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『異端審問官ルシルの検死記録 ~没落令嬢は真鍮のメジャーで死体の嘘を測る~』  作者: w.t.


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第8話 白いカーテンと、測れない温度(後編)

 お母様との時間は、静かに流れた。


 他愛のない話をした。

 施設の庭に今年も白い花が咲いたこと。

 アンヌが最近、施設の古い記録書を読み漁っていて困ると修道女たちが言っていること。

 エリオットが廊下で待っていること。


 「騎士さんが、また来てくれたのね」とお母様が言った。


 「……護衛ですわ」


 「護衛にしては、ずいぶん献身的ね」


 「……仕事に、熱心な人ですから」


 お母様が、何も言わずに微笑んだ。

 その微笑みの意味を、ルシルは測れなかった。

 測れないので、話題を変えた。


 「……お体の調子は、本当によろしいですか」


 「ええ。昨夜は少し熱が出たけれど、今朝はすっかり。アンヌが夜中も傍にいてくれたのよ」


 「……アンヌが」


 「あの子、頑固なの。帰りなさいと言っても帰らなくて。『エレーヌ様の熱が下がるまでここにいます』って」


 ルシルは少しだけ、扉の方を見た。

 アンヌはもう廊下へ出ている。


(……頑固)


 先ほど「エレーヌ様のお薬は自分が量る」と言い切った顔を思い出した。

 十歳で、あの目をする子供が、いる。


 「ルシル」

 お母様が、静かに呼んだ。


 さっきとは少し違う声だった。

 ルシルは視線を戻した。


 お母様が窓の外を見ていた。

 白いカーテンが、風にゆっくりと揺れている。


 「……少し前から、思い出すことがあって」


 「……何を」


 「お父様のことよ。没落する少し前の頃」


 ルシルの手が、膝の上で静かに止まった。


 「あの人、いつもより少しだけ、急いでいた気がするの。書斎にこもる時間が長くなって。でも不安そうではなかったわ。むしろ――安心したような顔をしていた」


 「……安心」


 「ええ。あの人が、ああいう顔をするのは珍しかったから覚えているの。それで聞いたのよ。『何かあったの』って」


 お母様が、窓から視線を戻した。ルシルを見た。


 「そうしたら、笑って言ったの。『薬箱よりずっと大事なものを、信頼できる人間に預けた』って」


 ルシルは何も言わなかった。


 「誰に預けたのか聞いたら、教えてくれなかったわ。でも――その人のことを話すとき、とても穏やかな顔をしていた。長い付き合いの人間だ、って。それだけ言って、また書斎に戻っていったの」


 窓の外で、鳥が鳴いた。


 ルシルはメジャーを、無意識に取り出していた。

 指に巻き付けて、また仕舞った。


(……薬箱より大事なもの。長い付き合いの、信頼できる人間)


 父が没落直前に、安心した顔をしていた。

 それは――証拠を、誰かに預けたからではないか。

 書記長室が動き始めていることを察知して、自分が消される前に。


(……まだ、確信には足りませんわ)


 でも点が、また一つ増えた。


 「……教えてくれて、感謝します、お母様」


 「役に立てたかしら」


 「……はい」


 お母様がルシルの手を、両手で包んだ。


 「あなたが来てくれると、この部屋が温かくなる」


 ルシルは答えられなかった。

 喉の奥で何かが詰まった。感情が動きそうになる。

 今日は、メジャーを取り出さなかった。


 「……私も」

 小さな声だった。

 「……お母様がここにいると、わかっていると。それだけで、動けますわ」


 お母様の目が、細くなった。嬉しさで、細くなった。


 しばらく、二人でそのままでいた。

 白いカーテンが、静かに揺れていた。


---


 帰り際、廊下でアンヌが待っていた。


 壁にもたれて、腕を組んでいた。

 十歳の子供の、妙に様になった立ち姿だった。


 ルシルが近づくと、アンヌが前に出た。

 「ルシル様」


 ルシルは足を止めた。

 少しだけ膝を折り、子供と視線の高さを合わせた。


 「……どうしましたの」


 アンヌは一拍置いた。

 それから、まっすぐにルシルを見た。


 「エレーヌ様を、悲しませるようなことはしないでください」


 ルシルは少しだけ目を見張った。


 「エレーヌ様はルシル様が来るたびに、すごく嬉しそうにされます。でも帰ったあと、少しだけ寂しそうにもされます。だから――もっと来てあげてほしいです。それだけです」


 言い切った。

 十歳の目が、ルシルを真っ直ぐに見ていた。


 ルシルはしばらく、アンヌを見た。


(……この子には、反論できる材料がない。不本意ですけれど)


 正しいことを言っている。

 感情ではなく、観察に基づいた正しいことを。


 「……善処します」


 「善処というのは?」アンヌが首をかしげる。


 「……できる限り、来るということ」


 アンヌが少しだけ考えた。それから笑顔で頷いた。

 「わかりました。お待ちしてますね!」


 それだけ言って、アンヌは廊下を引き返していった。

 小走りで。あっという間に角を曲がって消えた。


 ルシルが立ち上がると、エリオットが隣に並んだ。


 「……子供には、随分と甘いんだな」


 「……甘くなどありません。妥当な対応をしただけ」


 「そうか?」


 「ええ。子供の言葉には、大人のような裏がない。観察した事実を、そのまま出力する。言葉で何かを隠蔽しようとしないから……いちいち測る手間が省けて、対応が楽なのです」


 淡々と理屈を並べるルシルを、エリオットは一秒見た。


 「……そういうのを、世間では甘いって言うんだ」


 「……違います」


 「それに、言い負かされてた」


 「……言い負かされていません。正しいことを言われた。それに同意しただけ」


 「同じことだ」


 ルシルは黙った。

 反論できなかった。


---


 施設を出て、王都の石畳を歩き始めた。

 夕暮れが近かった。


 ルシルは歩きながら、今日母が言ったことを頭の中で並べていた。

 薬箱より大事なもの。長い付き合いの、信頼できる人間。安心した顔。


(……父が、誰かに預けた)


 組織の外の、記録の重みがわかる人間に。


 「ルシル」

 エリオットが呼んだ。


 「……ん」


 「今日のお母様は、どうだった」


 「……思ったより元気だった。アンヌがよく見てくれてました」


 「そうか」


 しばらく沈黙が続いた。

 石畳を踏む音だけが聞こえた。


 「……エリオット」

 ルシルは前を向いたまま言った。


 「……一つだけ、聞いてもいいですか」


 「何だ」


 「……父のような人間が、証拠を誰かに預けるとしたら。どんな人間に預けると思いますか」


 エリオットが少しだけ間を置いた。


 「……組織の外の人間だ。局の内部では、いつ記録が書き換えられるかわからない」


 「……組織の外」


 「ただし、記録の重みがわかる人間でなければ意味がない。ただ預かるだけでなく、いつか使える人間」


 ルシルは歩きながら、その言葉を頭の中に仕舞った。


(……記録の重みがわかる、組織の外の人間)


 父の時代に、そういう人間がいた。

 今もいるかもしれない。


 「……参考になった」


 「何の参考だ」


 「……まだ言えない」


 エリオットは少しだけルシルを見た。それから前を向いた。


 「わかった」

 追及しなかった。いつも、そうだった。


(……エリオットという人間は、本当に測りにくい)


 聞いておいて、答えを求めない。

 待つことを、当然のようにしている。


 測れない人間だった。

 でも――測れないことが、今日は少しだけ、悪くなかった。


---


 夜、記録室に戻ったルシルは、棚の奥から羊皮紙の束を引き出した。


 書記長室の特注羊皮紙。

 十五年前の判決記録。

 七話で取った書記係長の証言記録。

 十一年前の改ざんされた検死記録。


 四枚を並べ、ランプの光にかざした。


(……父が、誰かに預けた)

 組織の外の、記録の重みがわかる人間に。


 父が没落したのは十五年前だ。

 その人間が今もどこかにいるとすれば――十五年間、ずっと持ち続けていることになる。


(……なぜ、使わなかったんでしょうね)


 使えなかったのか。使う機会を待っていたのか。

 あるいは――その人間も、書記長室に気づかれていたのか。


 答えは出なかった。

 ルシルはドレスの裾に、小さく書き込んだ。


 「――探せますわ」


 羊皮紙を仕舞い、ランプを吹き消そうとして、机の上に気づいた。


 黒パンが置いてあった。


 今日は、見た瞬間に手が伸びた。

 待たなかった。考えなかった。


 一口かじった。固い。顎が痛い。


(……アンヌは言ってました。できる限り来い、と)


 十歳の子供に言われたことが、まだ頭に残っていた。

 論破できない相手というのは、不思議な重みがある。

 数字でも証拠でもなく、ただまっすぐな目で言われたことが、一番長く残る。


(……測れないものが、一番効く)


 パンを最後まで食べた。

 暗い記録室で、一人で、黙々と。


 今日は、最初から食べた。

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