7 比喩
お読み頂きありがとうございます。楽しんで頂けたら嬉しいです。
ある日のこと、韓非の借家に招待された俺は、てっきりまた美味い酒が手に入ったのかと思っていたのだが、意に反して出てきたのは白湯の入った小さな器と大量の竹簡だった。
「どうだろう、通古?」
「ん?あぁ......」
白湯を啜りながら、土産にと持参した干し肉をかじる。
喉が渇くのは肉の塩気のせいだけではない。
竹簡を持つ手が興奮に震え、カタカタと大きな音を立てる。
やべぇ......
やべぇぞこれ!!
歴史上はまあまあのキレ者だった李斯と違い、今の中身は、歴史好きのただのオッサンなんだが。
そんな一般人が、コレを読んでもいいのだろうか?
「是非とも君の、忌憚の無い意見を、聞かせて欲しいのだよ」
「うん.........」
ここかしこに、「前世の記憶に残っている文言」がびっしりと書き込まれた竹簡の数々。
次から次へと目を通しては傍らに積み上げていく。
これはとんでもないお宝だ。
なにせ韓非子が著したという同名の書「韓非子」は、混沌とした世を如何にして治めるかという「当代最高の指南書」だ。
で、それは同時に、組織運営に必要な人心掌握のための「究極の技術書」でもあり、それ故に、二千年以上も前に書かれたこの「古典」は、俺の前世においても愛読者の多い名著として知られていた。
俺か?
もちろん、愛読者の一人だぜ。
李斯の生きているこの時代では、未だ無名のその大傑作。
今世の俺は、そのプロトタイプを読ませてもらうという名誉に与っているんだ。
これで興奮するなって方が無理だろ?
「どうかな通古?論理の、破綻しているところなどは無いだろうか?」
「うん?.....あぁ.......うん」
読むのに夢中で、さっきから生返事しか出来ていない。
開いては閉じる竹簡のカラカラという音に混じり、意識の遠くで、有沙少年のフォローがぼんやりと聞こえる。
「非せんせぇ~、竹簡はこんなにも沢山あるんだから、そんなすぐには無理ですって。持って帰って頂いて、数日かけてゆっくり読んで頂きましょうよ」
「ふむ、それもそうだね」
いや、大丈夫だぜ......もう少しだ.......
「すまないね、通古。気が逸り過ぎた。まずは幾つかの竹簡を持っていってくれないか。紛失にだけは注意してもらえると有りが.....」
「よし、大体は目を通した!」
「.....今、なんと?」
「うんうんそうですよね。それでは通古様、どれを持ってゆかれ......えっ?もう読まれたのですか??」
ふっふっふ....
前世において、伊達に速読をマスターしていたのではないのだよ。
ま、それ以前に、いくら大量にあるとは言っても、今の段階ではその量もたかが知れているってのもあるしな。
そんなことより、気になったことがある。
「あのな子沙、ケチを付けるつもりはないのだが、あくまで助言の一つだと思って聞いてくれ」
「ふむ?」
「どれも素晴らしい経世の書だとは思うんだが、ガチガチの理論が読者のことを差し置いて、どんどん先走っているように感じるな。読み手によっては理解しづらく、最後まで読み通す前に挫折する可能性がある」
「ほう.....理解するのが、難しい人もいる、と?」
「もっと比喩を入れるべきだと思うね」
そんな俺の言葉を聞いて、なぜかドヤ顔をする有沙。
「ほらぁ、だから言ったんですよ老師。あの『矛盾』以外にも色々な小話を入れた方が良いって!」
胸を反らせて自慢げに言う。
にしてもコイツ、少年にしては随分と胸板が厚いな.......
......
.....
...
そうなんだ。
後の世に伝わる名著「韓非子」の特徴の一つに、とにかく比喩が巧みであることが挙げられる。
このため読む者をして、その内容に得心がいき易く、その理論の説得力に唸らされることになるのだ。
だというのにこの書には「矛盾」のエピソードこそ採用されてはいるものの、書の全般に渡って「こうあるべきだ」って感じの堅っ苦しい文章が続いていてな。
何て言うか、上から目線(?)でお説教くらってる気がしないでもない。
もう少しこう、噛んで含めるように、幼子(には難しすぎるがな)にでも言い聞かせるように、つまり語りかけるようにした方が良いと思う。
ま、俺ごときが畏れ多い意見ではあるがね(汗)
「そうか......理解りづらいか。うん、有沙の言った通りだったね。それでは、色々と例え話を考えてみるとしようか」
「そうですね......じゃあこんなのはどうです?人が虎を怖がるのは、爪と牙があるからですよね?これを『術』の行使になぞらえてみては?」
「爪と牙......なるほど、確かに意味が分かり易くなるね」
「他にも......」
愉しそうに会話を始めた韓非と有沙。
その様子を微笑ましく眺めていたら、後世に伝わる「韓非子(書物)」は、案外この二人の合作なんじゃないかという気もしてきた。
彼らがいつまでこの国にいるのかは分からないが、秦の始皇帝をも感動させた超大作。
プロトタイプとはいえ、今のうちに写本をさせてもらっておこうかな?
(筆者直筆のサイン付きでな!)
そういや、始皇帝で思い出した。
このプロトタイプには、まだアレはまだ書かれていないようだ。
重要案件だし、言っておいた方が良いかもしれない。
「なあ子沙、孤憤と五蠹は、いつ頃書くつもりなんだい?」
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