9 孤憤と五蠹 後編
お読み頂きありがとうございます。楽しんで頂けたら嬉しいです。
少し脱線したな。
「孤憤」と「五蠹」に話を戻そう。
俺は白湯をごくりと飲み、話を続ける。
「まあそんなわけで、この書を最後まで読んで貰うためには、こちらも君主の気持ちに寄り添わなくてはならないんだ」
「相手に寄り添う、か......」
「あ、それ、私にはよく分かりますよ。色恋と一緒ですね?」
楽しそうに、というか揶揄うように韓非に向かって同意を求める有沙少年。
対して韓非は今一つ理解出来ていないという顔だ。
「非老師、女の子を口説く時のことを想像してみて下さいよ。女の気持ちに寄り添えないと、どんなに位が高くても、たくさんお金を持っていても、女を本当におとすことは出来ないんですよ?」
「おやおや。自他共に認める、朴念仁の私に向かって、随分と難しいことを言うね」
「はぁ......これだから老師は......」
苦笑する韓非、そして有沙は小さくため息をつく。
その顔は、なんだか少し寂しそうだ。
「それよりも通古、この書を読むであろう、君主の気持ちに寄り添う、というのは、具体的にどうすれば、いや、どう考えれば良いのだ?」
「まずは子沙、君自身の救国の志と、それ故に感じているであろう『孤独』についてを熱く語るんだ」
「孤独か......確かにそれは、感じているかもしれないね」
「だろう?そして結局のところ、君主ってのも孤独なもんだ。そこへ同じく孤独、というか孤高の士である君が自身の想いを吐露するんだよ」
「それで、どうなるというのだ?」
「つまり、『お辛いですよね、分かります!私も孤独なんです、辛いんです!でもだからこそ、私は君主の真の味方なんです!』って訴えるのさ」
「ふ......む?」
「あぁなるほど......これも女と一緒かもですよ老師?無駄にカッコつけてる男より、素直に弱みを見せてくる男の方が却ってモテますもん!ね、そうですよね通古様?」
「う、うむ......そ、そういうことだ!」
いや、すまん。
色恋沙汰には、実は俺もあまり詳しくはないんだ(汗)
「あとは後世の評価ってのをちらつかせるのも良いな。現状に甘んじることなく、この書に記された『最高の法治機構』を以て国を富み栄えさせれば、君主は『新しい時代』を築いた不世出の名君として歴史に名を残すことが出来ますよ、とね」
「ふふっ、だそうですよ老師」
「『最高の』などとは、少し面映ゆいことだが、それでも『新しい時代』というのは、間違ってはいないね。今は、堯や舜の時代とは違う。いつまでも昔を偲び、重んずるばかりでは世は却って乱れるばかりだ」
「そういうことだ。今は昔とは違うのだということも、しっかりと盛り込んでおいた方が良いぞ」
よしよし、のってきたな。
さらに追加だ。
「その上でもう一つ。話を盛り上げるには、共通の敵が必要となる」
「ほう?敵、というと?」
「決まっているじゃないか。国を乱す佞臣、つまり貪官汚吏の類さ。こいつらのことをあえて貶すことで、君主は君のことを身近に感じてくれるのさ」
「......そう、なのか?」
「ああそうだ。君の様に大らかな人間には分からないかもしれないがね。それでも人という生き物は、他人の悪口を言ってる時が一番楽しくて、盛り上がるんだ。ゲスなことではあるがね(苦笑)」
「私、分っかるなぁーそれ!!」
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
僅かな灯りでは竹簡の文字が読めぬ程に、夜の闇が深くなった。
「これは済まない、すっかり遅くなってしまったね。有沙、通古を屋敷まで、送っていってもらえるかい?」
「いや、別に構わんよ。独りで帰れるさ。それに俺を送った後に有沙を独りで戻らせる方がよっぽど危ないしな」
最初はそう言って断った。
なにせ前世基準で考えると、城塞の中の街とはいえ、夜間に少年が出歩くのはまだまだ危険な時代だからな。
だが二人とも危険については懸念する素振りも見せず、有沙はにっこり笑うと自信ありげに俺の顔を見た。
「大丈夫ですよ。良い機会ですので紹介させていただきますね。听、入っておいで」
「うん?.....うおっ!!」
いや驚いたぜ。
灯りの届いていない暗がりの中から、ゆっくりと大きな「狗」が姿を現わしたんだからな。
......
.....
...
韓非の借家を辞し、月明りの下を帰路に就く。
すぐ隣を有沙が歩いている。
付かず離れず、俺達をどこからか見守るあの狗の視線を感じる。
常日頃、彼(?)はあの家を護っており、これまでにも何度かコソ泥を撃退しているのだそうだ。
さもありなん。
先程、紹介(?)された時にも感じたのだが、その目には、ただの狗とは思えぬ程の知性を感じた。
確か名を听、といったか?
「随分と頼もしい護衛だね」
「ええ。手塩にかけて育てましたから」
「君が育てたのかい?凄いな」
「ふふっ、お褒め頂き嬉しいです。時々一緒に、山で兎を狩ることもあるんですよ」
「それはいいな。いずれ機会があれば誘ってくれないか?」
「ええ、是非とも」
またしばらく、黙って歩く。
不意に有沙が言った。
「ところで通古様、もしも私の勘違いだったらお恥ずかしいのですが.......」
「うん?何だい??」
惚けてはみせるがこの少年、なかなかに勘が鋭い。
听というボディーガードがいたとはいえ、何故俺が前言を撤回して有沙に送ってもらうことにしたのか、その理由について気付いているようだ。
「通古様は、非老師にではなく、この私に......何か仰りたい事があるように思いました、が?」
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