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『異端審問官ルシルの検死記録 ~没落令嬢は真鍮のメジャーで死体の嘘を測る~』  作者: w.t.


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第2話 五センチの嘘と、眠れない死者(前編)

 異端審問局の記録室には、壁一面に棚が並んでいる。


 床から天井まで、隙間なく羊皮紙の束が詰め込まれた棚。異端審問の記録、検死の記録、教会の裁定記録。

 この局が設立されて百年以上、積み上げられてきた「公式の真実」がここに眠っている。


 ルシルはその中の一束を手に取り、ランプの光にかざした。


 十三年前の検死記録だ。王都南区で発見された身元不明の男性。死因は心臓麻痺として記録されている。

 記録官の署名、審問官の承認印、日付。書式は完璧だ。


(……でも、この死斑の記述、おかしいですわ)


 記録には「死斑、背部に確認」とある。

 しかし同じ記録の別項に、発見時の体勢は「うつ伏せ」と書いてある。

 うつ伏せで死んだなら、死斑は腹側に出るはずだ。


 矛盾している。


(書き間違い、かもしれません。でも――)


 ルシルは記録を棚に戻し、隣の束を引き出した。十一年前。また別の矛盾。

 さらに隣。九年前。また。


(……パターンが、ある)


「また朝から棚を漁ってるのか」


 背後から声がして、固い黒パンが肩越しに差し出された。エリオットだ。

 今日は非番らしく、騎士鎧ではなく簡素な上着姿だった。非番でも飯を持ってくる男だった。


「……ん」


「受け取れ。両手が塞がってる」


 ルシルは渋々、抱えていた記録書の束を棚に押し込み、黒パンを受け取った。

 一口かじりながら、視線は棚に戻す。


「非番なのに来たんですか」


「お前が心配だからじゃない。近くに用があっただけだ」


「……そうですか」


 エリオットが椅子を引いて腰を下ろす気配がした。

 ルシルはパンをかじりながら、記録の束を眺め続けた。


(このパターン、どこかで――)


「ルシル、仕事だ」


 エリオットが立ち上がる音がした。

 さっき座ったばかりではないか、とルシルは思ったが言わなかった。


「教会の墓地から要請が来た」


「……墓地」


「埋葬した棺のサイズが合わないと墓守が騒いでいるらしい」


「……棺のサイズ」


「上は記録違いだろうと握りつぶしたいようだが、墓守が引かなくてな。一応、記録官を寄越せという話になった」


「……行きます」


「パンを全部食ってから行け」


「……歩きながら食べます」


「お前の歩きながらは半分以上こぼすだろ」


 反論できなかった。

 ルシルは黙ってその場でパンを全部口に押し込み、エリオットの背中についていった。


***


 王都の東端まで、徒歩でおよそ三十分だとエリオットが言った。


 ルシルは頷き、エリオットの背中を視界に収めながら歩き始めた。

 朝の石畳は人通りが多く、荷台を引く馬車や、市場へ急ぐ商人たちが絶えず横を通り過ぎていく。


(……人の流れは、記録の積み重ねに似ていますわ。各々が別の方向を向いているようで、実は同じ力学に従っている)


 ふと気づくと、エリオットの姿がなかった。


 ルシルは足を止めた。振り返る。前を見る。右を見る。左を見る。

 石畳が続いているだけだった。


(……いなくなりましたわ)


 どこで逸れたのか見当もつかなかった。

 二十秒ほど考えてから、ルシルは来た道を戻り始めた。


「……反対方向だ」


 三歩で、声がした。


 振り向くと、エリオットが路地の入口に立っていた。腕を組んでいた。

 ルシルが逸れたのではなく、彼女が正規のルートを外れたことに気づいて引き返してきた、らしかった。


「……わかっていました」


「わかっていたなら、なぜ戻っていた」


「……確認のため」


「何の確認だ」


「……来た道と、行く道の区別がつくかの」


「結果は」


「……。」


 エリオットが深く息を吐いた。

 無言でルシルの修道服の袖を掴み、路地の奥へと引っ張り始めた。

 ルシルはされるままについていった。


(……この感覚、昨日もおとといもありました。エリオットは几帳面な人。毎回同じ方法で修正してくる)


 それは口にしなかった。言うと、また何か言われる気がしたからだ。


***


 王都の東端、古い石壁に囲まれた教会の墓地。


 曇り空の下、苔むした墓石が等間隔に並んでいる。

 その一角に、掘り返された土の山と、地上に引き上げられた棺が一つ。

 傍らで腕を組んでいるのが墓守の老人で、向かいで眉をひそめているのが教会の司祭だった。


「だから申し上げておりますとおり、これは単純な記録の誤りでございます。今さら騒ぎ立てることもないかと――」


「誤りじゃない。わしは三十年この墓地を守っとる。棺のサイズくらい、一目でわかる」


 二人の言い争いを無視して、ルシルは棺に近づいた。


 修道士・レオナルドの棺、と表面に彫られている。

 三日前に埋葬された、六十二歳の老修道士。

 記録によれば身長は五尺八寸――約百七十五センチだ。


 ルシルは修道服のポケットから真鍮のメジャーを取り出した。


 チャキ、チャキ。


 まず棺の外寸を測る。縦、横、高さ。記録書と照合する。


(……外寸は合っていますわ。記録通りに作られた棺)


 次に蓋を開けるよう、エリオットに目で合図した。

 エリオットは一瞬だけ顔をしかめたが、無言で蓋に手をかけた。


 軋む音とともに、蓋が開く。

 白い経帷子に包まれた遺体が現れた。


 ルシルは棺の縁に手をかけ、身を乗り出した。内寸を測るために、少し角度が必要だった。

 もう少し。もう少しだけ前に――


「っ、おい」


 エリオットの手が、素早くルシルの修道服の襟首を掴んだ。

 ぐい、と引き戻される。


「……」


「落ちるところだったぞ」


「……計測しやすい体勢でした」


「棺に落ちてどうする」


「……遺体と同じ目線で測れる。精度が上がる」


 エリオットが何か言いかけて、やめた。深く息を吸って、吐いた。


「……測るなら棺の外から測れ」


「……わかりました」


 ルシルは素直に引き下がり、棺の外からしゃがみ込んで内寸を測り始めた。

 外寸からでも十分測れた。最初からそうすればよかった。


(……でも、あの体勢の方が精度は高かったですわ)


 それは口にしなかった。エリオットの顔色が、まだ優れなかったので。


 棺の内側の長さ。そして――経帷子の上から、遺体の頭頂から踵までの長さを計測した。


(……)


 メジャーの目盛りを確認する。もう一度測る。同じ数字が出た。


(五センチ、足りない)


「何かわかったか」とエリオットが低く聞いた。


 ルシルは答える代わりに、懐からガラスペンを取り出し、自らのドレスの袖に数字を書き込んだ。

 それから静かに立ち上がり、司祭の方へ向き直った。


「……棺の内寸は記録と一致します。遺体の身長は一致しません。五センチ低い」


「それは測り方の問題では――」


「同じ方法で三回測りました。誤差は出ません」


 司祭がなおも口を開きかけた。

 その瞬間、エリオットが静かに一歩前へ出た。

 何も言わない。ただ、騎士の体躯が司祭の視界を塞ぐように立つ。


「彼女は異端審問局の公式記録官だ。その計測結果は、局の公式見解と同等の効力を持つ」


 低く、静かな声だった。怒鳴らない分だけ、重かった。


 司祭が言葉を詰まらせた。


「つまり」とルシルは続けた。「この棺に入っているのは、レオナルド修道士ではない」


 墓地に沈黙が落ちた。

 墓守の老人が、静かに目を閉じた。

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