第12話 弔いの寸法(中編)
「屋敷から出るな」
エリオットが参列者たちに向かって静かに言った。
怒号ではない。それでも、誰も動かなかった。
「異端審問局の名において、全員の在館を求める。協力に感謝する」
参列者たちが互いに顔を見合わせた。ルシルはその反応を一人ずつ確認した。
驚き。困惑。怒り。
そして――一人だけ、何も動かない顔があった。
(……あの壮年の騎士ですわ)
奥の椅子にいた男だ。鎧を外しているが、立ち姿が騎士のそれだった。ルシルは記憶の中の位置と照合した。一致する。
(……驚いていない。なぜ)
「ルシル」
エリオットが呼んだ。
「遺体の状態から、何かわかるか」
「……一つ確認したいことがあります」
ルシルはバルコニーに戻り、再び遺体の傍にしゃがみ込んだ。
掌を遺体の頬に近づけた。
冷たい。外気温と比べても、さらに冷たい。晩秋の屋外に一時間いたとしても、ここまで体温は下がらない。
(……もっと冷たい場所に、長い時間いたんですの)
次に、遺体の靴底を確認した。
(……泥)
バルコニーの床は石畳だ。雨も降っていない。しかし靴底に、黒い泥が薄く付着していた。
(屋内のどこかに、土の床がある場所があるはず)
ルシルは立ち上がり、修道服の袖に数字を書き込んだ。
「エリオット、この屋敷の地下に何がありますか」
「……地下?」
「食料か、酒か。冷たくて、土の床がある場所を聞いてほしいです」
エリオットが一瞬だけルシルを見た。それから、近くにいた執事へ向かった。
ルシルは待つ間、バルコニーの手摺りを確認した。
折れ曲がった箇所に近づき、破断面をメジャーで測る。金属の端が――外側ではなく、内側に向かって変形していた。
(……外から押したのではなく、内側から引っ張った形)
手摺りは、最初から細工されていた。
「地下に貯蔵庫がある」とエリオットが戻ってきた。「食料と酒の保管場所だ。石造りで、一年中冷えているらしい」
「……案内してほしい」
***
地下への階段は、屋敷の裏手の扉から続いていた。
階段を降りながら、エリオットが言った。
「足元に気をつけろ。暗い」
「……暗い方が目が慣れる」
「慣れる前に落ちる」
「……落ちない」
三段目で、ルシルの足が踏み外した。
エリオットの手が、素早く後ろ襟を掴んだ。
「……」
「何も言わない」とエリオットが言った。
「……感謝します」
「暗い場所では俺の背中を掴んでいろ」
「……それは、効率的ではありません」
「お前の安全の方が効率より大事だ」
ルシルは三秒考えた。反論できなかった。
ランプの光が、湿った壁を照らしながら降りていく。
冷気が一気に押し寄せた。
ルシルは足元を見た。
土の床だった。
(……ここですわ)
床に目を落しながら進む。奥へ、奥へ。棚に並んだ酒樽の間を抜けた先に――
床に、人の形の跡があった。
土が圧縮されて、わずかに窪んでいる。長さを測った。エドモンの身長と、一致する。
「……ここに、寝かされていた」
エリオットが低く息を吐いた。
「式が始まる前から、か」
「……おそらく昨晩から。低温で死後変化が早まり、死亡時刻が実際より後に見える。全員のアリバイが成立する。そういう計算で、ここに置いた」
「誰が運べる」
「……地下への扉の位置から考えると、屋敷の内部を知っている人間です。外から来た参列者には難しい」
「つまり、屋敷の関係者だ」
「……または」とルシルは続けた。「事前に屋敷を下見した人間ですわ」
エリオットが黙った。
ルシルは床の跡の周囲を細かく観察した。土の上に、靴の跡が複数ある。大きなもの――エドモンを運んだ人間のものだろう――と、それより小さいもの。
小さい方の靴跡を、メジャーで測った。
(……これは)
ドレスの袖に数字を書き込む。
(……女性、または体の小さな男性ですわ)
***
地上に戻ったルシルは、参列者たちが集められた食事室の入口で立ち止まった。
十三人が、思い思いの場所に座っている。
ルシルは全員の靴を見た。
男性が九人。女性が四人。
女性のうち――故人の息子の若い妻。司祭に同行してきた修道女が二人。そして、商人の一人が連れてきた娘らしき少女。
(……女性四人のうち、誰かが関わっているとすれば)
しかし靴跡だけでは断定できない。
エリオットが隣に並んだ。
「どうする」
「……全員の話を聞きたい。エドモンと面識があった人間を先に」
「わかった。俺が当たる」
エリオットが食事室に入り、一人ずつ話を始めた。
ルシルは入口に立ったまま、食事室全体を見渡した。
(……一時間前、エドモンが廊下の奥へ向かった。自分で向かったのか、それとも――呼び出されたのか)
視線が、一人の人物で止まった。
壮年の騎士だ。部屋の隅で、腕を組んで目を閉じている。眠っているわけではない。ただ、全員から距離を置いている。
エリオットが話しかけた。
騎士は目を開け、短く答えた。
その表情を、ルシルは入口から観察した。
(……この方、エドモンの名前を聞いた時、一瞬だけ目が動きましたわ)
知っている顔だ。
ルシルはドレスの袖に「騎士・エドモンと面識あり」と書き込んだ。
***
エリオットが戻ってきた。
「エドモンと面識があったのは三人だ。伯爵の息子、壮年の騎士――名はジルベール――、そして商人の一人」
「……ジルベール。その方は何者ですか」
「元・王国騎士団の副長だ。十五年前に退役している」
ルシルの手が、止まった。
(十五年前)
父が処刑されたのも、十五年前だ。
「……退役の理由は」
「不明だ。本人に聞いたが、『一身上の都合』とだけ言った」
ルシルは袖の数字を見た。靴跡の計測値。
(……ジルベールの足では、大きすぎる。この方が直接運んだのではない。でも)
「エドモンとはどういう関係だったか、聞きましたか」
「昔の知り合いだと言った。それ以上は話さなかった」
「……昔の、どういう知り合いか」
エリオットが少し間を置いた。
「それを聞いたとき、ジルベールが初めて、こちらをまっすぐ見た」
「……何と言いましたか」
「『同じ会議に出た仲間だ』と」
ルシルはメジャーをチャキ、と一度だけ鳴らした。
(……二十年前の会議ですわ)
エドモンが若い書記として末席にいた、あの会議。
(ジルベールも、そこにいたということですわ)
「エリオット」
「……ああ」
エリオットはすでに、同じことを考えている顔だった。
「……ジルベールに、もう一度話を聞きたい」
「俺も同じ考えだ」
二人で食事室に向かった。
しかし――ジルベールの椅子は、空だった。
食事室を見渡す。十三人いたはずの部屋に、今は十二人しかいない。
「……」
ルシルは廊下の奥の扉を一秒だけ見た。
(……裏手への扉。地下への階段に繋がる扉と、位置が近いですわ)
「エリオット」
「行く」
エリオットがすでに動いていた。




