなかった。
「あなたは」とエレーヌがエリオットに続けた。「ご家族は、王都に?」
エリオットの手が、膝の上でわずかに止まった。
「……兄が、一人おります」
「仲がよろしいの?」
「……昔は、よかったです」
「昔は」とエレーヌが静かに繰り返した。
エリオットが少し間を置いた。
「……今は、会えていません」
エレーヌが頷いた。それ以上聞かなかった。ただ「そうですか」と言って、視線を窓の外に向けた。白いカーテンが揺れていた。
***
帰り際、エレーヌがエリオットに向かって言った。
「エリオット様」
「……はい」
「ルシルのことを、よろしくお願いしますね」
「……それは、護衛として」
「護衛として、でも。それ以外でも」
エレーヌが穏やかに笑った。
エリオットは一秒黙った。
「……わかりました」
「ありがとう」
ルシルは二人のやり取りを聞きながら、首を少し傾けた。
(……それ以外に、何か頼まれることがあるということか)
判断できなかった。
セリーヌがルシルの耳元で、そっと言った。
「お姉様は、測れないことが多いです」
「……どういう意味?」
「いつかわかります」
ルシルはセリーヌを見た。セリーヌが微笑んだ。
測れなかった。
***
施設を出て、三人で王都の石畳を歩いた。
夕暮れが近かった。橙色の光が、石畳を染めている。
セリーヌがルシルの腕を取った。ルシルは少し固まってから、そのままにした。
「今日は来てよかったですわ、お姉様」
「……うん」
「ええ。エリオット様にも、ちゃんと会っていただけましたし」
「……それが目的?」
「半分は」セリーヌが微笑んだ。「もう半分は、お姉様に会いたかったから」
ルシルは前を向いたまま、何も言わなかった。
しかし歩調が、わずかに緩んだ。
「あら」
セリーヌがルシルの顔を覗き込むようにして、楽しげに声を弾ませた。
「お姉様、歩くのが遅くなりました?わたくしと、もう少し長く歩きたいと思ってくださったのかしら」
「……夕暮れの視認性を考慮して減速しただけ」
「ふふ、素直じゃありませんこと」
エリオットが少し後ろで、それを見ていた。
相変わらず、外見以外は似ていない。
しかしルシルがセリーヌの腕を振り払わず、その言葉に耳を赤くして歩調を合わせるのは――珍しかった。
「エリオット様」とセリーヌが振り返った。「今日はありがとうございました」
「……俺は来ただけだ」
「来てくださったことが、大事なんです」
セリーヌがにっこりした。その目が、また何かを読んでいた。
エリオットは答えなかった。
「……ルシルが、また迷子になりそうだ」と言った。
「あら」セリーヌがルシルを見た。「お姉様、また左です」
「……寄っていない」
「寄っております」
エリオットがルシルの右肩を押した。ルシルが修正した。
セリーヌが笑った。
夕暮れの石畳を、三人で歩いた。




