第12話 弔いの寸法(前編)
晩秋の街道を、一台の馬車が走っていた。
王都から郊外へ向かう道。落葉した木々が両側に並び、曇り空が冷たい光を石畳に落としていた。
馬車の中で、ルシルは窓の外を見ていなかった。
膝の上に広げた羊皮紙に、数式を書き込んでいた。先週の検死記録の再計算だ。骨密度から逆算する年齢推定の誤差範囲を、もう一度確認したかった。
「ルシル」
向かいに座るエリオットが呼んだ。
「……ん」
「今日は葬儀だ」
「……わかってる」
「葬儀の場で検死記録の計算をするな」
ルシルは手を止め、羊皮紙を修道服の内側に仕舞った。エリオットの言い方が命令ではなく懇願に近かったからだ。
「礼儀は」
エリオットが少し間を置いた。
「到着したら、まず遺族に挨拶をする。三文以内で頼む。それ以上話すと何を言いだすかわからない」
「……適切な三文を教えてほしい」
エリオットが額に手を当てた。
「心よりお悔やみを申し上げます。ご遺族のご健康をお祈りしております。本日は参列の機会をいただき、光栄です」
「……覚えた」
「一字一句、変えるな」
「……なぜ変えてはいけないんですか」
「お前が変えると危ない」
ルシルは反論しなかった。根拠のある懸念だと判断したからだ。
「ところで」とエリオットが続けた。「故人の名はオーギュスト・ドゥヴォー伯爵。王国教会の評議員だ」
「……評議員」
「二十年近く務めていた。今の書記長が就任した頃からずっと」
ルシルは窓の外に目を向けた。
(……二十年。書記長室が動き始めた時期と、重なりますわ)
何も言わなかった。代わりに、メジャーを指先に一度だけ巻き付けた。
***
ドゥヴォー伯爵家の屋敷は、王都郊外に構える三層建ての館だった。
正門から玄関まで、砂利を敷いた広い通路が続き、両脇に蝋燭を掲げた使用人たちが並んでいた。
「ご記録官様、よくお越しくださいました」
出迎えた執事の老人に、ルシルは一息で言った。
「心よりお悔やみを申し上げます。ご遺族のご健康をお祈りしております。本日は参列の機会をいただき、光栄です」
執事が目をわずかに見開いた。
「……ありがとうございます」
エリオットが小さく息を吐いた。
案内された式場は、一階奥の広間だった。棺が中央に置かれ、周囲に参列者たちが思い思いの場所に散っている。ルシルは広間に入りながら、人数を確認した。
十四人。
懐からガラスペンを取り出しかけて、エリオットに手を止められた。
「葬儀の場で人の頭数を数えながらメモを取るな。怖い」
「……確認作業です」
「後にしろ」
(……後で全員の顔と位置を記録しますわ)
その代わりに記憶した。
窓際に立つ四十がらみの男――故人の息子だろう、輪郭が似ている。その隣に若い妻。教会の紋章を下げた司祭が二人。商人らしき中年男性が三人。奥の椅子に、騎士鎧を外した壮年の男が一人。
そして――出入口近くの柱の陰に、黒い服の細い男が一人。
(……あの方だけ、全員から距離を置いてる?)
名前はわからない。でも、位置だけは正確に記憶した。
***
問題は、棺の前に案内されてからだった。
参列者が一列に並んで故人に最後の挨拶をする段取りで、ルシルも順番に棺を覗き込んだ。
白い経帷子に包まれた、老いた男性。穏やかな顔だ。公式死因は心臓麻痺。三日前に自室で倒れているところを使用人に発見された。
しかし――
(爪の色)
経帷子の端から指先がわずかに見えていた。爪の根元に、かすかな変色がある。
ルシルは反射的にしゃがもうとした。
「ルシル」
エリオットの手が、素早く修道服の袖を掴んだ。
「……一秒あれば測れましたのに」
「後にしろ」
「……でも爪の変色が――」
「後、に、しろ」
ルシルは渋々、棺から離れた。背後から参列者たちのざわめきが聞こえた。棺の前でしゃがみ込もうとした修道女が怖かったのだろう。おそらく。
(……一秒だったんですけれど)
納得はいかなかった。
***
式が始まった。
司祭が読経し、参列者が静かに頭を垂れる。ルシルは椅子の端に腰を下ろし、正面の棺を見ながら、爪の変色のことを頭の中で整理した。
(……蜜草の可能性がありますわ。でも断定するには情報が足りない)
「ルシル」
隣でエリオットが呟いた。
「……ん」
「目が泳いでいる」
「……考えているだけですわ」
「考えるのも後にしろ」
ルシルは視線を棺に固定した。
(……エリオットは葬儀の礼儀に、本当に細かいですわ)
式が一段落し、遺族が食事を振る舞う段取りになった。参列者が隣の食事室へ移動し始める。
柱の陰の細い男が、ふと席を立った。食事室ではなく、廊下の奥へ向かう。
(……どこへ)
その瞬間だった。
二階の階段の上から、声が聞こえた。
「――エドモンが! バルコニーで!!」
使用人の女性の、悲鳴に近い声だった。
室内が凍りついた。
(エドモン――さっきの、細い男の名前)
エリオットがすでに立ち上がっていた。ルシルも立ち上がり、懐からメジャーを取り出した。
チャキ、チャキ。
冷たい金属音が、静まり返った式場に響いた。
***
二階のバルコニーに出ると、一人の男が倒れていた。
細い体。黒い参列者の服。仰向けで、頭部から出血している。手摺りの一部が外側に折れ曲がっていた。
転落した――ように見える。
ルシルはしゃがみ込み、遺体の状態を確認した。
硬直の進行。皮膚の色。そして――死斑。
(……)
メジャーを当て、変色の範囲を計測する。懐からガラスペンを取り出し、修道服の袖に数字を書き込む。
「何かわかったか」とエリオットが低く聞いた。
「……死斑が、固定されてる」
「どういうことだ」
「固定には死後六から八時間かかります。でもこの方は一時間前、式場にいた。全員が見ていた」
ルシルは立ち上がった。
「一時間で固定は、あり得ません」
エリオットの顔が、わずかに硬くなった。
式場から上がってきた参列者たちが、バルコニーの入口で固まっていた。ルシルはその全員を一度だけ見渡した。
十三人。
一時間前は十四人いた。
この中の誰かが――式が始まる前から、エドモンをどこかに隠していた。
ルシルはチャキ、と一度だけメジャーを鳴らした。




