第12話 弔いの寸法(後編)
裏手の扉を開けると、地下への階段が続いていた。
ランプを持ったエリオットが先に降りる。ルシルがその背中を掴んで続いた。今回は自分から掴んだ。エリオットは何も言わなかった。
冷気が足元から這い上がってくる。
酒樽の並ぶ奥――先ほどエドモンが寝かされていた跡の、さらに奥。大きな樽の陰に、人の気配があった。
「ジルベール」
エリオットが静かに呼んだ。
沈黙。
それから、樽の陰から壮年の男がゆっくりと出てきた。
騎士の立ち姿は崩れていなかった。しかし顔色が、蝋のように白かった。
「……逃げようとしたわけではない」
ジルベールが低く言った。
「隠れていた。次は自分だと思ったから」
***
ジルベールは樽に背を預けたまま、低い声で話し始めた。
「エドモンから文が来たのは、三週間前だ。『あの会議の記録を調べ直した。おかしなところがある。会いたい』と書いてあった」
「……会いましたか」とルシルは聞いた。
「断った。怖かったから」
ジルベールが目を伏せた。
「二十年前、俺はあの会議に警備として入った。末席だ。何が決議されたかも知らされなかった。ただ――会議が終わった後、出席者の一人が青い顔で俺に言った。『記録が、違う』と」
「……その方の名前は」
「ドゥヴォー伯爵だ」
ルシルのメジャーを持つ手が、止まった。
「伯爵は何と言いましたか」
「『俺が見た議事録と、翌日配布された写しの内容が違う』と。俺は若かった。何もできなかった。そのまま退役して、二十年、黙っていた」
ジルベールが顔を上げた。
「伯爵が死んで、次にエドモンが死んだ。次は俺だ。そう思った」
エリオットが静かに言った。
「証言してくれるか」
「……する。もう、黙っていられない」
ルシルはドレスの袖に走り書きをした。
(二十年前の会議。議事録の改ざん。伯爵とエドモンが気づいていた。そしてジルベールも――書記長室は、この三人全員を消そうとしていますわ)
「一つ確認させてください」とルシルはジルベールに向いた。「エドモンに文を送った後、あなたの周囲で何か変わったことは」
ジルベールが少し考えた。
「……宿に、見知らぬ修道女が訪ねてきた。道を聞くと言って。今思えば、顔を確認しに来たのかもしれない」
「修道女」
「司祭に同行してきた二人のうちの、若い方だ」
ルシルはメジャーをチャキと鳴らした。
(……靴跡の寸法と、一致する)
***
地上に戻る前に、ルシルはもう一度エドモンが寝かされていた跡を確認した。
靴跡を再度測る。
(……一致しますわ)
「エリオット」
「……わかってる。修修道女だな」
「……でも、確定するにはもう一つ必要」
ルシルは地下室の入口付近の壁を見た。石壁に、かすかな引っかき傷がある。重いものを引きずった際についた傷だ。高さを測る。
(……エドモンを引きずったとき、靴跡の人物の腕の高さがここに当たったということ)
ドレスの袖に数字を書き込んだ。
「地上に戻ったら、修道女の右腕を測らせてほしい」
エリオットが三秒黙った。
「……葬儀の場で参列者の腕を測るのか」
「……ん、必要な計測」
「やり方を考えろ」
「……考える」
考えながら階段を上がった。正直、良い方法は思いつかなかった。
***
食事室に戻ると、若い修道女――名はアデルと聞いていた――が窓際に座っていた。
ルシルは部屋に入り、アデルの前で立ち止まった。
アデルが顔を上げた。表情は穏やかだ。しかし目が、一瞬だけ――ルシルのメジャーを見た。
(……メジャーを、知っていますわね)
初めて会った人間の反応ではない。事前に、情報を持っていた目だ。
ルシルは静かに口を開いた。
「少し、お話を聞いてもよいですか。ドゥヴォー伯爵のことで」
「……もちろんです。でも、私は伯爵とはほとんど面識がなくて」
「そうですか」
ルシルはアデルの隣の椅子を引いた。向かいではなく、隣に座った。
「私の記録作業を、少し手伝っていただけますか。羊皮紙を持っていていただきたいのですが」
アデルが少し戸惑いながら、差し出された羊皮紙を受け取るために右腕を伸ばした。
その瞬間、ルシルはメジャーをアデルの右腕に当てた。
「……っ」
「すみません。持ち方の確認ですわ」
素早く計測する。上腕の長さ、前腕の長さ。
(……一致しますわ)
アデルの顔から、血の気が引いた。
「エリオット」
部屋の入口でエリオットが頷いた。
***
アデルを別室に移した。
ルシルは計測値を並べながら、静かに言った。
「地下貯蔵庫の靴跡と、引きずり痕の高さ。あなたの寸法と、一致しますわ」
アデルは黙っていた。
「さらに」とルシルは続けた。「ジルベールが宿を訪ねてきた修道女の人相を証言しています。この屋敷の使用人も、昨晩遅くに地下から物音を聞いていますわ」
アデルがわずかに顔を上げた。
「……証拠はそれだけ?」
「もう一つ」
ルシルはアデルをまっすぐ見た。
「ドゥヴォー伯爵の爪に、蜜草の長期投与の痕がありますの。伯爵の死因は心臓麻痺ではない。あなたがエドモンを運んだことと、伯爵の死は――同じ人間の指示で動いていることになりますわ」
アデルの肩が、落ちた。
一人の犯行ではなくなった。その重さが、アデルの顔に出た。
「……誰に頼まれましたか」
答えは出なかった。
しかし――アデルの目が、一瞬だけ泳いだ。
(……目が泳いだ。その方向は――王都の東ですわ)
断定はしなかった。まだ、証拠が足りない。
でも――チャキ、と一度だけメジャーを鳴らした。
***
棺に戻る許可を取り、ルシルはドゥヴォー伯爵の爪を再度確認した。
変色の範囲を計測する。濃度を記録する。
(……蜜草の長期投与。いつかの被害者と、同じ痕ですわ)
「……伯爵も、殺されていましたのね」
エリオットが隣で低く言った。
「確定か」
「……確定ですわ。伯爵は会議の改ざんに気づいていた。だから消された。エドモンも同じ理由で。そしてジルベールも、今夜あたり――」
「手を打つ。ジルベールを局が保護する」
ルシルは頷いた。
棺の中の老人の顔を、しばらく見た。
(……二十年間、知っていたんですね。ずっと、一人で)
胸元のブローチに、そっと触れた。
(……お父様も、同じでした)
「……あなたの記録は、私が正確に残します」
誰に聞かせるでもなく、そう言った。
ガラスペンを取り出し、羊皮紙に書き始めた。
伯爵の爪の変色。計測値。推定投与期間。死因の訂正。
丁寧に。ひどく丁寧に。
***
屋敷を出たのは、日が傾いてからだった。
砂利道を並んで歩きながら、エリオットが口を開いた。
「……お前、よくあの場で腕を測ろうと思ったな」
「……必要だったので」
「羊皮紙を渡す口実か」
「……咄嗟に考えた」
エリオットが少し間を置いた。
「葬儀の場で参列者の腕を測る記録官は、王都広しといえどお前だけだ」
「……効率的」
エリオットが短く息を吐いた。笑いを堪えた音だった。
ルシルは前を向いたまま、メジャーを指先に巻き付けた。
(……二十年前の会議。議事録の改ざん。三人の証言者が、一人ずつ消されてる)
チャキ、と冷たい音が鳴る。
(……あとどれだけの記録が、書き換えられているの?)
「エリオット」
「……ああ」
「ジルベールの証言、正式な記録として残したいです」
「局に提出するか」
「……局ではなく、別の場所に。安全な場所に」
エリオットがルシルを見た。
ルシルは前を向いたまま、答えた。
「……いつか、全部を縫合するときのために」
エリオットはしばらく黙った。それから、小さく頷いた。
「わかった」
砂利道が終わり、街道に出た。夕暮れが、石畳を橙色に染めていた。




