8 孤憤と五蠹 前編
お読み頂きありがとうございます。楽しんで頂けたら嬉しいです。
俺の問いに、二人ともサッパリキョトンって顔だ。
「......ふむ?」
「コフントゴト?何かのオマジナイですかそれ??」
「いや、言葉の意味は今はいい。一旦忘れてくれ」
そうだよな。
孤憤はともかく、五蠹ってな「五種の木喰い虫」って意味だから、比喩表現が不十分な現時点ではまだ書かれていない可能性はあるよな。
だがこの二編こそが、後の始皇帝である秦王政を感激させ、「韓非子」本人と書物の両方が歴史の表舞台へ躍り出る嚆矢となったのだから、これは何としても書いてもらわねばならない。
さて、どう説明したものか?
ええと......
「なあ子沙、君がこの書を著したのは、世の民を救う為にだろう」
「うむ、勿論だ」
「だがこの書は、民が読むためのものでは無い。なぜなら『術』と『勢』についての記述があるからだ」
「それ以前に、民には文字の読めない者だって多いですもんね?」
有沙少年の言う通りで、この時代の識字率はかなり低く、髷を結ってた頃から庶民でも読み書きが出来ていた俺の前世の国とはかなり異なっている。
前世の俺の「常識」ってのは、世界的には随分と珍しいものなんだよな。
「まあ、そうだね。この書は為政者がどうあるべきか、どうするべきかを論じたものだからね」
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著書「韓非子」、その本質を思い切り乱暴にまとめるとするならば、「法」「術」「勢」の3つになると思っている。
「法」の重要性は言わずもがなだろう。
明文化された法に則って政治が行われるからこそ、人々は納得し、安心して暮らせるんだからな。
為政者の気分次第でやられちゃたまらんよ。
対して「術」というのは、君主が臣下をコントロールするための方法、つまり管理「術」だな。
その基本は、決して自分の心の内を明かさず、逆に臣下を自分の思うがままに操るための方法についてを論じている。
そして「勢」とは、君主が「法」と「術」を駆使するための、その「仕組みを維持する」ことの重要性について述べたものだ。
君主の血筋だから無条件に偉いってわけではなく、また有能だから君主になれるってわけでもない。
君主はその地位にいることで、初めて権力を行使することが可能になる。
逆に言えば、その地位にいる限り、どんなに凡庸な君主であっても「法」と「術」を駆使することで容易く政治を行うことが出来るのだ。
まとめると、「法」とは広く民のために施行されるものである。
対して「術」と「勢」は君主のためのもので、臣下に対して原則「非公開」のテクニックということになる。
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「そこで、だ」
冷めた白湯をごくりと飲み、俺は本題に入る。
この二人には、「孤憤」と「五蠹」の重要性について言っておかねばなるまい。
「子沙、君がこの書をどこかの君主に献上したとする。だがこのままでは、一顧だにされず終わる可能性が高い」
「......内容が、難しいのかね?」
「それもある」
だが、それだけじゃないんだ。
「いいか子沙、この書は国家にとっての良薬であるが、良く効く薬というのは得てしてとびきり苦いものだ。特に、自らを絶対権力者だと錯覚している君主をして法の下に平等にあるべきだなど、心情的には到底受け入れられるものではなかろう?」
「いや......だが、それはしかし......」
「そうですよ通古様。だってそれこそが非老師のお考えの一番重要なところですよ?」
多少は自覚があるのが、俺の指摘を否定しきれず苦しそうな表情をする韓非。
有沙も不満そうだ。
「無論、俺も同感だ。だが人は理屈だけじゃあ動かないし、ある意味『我儘』に生きている国の最高権力者ともなればなおさらだ。まあ、制度として法の下に組み込むのはこれからの課題だとして、まずは君主をその気にさせなきゃならない。慌てちゃあ駄目なんだ」
「ううむ......理論さえ完全なら、それが説得力を持つと思っていたのだが......」
「じゃあ、どうしたら良いのでしょうか??」
困惑する二人に、俺は断言する。
「だからさ、理論で畳みかけるんじゃなく、心に訴えかけるのさ」
.......
.....
...
「心に、訴えかける、か.......ううむ.......いや、しかし.......」
俺の言葉に、有沙はともかく、韓非はまだ納得がいっていない様子だ。
「子沙、君の言いたいことは分かるよ。政治を為すにあたって、『情』ほど無用なものは無い。孔丘の『脱走兵にまつわる話』などはその典型だろうな」
「うむ、そうだね。それは私も、同意するよ」
少し説明しておくと、孔丘ってのはあの有名な孔子サマのことで、現在俺達が教わっている荀子のそのまた先生ってことになる。
あん?「師の師なら、我が師も同然」だと?
やかましいわ!!
で、その孔子サマのエピソードで、「脱走兵を許した話」ってのがあってな。
これがなかなか、韓非や李斯のような法家の人間には理解し難い思考回路なんだが.......
あらましはこうだ。
魯の国で政務を執っていた孔子サマのもとへ、一人の兵士が罪人として引っ立てられてきた。
聞けばこの兵士、郷里に年老いた母親がいて、もし自分が戦死すれば母親が路頭に迷うことになるからと軍を脱走したのだという。
魯国の法に依れば足を斬られる重罪、だがあろうことか、孔子サマはこの兵士を「孝」であるとして罪に問わなかったばかりか、褒美まで与えちまったんだ。
この後、魯国では軍の脱走兵が相次ぎ、目に見えて弱体化することになった。
当然だよな?
気の毒な兵士を憐れむのは勝手だが、それでは為政者としては失格だ。
そもそもの話、この兵士に本気で「孝」をさせてやりたいのなら、兵士の家族に対する補償の充実をこそ、まずは考えるべきだと思うんだが。
なにせ軍が負けて他国の侵略を許すことになった場合、そのツケはちゃんとその国の民へと返ってきてしまうわけだしな。
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